”悔しい”と”虚しい”の二言

大学3年生のころから将来の留学に備えて貯金を始めた。まとまった資金を得られる学振DC1の内定を掴むため血を吐きながら頑張った。留学先が決まってからも”渡航先で役立つように”と何百本もの論文を読みこんだ。満を持して迎えた今回の留学。渡航先ラボの状況があまりに悲惨すぎて実験を始められさえしなかった。ラボに人がほとんどいなかったから誰かとのコミュニケーションさえ出来なかった。来る日も来る日もラボの中で一人でぽつんと寂しく座っているだけの3か月間。
こんなお粗末な留学先を選んだ過去の自分に腹を立てている。悔しい。あまりに悔しすぎる。もう少しまともなラボなど幾らでもあったはずなのに、どうしてわざわざ一番の外れくじを引き当て渡航してしまったのだろうか、と。4年以上の事前準備をふいにした自らの不徳の致す所に反省しきり。求めても何ら提供してくれなかった渡航先のラボにはもはや何の感情さえ持たない。今後、一切関わり合いたくない。彼らの出版する論文は読まないし、引用さえしたくない。
虚しくもある。こんな思いをするためだけに色々なことを4年間我慢してきたのか、、と。努力って一体何なのだろうか。何かを叶えるために他の全てを犠牲にする生き方って正しいのだろうか。結果、今回のように何も報われないのであれば、そもそも”努力しない”という選択を下した方が賢かったんじゃないのか?海外留学をするために博士課程へ行った自分がまるで馬鹿みたいに思えてきた。博士課程、辞めてしまおうかな。大学院で頑張る動機がもう消え失せてしまったのだから…
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