こんにちは。札幌と筑波で蓄電池材料研究を行う工学系大学院生のかめ (M2)です。
研究室生活春夏秋冬M1シリーズ第六作目は、M1の9月のアレコレについて記していきます。
それでは早速始めましょう!
初旬:急遽実家へ帰省し、D進の気配を漂わせる
先月にDの意志が99%まで上昇し、自分のD進がほぼ確実なものとなっていました。
しかし、私は一人っ子のため、私の将来如何ではお家断絶の危機がありますから、親の顔色も一応は窺っておかないと後で面倒になるかもしれませんでした。
そこで、9月初旬に広島へと帰省し、”D進の意志がある”という気配を両親にさりげなく漂わせておくことに決めました。
正式なD進宣言はM1の年末帰省時にするつもりでした。そこですんなりと受け入れてもらうため、ココで一度段階を踏んでおくべきだろうと考えたのです。
9月の帰省時、両親に
研究が面白くてたまらないんだよ!
と目をキラキラと輝かせて訴えました。
「もちろん楽しいことばかりじゃないけれども、自分の手で新たな発見を生み出す喜びは他の何事にも代えがたいんだ」と、”コレでもか”と研究の魅力を説いたのです。
それまで大学の話について両親に話したことがありませんでしたから、急に我が子がペラペラ話し出して、親もさぞかし驚いたことと存じます。
初めて大学での様子を聞かせてくれたと思ったらどうも研究を楽しんでいる様子で、わが両親は嬉しいやら喜ばしいやらでニコニコ笑っておられました。
その流れでもって、
いや~、こんな面白いものをあと1年半しかできないなんて残念で仕方がないなぁ…
とあざとく悔しがって見せました。
就職すれば大学より遥かに低い自由度のもとで研究開発に勤しむことになりますから、「(自分の思うがままに研究を進められる時間があと僅かだ)と思うと悲しくて寂しくて仕方がない…」と間もなく終わろうとしている学生生活に心残りがある様子をまざまざと示したのです。
私の両親には思った以上に話が通じ、「そこまで言うならもう少し大学院に居てもいいかもね」と、D進の許可ともとれるお言葉をいただきました。
この言葉を聞いた瞬間、胸の中でそっとガッツポーズを作りました。意外と親が私の将来に寛容だったことに心から感謝いたしました。
ただ、次の言葉を聞いた瞬間、喜びから現実へと引き戻されました⇩
博士に行くなら
”自分の”お金で何とかしんさいよ
そういえば私、D進することだけに気を取られ、D進後のお金の問題について真剣に考えたことが今までありませんでした。
もちろん学振DC1をGETするために研究を頑張ってきてはいますけれども、DC1をGETできる前提でライフプランを作っていたら、DC1不採択時に人生が詰んでGAME OVERとなるでしょう。
これ以降、M1のクリスマスまで、”どうやってお金をかき集めようか…?”とお金の問題に苦慮させられました。
できれば博士課程入学試験があるM2の8月までに何とか金銭面の問題を解決したい。でもDC1の結果発表は9月末だからDC1以外の手段で問題を解決する必要がある…
と、様々な手段を模索し始めたM1夏の帰省でした。
初旬:帰省中に国際学会でのポスター発表
ちょうど帰省期間の真っ最中、国際学会のポスターセッションで発表を行いました。
パソコン上で自分のポスターを画面共有し、Zoomで自分に割り当てられたブレイクアウトルームに入室し、来てくれた参加者の人とディスカッションするという形式でした。
発表時間が始まると、(まさか、自分の超マニアックな研究に興味を示す人なんていないだろう)と、高をくくってのんびりとしていました。
実際、2時間あったセッション中の1時間半は誰も入室してきませんでした。
そりゃそうです。半年前にようやく1本目の論文を出したばかりのひよっ子となんて誰が話したいものですか。
”あと30分ダラダラしてたらおしまいだな♪”と楽勝モードに入っていました。
しかし、残り時間が30分を切ったごろ、突如、一人の研究者さんが私のブレイクアウトルームに入ってきたじゃありませんか!
しかもお相手は韓国人。のんびりモードからたちまち本気モードでの英語ディスカッションに突入しました。
韓国人の方は私の話を本当によく理解して下さり、私が聞き取りやすいよう明瞭な発音で何個も質問して下さりました。
おかげで私も初めての英語でのディスカッションとは思えぬほどハキハキとしゃべることができました。
ただ、「この研究ってなんの役に立つんだ?」と問われた際、何も答えを用意していなかったので「分かんねぇ笑」としかお返事できませんでした。
この点だけは少々後悔が残りました。普段からもっとアプリケーションについて考えておけばよかったですね。
いずれにしても、私の初の国際学会参加はコレにて無事終了しました。
初めての国際交流も経験でき、大変有益な時間を過ごせたと思います。
下旬:つくば出張の前日に指導教員へD進宣言
9月下旬から2か月・9週間ものつくば出張へ行くため、広島から札幌へ帰還後は出張に向け準備を進めました。
今回の出張ではこれまでにない新しい方法で実験セルを作ろうと計画しており、そのセルを使った実験でどんな実験ができそうか、どんなインパクトある成果を生み出せそうか、様々な可能性について検討を加速していきました。
私はいつもつくばへ行く際、10個ぐらい実験プランを用意してから札幌を飛び立つことにしております。
必ずしも第一プランが上手く行くとは限らず、滞在期間と実験の進捗を天秤にかけて第二・第三プランへと移行することが往々にしてあるからです。
1週間ほどで実験プランを10個作り、出発前日の日曜日まで研究室で論文を読み込んでおりました。
つくばではアクセス制限の都合上、論文をフリーダウンロードできませんので、自由に論文が読める今のうちにたくさん論文を読んで頭にストックしておこうと考えたのです。
その日曜日、休日にもかかわらず、指導教員が大学で仕事をしておられました。
先生が暇そうな時間を狙って先生の部屋に遊びに行き、「先生、話があります」と厳かに切り出しました。
突然の私の訪問に先生は「急にどうしたの?」と少々困惑しておられました。
(驚かせて申し訳ない)と心の中で謝りつつ大きく深呼吸して覚悟を固め、
博士課程へ行こうと思います。
と先生の目を見つめて宣言しました。
その後、博士課程への進学理由や今後の研究活動等に関し、指導教員と3時間ほど長々と話をいたしました。
DC1以外にもJASSOの奨学金や他のフェローシップなど、様々な支援があることも先生から教えてもらいました。
先生へはどうしてもつくば出張前にD進宣言しておきたかったのです。
そうでもしないと2か月間のつくば滞在期間中にダラけてしまい、研究に本気でコミットできないだろうと思いましたから…
次回予告
研究室生活春夏秋冬M1・9月編はコレで以上となります。
次回のM1・10月編では、長期つくば出張中のメンタルの浮き沈みに関して書いていきます。
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