
年末年始:厳冬の札幌から温暖の広島へ

札幌の冬は文字通り極寒との戦いだった。最高気温が容易に氷点下まで下がり、晴れ間は稀少で、強風が吹きすさぶ中での生活は体感温度をさらに引き下げた。「そんな中で年を越すなど耐えられない」という思いから、年末年始は広島の実家での過ごすことを選んだ。
寒さに耐える日々は、知らず知らずのうちに眉間にしわを寄せるほどの緊張を強いていた。頭も常に緊張状態が続いていたが、広島空港に降り立ち、温かい空気を吸い込んだ瞬間、全身の筋肉が緩んだ。その影響か、脳へと血液が一気に流れ込み、長く続いていた不自然な力みが溶けていくのを感じた。
実家では母の手作りのおせち料理や広島ならではのお雑煮など、心温まる料理の数々を堪能した。普段の質素な食生活―サバ缶と玄米とキャベツという単調な食事―から一転、手の込んだ料理に舌を触れた体は驚きを覚えたほどだった。
コロナ禍の影響で親戚一同での集まりは叶わなかったものの、それはむしろ家族との時間をより深く、より濃密に過ごす機会となった。栄養たっぷりの御馳走で体を満たし、心身ともにリフレッシュした後、再び凍てつく札幌の地に戻った。
印象的だったのは箱根駅伝との関係の変化だった。いつもなら全区間を熱心に追いかける私だったが、この年はわずか1区の視聴で終えた。浪人を経て23歳となった私は、出場した学生ランナー全員よりも年上となっており、「年下の子が元気に走っているな」という、どこか距離を感じる思いで眺めることしかできなかった。
中旬:予期せぬ学会デビュー

1月中旬、思いがけず初めての学会発表に挑むことになった。これは自ら望んで臨んだものではなく、気がつけば発表することが決まっていた。「しょうがないな、やるか…」と渋々腰を上げての参加だった。
研究室生活において、このような意図せぬ学会参加は珍しくないように感じられた。私の考えでは、学会は「発表したい人が参加するもの」「十分な実験データを持っている人が臨むもの」であるはずだった。しかし、どうやらアカデミアの先生方は異なる見解を持っているようだった。
当初は気が進まなかったものの、「プレゼン経験を積む良い機会だ」と発想を転換してからは、少しずつ前向きな気持ちが芽生えてきた。プレゼンテーション能力の向上には実践を重ねるしかない。どんな機会であろうと、それを活かして自身の成長の糧としなければならない。
初めての学会に向け、入念な準備を進めた。発表用のスライドは表紙を含めて8枚。質疑応答用の補足スライドは、あらゆる角度からの質問に対応できるよう30枚近く用意した。
学会当日は、オンラインでの開催となった。発表者ツールに表示させた原稿を見ながらのプレゼンテーションは、順調に進めることができた。しかし、その後の3分間の質疑応答で予想外の事態が発生する。実験装置を自作した経験を持つ専門家から質問を受けたのだが、次々と飛び出す聞きなれない専門用語に戸惑ってしまった。「○○についてはどうお考えですか?」という質問に対し、その「○○」という用語の意味すら理解できず、「すみません、○○とは何のことでしょうか…?」と逆に質問せざるを得ない場面があった。
初めての学会発表は、このような苦い思い出とともに幕を閉じた。さらに追い打ちをかけるように、質問をしてくださった装置の専門家が同じ研究棟の准教授だと判明。以降、廊下での出会い頭を恐れながらの研究室通いを強いられることになった。
下旬:卒論発表練習

研究室では学会や学位審査会の前に必ず発表練習が行われる。メンバーから様々な指摘を受け、それを反映させてプレゼンテーションを改善していく重要な機会だ。
私の場合、卒論発表用のスライドを先の学会でも使用していたため、既にゼミメンバーから多くのフィードバックを得ていた。そのため、卒論発表練習での指摘は最小限で、「原稿の棒読みは避けて、もう少し内容を覚えてから発表しよう」という助言を受けた程度だった。
同期の発表を見ていると、私以上に洗練されたプレゼンテーション能力や、より完成度の高いスライドの数々に目を見張った。「みんなすごいな」という率直な感嘆の念を抱かずにはいられなかった。それぞれが完璧とは言えないまでも、独自の光る個性を持ち、オリジナリティあふれる発表を展開していた。
同期たちの姿を目の当たりにし、「やばいな、負けていられない」という危機感が芽生えた。この経験を契機に、YouTubeでプレゼンテーションの研究を始めたり、画家向けのデザイン本を購入して空間構成や配色の勉強を自主的に始めたりするようになった。

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