札幌と筑波で電池材料を研究している北大化学系大学院生かめ (D2) です。博士課程を二年で修了する早期修了チャレンジをD1・1月から始めました。所属専攻における過去の早期修了者数は片手で数えられるほどに過ぎません。前例はごく僅か。分厚くて険しい早期修了要件の壁に多くの方が跳ね返されてきたのです。博士課程はわざわざ飛び級せずとも三年で修了可能。それでも早期修了を企んでいるのには自分なりの訳があります。
この記事では、私が博士課程の早期修了を志した理由を語ります。
- 早期修了に興味がある方
- 早期修了に挑戦中の方
こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。
それでは早速始めましょう!
自分へ最大級の負荷をかけて成長を促すため
早期修了を考え始めたそもそものキッカケは、博士進学前に博士論文 (D論) 提出要件を既に満たしていたこと。所属専攻のD論提出要件は「英誌筆頭論文二報以上の出版歴」。私の場合、B4の3月に一報目、M2の10月に二報目の論文を出版済み。博士在籍中に何もせずとも博士号を得られる態勢が整ってしまっていたのです。三年間での修了に甘んじられる穏やかな性格ならそうしていたでしょう。極度に自分を追い込んでいくストイック気質である以上、自らに何の負荷をもかけずに三年間をぼーっと過ごしていくのは無理。気力が尽きるまで徹底的に頑張りたい。頑張りすぎて倒れてしまっても構わない。いや、何度か倒れるぐらいじゃなきゃ始まらない。頭と体をガンガン使って自身を絶え間なく成長させていきたかったのです。
『若いうちの苦労は買ってでもせよ』との格言があります。体に無理のきくうちに色々なことへ挑戦しておけば、経験値が蓄積され、歳を重ねるにつれ技術が熟成され、やがて凄みのある仕事ができるようになるのです。私自身、十代の頃に頑張っていた乗馬で培われた諸スキルが、乗馬をやめて10年経った今でもしっかりと役立っています。年上の人との接し方然り、自分の体の操り方然り、がむしゃらに頑張って結果を出して味わえる気持ち良さもまた然り。”頑張ったら後で自分に良いことがある”と肌感覚で知っているのです。大学院生活も同じ。ここで一生懸命研究すれば、将来の自分にとって必ずやプラスに働くでしょう。
安牌を狙うなら標準年限で修了すればいい。自分を成長させたいなら早期修了へ挑戦するしかない。両者の中間にあたる選択肢はなかった。ゆるい道か茨の道かの両極端から一方を選ぶしかない。自分が選んだのは後者の選択肢。早期修了以外の道は考えられませんでした。もしかすると、頑張りに頑張った末、早期修了を達成できないかもしれません。三年間での修了となって頑張り損に終わってしまうかもしれない。それでも構わないと思っています。早期修了めがけて駆けた日々は私にとって一生の宝物になるはずだから。
大学受験浪人で背負った一年のビハインドを帳消しにしたかったから
高三の3月、京大農学部に落ち、受験浪人して北大へ進学しました。北大入学後、自分が一年の回り道をした事実にずっと悩んできたのです。かけがえのない一年を無駄に捨ててしまった。しかも、人生で最も多感な10代最後の一年間を。どうしてそんなことをしてしまったのだろう。勿体なさすぎる。でも、過ぎ去った時間は永遠に戻ってこない。北大へ行くのが嫌すぎて、一時、仮面浪人を試みたこともあるぐらい。仮面浪人は一か月で頓挫。仮面浪人さえ貫徹できない自分が不甲斐なくて、自分が大嫌いになりました。
大学四年次の研究室配属では、あえて京大出身の先生がいる研究室を選択。研究内容も面白かったけれども、それ以上に「京大」の二文字にこだわって選びました。先生による指導からだけでも京大の雰囲気の片鱗を味わいたい。京大コンプレックスに悩んでいた自分を少しでも慰められるなら、との思いで研究室を選択。M2の10月、インパクトファクター24のビッグジャーナルに筆頭論文がアクセプトされました。研究で世界基準の成果を出せたおかげで京大に対する劣等感が消え失せたのです。京大生の大半がアクセプトされないであろう一流誌への掲載を果たした。ようやく受験の呪縛から解き放たれた。肩の荷が少しだけ軽くなりました。
京大に対する思いは消えました。しかし、一年の回り道をした後悔の念は未だに心へ巣食っています。何としてでもタイムロスを挽回したい。大学を出るまでに一年のビハインドを帳消しにしたい。このまま一年遅れで会社へ就職するのは何か嫌だ。自分の悩みを解決するには早期修了がうってつけ。三年かかるはずの博士課程を二年で出られれば、大学受験で背負った一年分のタイムロスが打ち消されます。博士修了後、何食わぬ顔で会社に入り、大学へ現役進学した人たちと同じ年次からサラリーマン生活を始められるのです。
受験浪人で背負った一年の出遅れ分を大学進学から八年かけて取り戻す。私にとって早期修了とは、失われた時を求めて歩む一種の「旅」のようなものであります。大学関係のタイムロスは大学在籍中にけりをつけたい。受験の借りを早期修了で返す。こっ酷く痛めつけられた分はきっちり100%お返ししてやる。京大出身の指導教員から博士号を奪取できれば、京大受験の疑似リベンジとなるでしょう。いまさら京大を受験する気にはなれません。共通テストと二次試験の勉強を最後までやり遂げる体力もないでしょうから。京大の先生から学位を貰えればそれで満足。自分の大学受験は博士課程早期修了によって真の意味で終結するのです。
持病に耐えながら本気で研究を続けられるのはあと半年程度だろうから
私は「ミソフォニア」という脳障害を患っています。ミソフォニアとは、特定の音 (トリガー音) を引き金に、悲しみや怒り、絶望など、様々な感情が意図せず頭を占領して他のことが何も手につかなくなる病気。私のトリガー音は何かをすする音。洟をすする音、ラーメンをすすって食べる音、熱い飲み物をすすって飲む音などが苦手。ミソフォニアのせいで高校時代は随分と苦労しました。音が逃げない密閉された教室の中、四方をトリガー音に囲まれて過ごす日々は地獄だったのです。大学受験勉強でもミソフォニアに邪魔をされました。家では親の洟をすする音に、予備校では他の浪人生の洟や飲み物をすする音に吐き気をもよおすほど苦しめられました。
歳を重ねるたびにミソフォニアの症状が悪化していきます。吐き気は発作に、そして心拍の停止へと、症状がますますグレードアップ。昔は大好きだった青春18きっぷ鉄道旅行にも行けなくなってしまいました。車両内で洟をすすられたが最後、心躍る旅行が台無しになってしまうからです。飛行機旅も厳しくなりつつあります。イギリス留学で羽田からヒースローへと渡英するとき、座席の真隣でズルズル洟をすすられ続け、それが空の旅を耐え難くするトラウマになってしまったからです。近年、耐えられない音がどんどん増えていっています。昔はすする音だけが苦手だったのに、今では痰の絡んだ咳払いの音や貧乏ゆすりの音などでも発作が引き起こされるように。自分が過ごせる場所が地球上でどんどん狭くなっていくのです。自分の努力では症状をどうにもならない以上、この病気が脳内で暴れ回るのを如何ともしようがありません。
研究室で長時間過ごすのも少し難しくなってきました。トリガー音を年中無休で、かつ無自覚に発している退職寸前の助教が同部屋にいるからです。あの人と同じ部屋で過ごせばものの10分で気分が悪くなってきます (もっとも、あの人の音を不快に感じているのは私だけに限りませんが)。研究室での作業を諦め、研究にまつわるあらゆる仕事を家の中で済ませるように変えました。ミソフォニア症状の触媒はストレス。ストレスから解放されさえすれば症状は立ちどころにして消失します。事実、大学受験が終わってから3年間は症状にほとんど悩まされませんでした。昔みたいにストレスゲージがゼロになってくれれば良いものの、過酷な研究生活においてストレスをゼロに抑えられるわけがありません。
ミソフォニアから楽になるにはストレス源を取っ払ってしまうのが一番。私にとっていま最もストレスなのは研究”室”生活に他なりません。博士課程を標準年限で修了する場合、ストレスにあと一年半も耐える必要が。一年半も我慢し続けたならば、おそらく体は不可逆的に壊れてしまうでしょう。あと半年ぐらいなら耐えられるかもしれません。だましだまし研究を進めればフィニッシュテープぐらい切れるでしょう。半年以上の辛抱は厳しそう。半年間の短期決戦で勝負を決めるしかありません。全ての希望的観測を捨てて考えてみれば、私が今の状態から博士号を取得するには早期修了するしかないのです。博士号が欲しい。取らなければ心が満たされない。だから意地でも早期修了を成し遂げるしかありません。
親が還暦を迎えるよりも早く一人前になった姿を見せておきたかったから
私の父は今年で59歳。来年には還暦を迎えます。普通のサラリーマンなら定年退職する年齢。父は自社の役員を務めているから引き際は自分で決められるようです。おそらくしばらくは引退しないでしょう。まだまだ元気。生涯現役なのかな?なんせ、いまだにサッカースタジアムで若者と一緒に声を張り上げて応援していますから。額に浮かび上がった血管を見ると(血管が切れないかな、大丈夫かな) と少しヒヤヒヤしますけれども。
D1の3月、帰省して初老の両親の姿を見た時、「何が何でも早期修了しなければダメだな」と決意を新たにしました。還暦になっても子供が定職に就かず、学校に通っていたら心配をかけてしまいます。小学校から博士課程まで20年間も学校に通えばもう十分でしょう。そろそろ働き始めて一人前にならないとアダルトチルドレンまっしぐら。学校が嫌いと言っているくせにいつまで学校へ通っているんだ。早く卒業して働き始めなきゃ。学んでばかりじゃダメ、学びを世に還元する必要がある。
早期修了に成功すれば、父の還暦到達前に定職へ就けます。初任給で赤ハッピでも買ってあげ、温泉旅行か何かプレゼントしてあげましょう。しかもUターン就職。子供にとってこれ以上ない親孝行です。持病を抱える欠陥だらけの息子にはこんなことぐらいでしか親へ恩返しできません。せめて早期修了ぐらいは成功させ、これまで育ててくれた感謝の気持ちを伝えて会社員生活を始めたい所。ひょっとしたら自分は持病で親よりも早く死んでしまうかも。命あるうちに親孝行を果たして思い残すことのないようにしておきたい。
最後に
博士課程早期修了を志した理由は以上。様々な思いを胸に抱いて早期修了達成まで駆け抜けていきます。
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