2020年8月下旬、北大大学院修士課程入学試験を受験し、合格しました。以下では、出願から合格までの一部始終を記します。
- 大学院入試 (院試)を控えていらっしゃる方
- 院試が終わるまでの流れを知りたい方
- 筆記試験免除者の時間の過ごし方を参考にしたい方
こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧ください。
それでは早速始めていきます
6月下旬:出願
まずは出願。院試へのエントリー。外部生はもちろん、内部生も院試へ申し込む必要が。『6月下旬』という院試の存在を意識し始める前の絶妙なタイミングで。出願を忘れる人が毎年一定数現れる。出願期間後に窓口へ行き、いくら号泣して情に訴えても試験は受けられない。
願書はネットの専用フォームで作成する。氏名、住所、志願専攻名など諸々の情報を記し、A4用紙へ印刷して出来上がり。院試受験料はおよそ3万円。節約極貧大学生活を営む私にとっては痛い。内部受験生ならゼロ円でいいじゃないか。外部生からお金を取るのは分かるけれども、なぜ内部生からも金を召し上げるんだ。せめて何円か割引してくれたらいいのに。3万円って結構な出費だぞ。ハーゲンダッツのアイスクリームを90個も買える。
出願書類は以下の3つ⇩
- 願書
- TOEICのスコアシート
- 受験票送付用の封筒
スコアシートは封筒を未開封のまま出す必要がある。開けたが最後、そのシートを受理してもらえない (何故…?)。TOEICのスコアは封筒を開けなきゃ分からない。しかし、それを開けたら出願には使えない。スコアはネットで確認するか、別途スコアシートを取り寄せるかの二択。いずれにせよ、大変面倒臭い。
受験票送付用の封筒には切手を貼る。大学が、ではない。我々受験生が、である。受験料に3万円も取るクセに切手代までコチラに払わせるのか。ちょっとケチすぎるんじゃないか?まぁ、大学側の懐事情を慮ると、大学側が切手代さえ節約したくなる気持ちも分からなくはない。切手はコンビニか郵便局で買う。院試出願時期は郵便局へ多くの受験生が押し寄せるため、郵便局員があらかじめ出願に必要な分だけの切手をセットで揃えていてくれている。「○○円分の切手を下さい」と言ったら1秒で出して下さる。郵便局内で切手を封筒に貼り、出願書類を簡易書留で出して終了だ。
毎日通っている大学へ書類を出すのに、なぜわざわざお金を払って「書留」で送らねばならないのでしょうか?…うん、考えたら負けですね。不合理な仕組みにイチイチ頭を煩わせていたら神経がやられます
7月:(筆記試験免除かも…)との考えが頭にチラつき、勉強に全く身が入らない
B2の後期、筆記試験の過去問を見た。講義の中間・期末試験より遥かに難しくて驚いた。解ける気がしない。難しすぎて解法が分からない。教科書を見ながらでもチンプンカンプン。問題文が呪文か暗号のようにしか見えず、取りつく島もない有様だった。本番ではこのクソ難しい問題群を6割以上も正答せねばならない。取れる気がしない。解ける人、いるの、コレ…?
私の出願選考には【筆記試験免除制度】が設けられている。院試は筆記試験と面接試験の二本立てで構成されているが、筆記免除適用者は面接のみで院試を突破可能。例年、学科全体の3割程度の人間が筆記試験を免除になっているそう。院試過去問を初めて見たのと同時期 (B2・後期)、筆記免除制度の存在を知り、筆記免除になるべく中間・期末試験での好成績を目指した。院試前に頑張るか、院試を受けずに済むよう良い成績を取るため頑張るか。多くの人間は前者を選ぶ。継続的な努力の得意な私は後者を選び、頑張った。
B3の3月、学科内の人間全員で話し合って研究室配属先を決めた。そこではB1~B3の通算GPAを開示し、成績最上位者から順に配属先を選ぶ権利を与えられた。自分の成績が学科内でどの層に位置しているかがココで分かった。40人中8位か9位。GPAが上位3割以内なのはどうやら間違いなさそうだった。筆記試験の免除が濃厚ということだ。免除確定ではない。あくまで免除”有力”。免除と決まってはいない以上、院試を受ける前提で勉強していかねばならない。タンスの中にしまった演習プリントを取り出し、講義内容の復習に取り掛かった。しかし、勉強に全く身が入らない。受けなくて済む可能性大な試験の勉強になど集中できるわけがない。演習プリントの勉強を一枚済ますたびに『筆記免除かもよ…勉強する意味あるの…?』と悪魔が耳元で囁く。強い自制心を働かせて勉強した。一か月でひと通り復習を完了させたが、定着度は5割。頭に入らなかった。
8月初旬:受験票到着。筆記免除確定
北大のタチが悪いのは、院試免除か/否かを試験直前に知らせてくることだ。通知されるのは試験3週間前。受験票の入った封筒に同封された『筆記試験免除のお知らせ』を見て初めて免除と知る。どの学生にも3週間前までサボらせず、勉強へ釘付けにさせるためだろう。早々に免除と知らせてしまうと筆記免除者は誰も勉強しやしないから。3週間前まで免除か/否か分からないため、私も試験を受けるつもりで勉強していた。【免除】と分かった瞬間、勉強するのがバカらしくなり、演習プリントをタンスの奥へと戻して全てから解放された。免除が決まった翌々日から電車で北海道周遊旅行へ。JR北海道全線5日間乗り放題チケットを1.2万円で手に入れ、札幌から帯広、釧路、網走、そして旭川を巡った。チケット有効期間最終日には、特急・宗谷号で札幌⇔稚内を片道5時間かけて日帰り旅行。宗谷岬で見た紺碧色の海と空は強く印象に残っている。
8月中旬:家でひたすら面接対策
私は昔から吃音気味だった。頭の奥から何か言いたいことが浮かんできても、それがなかなかスムーズに口から出てこない。喋るのが弩級にヘタクソなのだ。決まったフレーズか、前もって準備したセリフしかまともに話すことができない。院試の面接では何を聞かれるか分からない。志望動機以外の質問内容を想定するのが難しい。質問へ臨機応変に対応する必要がある。何を聞かれても構わないよう、ありとあらゆる質問を想定し、一つずつ答えを用意していくしかない。
ネットで「院試 質問」と検索。検索ページ上位30位までのサイト内に記された質問をリストアップ。全部で100個程度はあっただろうか。修士課程修了後の進路、院試に落ちたらどうするのか、博士課程へ行くつもりはあるかなどを考え、返答を用意。回答を一言一句暗記したら本番で困る。面接当日は間違いなく緊張するから、覚えたセリフをド忘れしちゃって凍り付いてしまいかねない。返答の概要だけを暗記。面接官の機嫌を損わない、地雷を回避した安牌な返答を心掛ける。
院試で吃音を言い訳にはできない。健常者と同じ土台に立って闘う以上、己の会話能力を健常者レベルに高めて勝負していくより他にはない。院試はもちろん、今後の就活だってそう。ハンディキャップを背負っている自覚を持ち、ハンディをハンディと悟られないほど特訓をし、本番では健常者よりもペラペラと喋って圧倒的一位で試練を乗り越える。院試は人生で初の面接試験。自分の今後を占う試金石だ。
8月下旬:面接試験
試験当日は朝から蒸し暑かった。札幌らしからぬジメっとした天気。熱いと自然に体温が上がる。平熱36.5 ℃の私が左脇に温度計を挟むと37.5 ℃だった。院試は上下ともスーツで受ける。服装は指定されていないけれども、試験官も周囲の学生もみなスーツで臨む以上、自分もスーツで行った方が浮かずに無難。着慣れないスーツ。長袖・長ズボン。余計に体温が上がってしまう。暑い。汗が止めどなく出る。冷水で顔を洗うも効果はいま一つ。
私が試験を受けたのはコロナ騒動一年目。ことあるごとに体温を測られ、37.5 ℃以上だとコロナ陽性の疑いをかけられた。院試当日だってそうだ。面接待機室で額に体温計を当てられ、体温を計測された。機械は38 ℃を示していた。コロナ陽性の疑いがあるということで、試験官が集まって会議をした。私は元気だ。病気なんかじゃない。気候とスーツのせいで体温が上がった。クーラーの効いた部屋で袖をまくってクールビズすれば体温は下がる。とやかく言い訳すれば試験を受けられなくなる可能性がある。黙っておいた。試験を受けられる一筋の希望にすがって。
先生方の会議の末、試験を受けられることに。5番目だった面接の順番をトップバッターに繰り上げられての受験。熱が上がり切らぬうちに面接を済ませてしまおう、という作戦。元気な人間にこのような仕打ちは納得できないが、致し方ない。面接本番はよどみなく話せた。志望動機や今後の進路、これまでの学生生活について深掘りされた程度。病人相手だからか、優しかった。10分程度で解放された。
9月初旬:合格発表
院試二週間後に合格発表。ネットでの開示。掲示板で番号を検索。Ctrl+Fで検索欄を表示。受験番号を入力。すぐに自分の番号を発見。人生初の面接試験とあって緊張したが、及第点を貰えて安心した。発表翌日に郵送されてきた手続き資料を記入して入学手続きを終えた。
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