~M2の8月26日:三度目の投稿からリジェクトまで
三度目はこれまでよりIFを10以上落とし、ACS (American Chemical Society)が発行するIF23の雑誌に投稿。10落としたとはいえIFはまだ20以上、アクセプトまでかなり険しい道のりが予想されました。ただ、IF42の雑誌であわやアクセプトになりかけた論文ですから、 (IF23ぐらいならさすがに通してくれるんじゃないか?)と少々甘く見ていた所がありました。我々のグループとしても論文の内容には大きな自信を持っていたし、”そろそろアクセプトされるんじゃないか?”と指導教員も共同研究者も期待を抱いていたよう。ただ、ここでまたしてもリジェクトを食らいました。リジェクトの理由としては
- 新規性が薄い。前も同じような事やってない?
- 主張の根拠が弱すぎる。実験ばかりじゃなく理論計算も取り入れなきゃダメよ
このような形になります。
さすがに三度目のリジェクトには私も頭を抱えました。何回もリジェクトされるにつれてどんどん心が荒んでしまい、(もうIFなんて気にせず通りそうな所へ出してしまいたい…)と諦めてしまいそうになりました。極めつけは、三度目のリジェクトの報を受け取ったのが院試当日だった点。せめて入試とリジェクトの通知を別日に分けてくれれば良かったのに。(神様は何と酷な事をするのか…)と無残な仕打ちに恨み節を唱えました。何も良いことないやんか。どうして博士進学なんて選んだのだろう。
今までのリジェクトと違ったのは、雑誌のエディターが再投稿の提案を寄こしてくれた点。
リジェクトはリジェクトなんですけど、もう一遍同じ雑誌に出してみませんか?近いうちに返事ちょうだい(^^♪
と言ってくれたのです。雑誌のエディターが武士の情けをかけてくれたのでしょうか?それとも単に『このままリジェクトにするのはもったいない』と思ったのかも。こんなことは普通、起こり得ません。一般的にはリジェクトとなったら同雑誌会社の他の雑誌にトランスファーされるか、あるいは、そうした誘いもなく淡々と次の雑誌に投稿するだけ。
我々は気を取り直し、再投稿に向け最後の力を振り絞りました。論文の主張をよりハッキリと伝えるため、メインのデータが際立つよう論文の構造を大幅修正したのです。正直、私はもう気力の限界に達していました。あまりに辛すぎて「この調子で博士進学後もやっていけるのか?」と病んでいたし、パソコンと向き合うストレスが辛すぎて腕に蕁麻疹ができてしまったほど。しかし、共同研究者の方の強烈なアシストのおかげで何とか論文がまとまりました。日本時間の9月17日。大安の日に四度目の投稿を行いました。
M2の10月20日:四度目の正直!ようやくアクセプトをもぎ取りました
四度目にして遂にアクセプトされる見通しが立ちました。論文投稿から3週間後に送られた査読結果を見ると、査読者全員がポジティブに論文を評価して下さっていたのです。査読返信期限は”2週間”とかなり短めの設定。共同研究者の方と手分けして二人で査読対応にあたりました。質問の答えを一つ用意するたびにアクセプトを手繰り寄せられている手応えが。返信期限を2日余して査読回答を完成させ、それをよく読み直して雑誌側へと投げ返しました。
1週間後の10月20日、メールボックスに「Congratulation!」とアクセプトを祝うメールが。最初そのメールを受け取った時、あまりに疑心暗鬼になっていたのでスパムメールの可能性を疑っちゃった笑。中身は正真正銘のアクセプト通知。これにて2年がかりの長期戦が終局することとなったのです…
論文掲載までの一連の流れを経験してみて
論文投稿までの一連のプロセスを経験し、自分には研究を一生やり続けられるほどのエネルギーはないとハッキリ自覚するに至りました。
もちろん研究は大好きなのです。一方で、研究成果をまとめる”論文出版”というプロセスに耐えがたい苦痛を感じてしまいます。論文執筆ではブログとは違い、
- ブログより厳密性を求められるが故に生じる緊張感や疲労感
- ”さんざん時間を費やした挙句リジェクトされるかもしれない”という漠然としたの不安
- ”他の研究者にいつ先を越されるかわからない”という震えんばかりの恐怖
こうした感情に苛まれます。研究者として研究をやっていくのは、これらの気持ちとのせめぎあいを一生涯続けるということでしょう。あまり精神が強くない私には研究者という職業は向いていません。とはいえ、せっかく博士課程の院試に合格し、DC1内定や高IFの雑誌にアクセプトされた今、ここで研究の道を閉ざしてしまうのも少々口惜しく感じられます。博士課程に進学後、自分を再び限界まで追い込んでみて、己の研究に対する適性を見定めてから将来歩む道を決めようと考えています。
以上です。
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