【絶対落ちる】学振DC1の申請書執筆で、こんな間違いを犯していませんか?

日本学術振興会特別研究員DC1、通称【学振DC1】への内定は、博士進学 (D進)する方がまず最初に志す目標。採用されれば月20万円の給与と年間100万円近い研究費を貰いながら研究が可能。現状、D進者支援プログラムの中で最高水準の支援額。D進者は皆、学振DC1に採用されたいと願う。事実、学振DC1には応募者が殺到し、選考倍率は6倍以上と非常に狭き門になっています。

学振DC1へ申請する方は申請書執筆が初めてな方が大半。何事も最初は間違えやすいもの。初歩的な誤りを犯して無残な結果に終わってしまう方が現れがち。学振DC1に落ちたとしてもJSTフェローシップの支援を受ければいい。しかし、フェローシップよりも学振の方が手厚い支援を受けられるため、いずれかの内定を貰えるのであれば学振DCに内定したいとお感じになるはず。

この記事では、2022年度学振DC1内定者の私が申請書執筆へ初めて挑む修士課程の学生向けに、学振DC1申請書執筆で犯してしまいがちなミス4つご紹介します。この4つに気を付ければ内定確率が倍以上にまで跳ね上がるので、学振DC1内定を目指す方は是非最後までご覧ください。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

読まなきゃ読めない濃淡のない申請書

皆さんが一生懸命作った申請書を読むのは現役の研究者。大学教員や国研の職員、時には企業の研究所に所属する技術者が目を通す可能性だって考えられます。彼ら/彼女らに共通して言えるのは『めちゃくちゃ忙しい人たちだ』ということ。研究や予算申請、その他諸々の書類作成に日々奔走していらっしゃいます。

読者の皆さん、忙しい時って疲れますよね?ヘトヘトになった日の夜にはひと文字も読みたくない気分になってしまうでしょう。文章に目を通したとしても頭に入らない。目を凝らして文字を読もうにも、目の周りの筋肉が疲れ切っていて力が入らず、文章やその内容を精査するのは不可能。審査員の方は毎日の労働で疲れ切っていらっしゃる。運動不足の体にモンスターエナジーを投入して気合を入れ、日々やっとの思いで業務を乗り越えている。審査員さんに申請書を見ていただけるのは、審査員さんが日々の業務を終えたあと。疲れ切った状態で「どれどれ」と目をこすり、申請書を一枚ずつ閲覧されるのです。

疲労困憊ななか、太字も下線も何もない濃淡皆無な申請書を見るのは苦痛極まりありません。「どこが大事なんだよ!全部?疲れているオレに”全文目を通せ”って言うのか…?」と。絶望的な気分で目を通される申請書の評点が高くなるわけがありません。自ら点数を下げに行っているようなもの。『点数?そんなの要りません!』と言っているのと同じ。”読まなきゃ読めない申請書”を作らないようにして下さい。いくら内容が素晴らしくても、濃淡が皆無であるというだけで見てもらえない確率が高まってしまいます。

太字や下線を効果的に用いましょう。”読まなくても読める申請書”を目指すのです。デコレーションを施した部分を飛ばし読みするだけで内容の概観を掴めるよう作って下さい。なお、装飾し過ぎるとどこが大切なのか分からなくなります。太字や下線で加工するのはどれだけ多くても全体の一割程度に抑えておきましょう。なお私の場合、申請書作成の際、太字と下線を以下のように使い分けて作りました↓

  • 太字:重要な語句やコンセプトを強調したいとき
  • 下線:重要な文章を目立たせたいとき

皆さんはどのように使い分けても構いませんが、両者の使い分け方は資料の中で統一しておきましょう。

二番煎じの借り物的な研究計画

審査員は現役の研究者。日夜たくさんの論文をまるで浴びるように目を通していらっしゃる。所属分野で過去、どのような研究が行われてきたかに精通していらっしゃるわけです。当然、何が課題で、将来どのような研究が研究が行われるべきか、どのようなブレイクスルーを経なければならないかもある程度見通しておられます。

我々申請者が行うべきは『新規性のある研究』。どこかで見たことのある陳腐でありきたりな研究ではなく、真新しい、新鮮味溢れる独創的な研究を企てねばなりません。二番煎じでは駄目な訳です。先行研究との差別化ポイントの少ない研究にわざわざ予算を付ける価値は無いですから。仮に申請書へ二番煎じの研究計画を書いて出しても、当該分野に精通している審査員さんに一瞬で「あの研究のパクリだな」とバレてしまいます。上質なパクリ研究よりも粗削りながらオリジナリティー溢れる個性的な研究の方が高得点を貰えるでしょう。

先輩や指導教員が過去に作って出した申請書を改変して出しても同様、アウト。申請書から”借り物感”が思い切りにじみ出てしまい、審査員さんに(この人、自分で文章書いてないんちゃうか?)と見抜かれ、落第点しか得られません。申請書には自分の頭で考え、ひねり出した文章を書いて下さい。生成AIの使用は文章校正と誤字脱字の確認ぐらいにとどめておきましょう。文章はヘタクソでもいい。稚拙でも構わない。人の文章を借りて記すより、自らの研究への情念が紡いだ文章の方がよほど素敵に映りますから。

かめ

不思議なもので、気持ちを込めて書かれた文章を読むと、著者が懸命に言葉を記している姿が想起されてきます。文章に込めた情熱が審査員に伝わればもう、勝ったも同然です♪

全く客観的ではない主観的な自己分析

就活でも転職活動でも学振DCでもそうですが、自己分析とは本来、主観を排して行われるべきもの。自分からの幽体離脱を試み、【自分】という存在についてあらゆる角度から見つめ直す行為。そこに主観が入っては意味がありません。【自分】の過去について冷静な分析が出来なくなるからです。自己分析を主観的にしか行えない人間は困難に直面したとき、自らをうまく制御できません。研究は日々、困難だらけ。困難に弱い人間が、すなわち客観的な自己分析ができない人間が学振DC1に採用されるわけがありません。

大学受験へ落ちた出来事を分析すると仮定しましょう。このエピソードに私情を挟んで見つめると「運が向かなかったから…」「たまたま問題との相性が悪かったから…」とフワフワした考察で終わりがちに。こんな曖昧な自己分析では未来の役に立ちません。自分の正体に迫れず、未来に繋がる教訓を得られないまま時間が溶けて失われていきます。徹底的に主観を排除しましょう。まるで金正恩同志の如く無慈悲に「テメエは何で落ちたんだ?」と問いかけてみる。己の過去を客観的に、冷静に見つめて下さい。その際、辛かったことや悲しかったことなど、感情を一旦脇に置いておくのです。自らの過去と真正面から向き合う。たとえそれがどれだけ醜い出来事であろうと直視から逃げず、ありとあらゆる出来事をつぶさに分析していく。

自己分析は自分の負の側面を垣間見る、辛くて仕方が無い自傷行為。意図的に主観を差し挟み、自らを良いように解釈したくなる気持ちは痛いほどよく分かります。しかし、欠点から目を背け続けてはダメです。正と負の両方の側面をまるっと包含して「コレが自分なんだ」と受け入れなければなりません。申請書を過度な自画自賛で埋め尽くさず、誤魔化さないようにして下さい。悪い面を『克服すべき点』として記し、審査員に (あぁ、この人はちゃんと自分を客観的に見つめられているんだねぇ) と感心させて評点をもぎ取りましょう。

なお、どうしても自画自賛したいということであれば評価書に記しましょう。評価書は指導教員が記すという体 (てい)になっていますから、少々過激に自らを褒め称えても差し支えないと思います👍

「学振DCに内定して自分だけ得をしてやろう」という薄汚い魂胆

日本学術振興会特別研究員は日本の学術界発展のために研究へ励むべき人材。日本を学術の振興によって繁栄させ、日本の国力を向上させたいと願う人材を育てる制度なのです。他国のため、あるいは自らのためにD進しようと試みる連中は支援対象外。日本をより良くするために働く気のない人材は選考で弾かれます。利己的な人間の記す文章は他の人から見れば汚れて映る。「学振DCに内定して自分だけ得をしてやろう。日本のことなんか知るか笑」との心積もりが文章へ如実に反映されるのです。いくら申請書へ”日本のために頑張る所存である”と書いた所で、上辺だけの利他的精神だと何処かで必ずボロが出る。申請者の抱く薄汚い魂胆は一瞬でばれ、選考対象外に追いやられてしまうかも。

最近の世の中、あまり余裕がありませんよね。人口は減る一方。税金は上がっていくばかり。自分ひとりが生きていくだけでやっとの方も多いはず。親の介護、奨学金の返済など、明るい未来を想像できないかもしれません。こんな世知辛い世の中だから、”自分だけ得をしてやろう”と考える気持ちも分からなくはありません。しかし、学振DCは日本のためを想って働く気のあるトップ博士学生を支援する制度なんです。せめて申請書を記す時ぐらいは「日本を良くしたい」と本心から願って下さい。「自分の研究で世の中を変える、日本を再び世界の一等国にしてみせるぞ」と思いながら文章を書きましょう。

最後に

学振DC1申請書執筆で犯してしまいがちなミス4選はコレで以上。この記事で挙げた4つの注意事項に気を付けながら申請書を書いてみて下さい。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

カテゴリー

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次