早期修了した感想は?

まずは博士課程早期修了おめでとうございます。公聴会でお疲れのところ恐縮ですが、インタビューしてもよろしいでしょうか?



ねぎらいのお言葉をありがとうございます。インタビューお願いします



では早速始めます
まず、いまの率直な感想を教えて下さい



最高でーーーす!!!



…ありがとうございます笑



すみません、真面目にやります。
嬉しかったです。努力が報われて。やっと終わって。プレッシャーから解き放たれて
早期修了チャレンジの間、数々の困難が待ち受けていました。論文リジェクト、留学失敗、ストレス過剰で喀血する、などなど。トラブルへ見舞われるたびに早期修了がおぼつかなくなります。飛び級ロードの見晴らしが悪くなって不安になってしまいました。おまけに専攻内の早期修了事例はごくわずか。前例のない戦いを完遂させるために大きな労力を要しました



嫌というほど苦労した分、得られた喜びも大きかったのではないでしょうか?



最高でーー… じゃなくて!
そうですね。苦しんだ分だけ、いや、それ以上の歓喜の瞬間が待っていました。達成感が半端ないです。あまりに嬉しすぎて、この喜びをどう表現すればいいのか分かりません
早期修了を目指し始めたキッカケは?



そんな幸せいっぱいなかめさんにインタビューしていきます
次の質問!かめさんの実質的な在籍期間を教え下さい



在籍期間は二年間です。博士一年次と二年次を経て、三年次をスキップして修了しました



そもそも早期修了を目指そうと思ったきっかけは何なのでしょう?



早期修了を志した理由は3つあります。
①自らへ人生史上最大級の負荷をかけて成長を促すため
②大学受験浪人で背負った一年のビハインドを帳消しにするため
③親が還暦を迎えるよりも早く一人前になった姿を見せるため
この3つですね



一つずつ深掘りさせて下さい。まず、①についてお教え願います



所属専攻の博士課程を修了するには「国際誌での査読付き筆頭論文二報以上の出版」が必要でした。自分の場合、その要件をM2の後期にはすでに満たしていたのです



つまり、博士課程では何もせずとも博士号を得られる態勢が整っていた、と



その通りです。何もせず鼻セレブのアザラシのようにゴロゴロしているだけで構いませんでした。しかし、それだと面白くありません。研究したくて博士課程へ行ったはず。研究せずに大学院生活を終えるだなんて寂しいでしょう



己の研究モチベーションを引き上げるにあたって、より高い目標が必要となりました。博士修了要件よりもさらに高いターゲットを設定して乗り越えたかったのです



そんな時に見つけたのが「早期修了制度」。通常よりもたくさんの業績を出せれば通常年限を短縮して修了できるとのこと。指導教員に早期修了を相談した所、査読付き筆頭英語論文五報の出版が必要だと言われました。しかも”博士課程”の間に五報出さねばならない。これはとんでもない業績量です。無理だと諦めるのは簡単でしょう。私は高い壁を見ると心が燃えるタイプ。良いモチベーションになりそうだと思って飛び級に挑戦したのです



現状に甘んじず、あえて高い目標を立てて挑戦しようとなさったのですね
次に「②大学受験浪人で背負った一年のビハインドを帳消しにしたかったから」について教えて下さい



はい
2016年の3月、当時第一志望だった大学に落ちて浪人が決まりました。浪人期間中、現役進学した同級生の姿をSNSで見て、あまりに眩しくて頭がクラクラしたのです。自分が予備校の白い壁に囲まれて勉強している間、奴らは同期の女の子たちとキャーキャー騒いでいる。自分と彼らのあまりのコントラストに愕然とさせられました。悔しさを胸に秘めて猛勉強し、現役時代より受験校のレベルをワンランク下げて合格を掴み取りました



大学では失った一年を取り戻すべく孤軍奮闘しました。しかし、もともと不器用な性分ゆえ、ボーっとしている間に部活やサークルに入りそびれてしまいます。大学でできた彼女にもフラれて独りに。もはや、何もかもが思い通りに進みません。結局、大学に入ってからの八年間で楽しい思い出はひとつも作れませんでした



このまま北大で何もできずに終わるのも悲しい。最後に何かデカいことをやって終わりたい。そこで一念発起。受験生時代に味わった猛烈な悔しさを呼び覚まし、早期修了成功でもって大学受験のリベンジとすることにしたのです。幸い、私の指導教員は、自分が現役時代に落ちた大学出身の方でした。この先生から博士号を取られたならば、間接的に受験のリベンジを果たしたことになるでしょう



もう一度大学受験をするのも大変ですし、どこかで心と折り合いをつけるしかありませんものね…



そうですね
それに、9年も前の話(大学受験)でいつまでもウジウジ悩み続ける人生は嫌でした。「受験の悔しさ解消」と「受験との決別」と「未来へのステップアップ」を同時に叶えられる道を探したのです。自らの希望を満たしてくれる道は早期修了しか見つけられませんでした。他に選択肢があればそれを選んだのでしょう。私の目には早期修了しか見えなかったので早期修了へ挑戦したということです



なるほど…
もう一つ理由がありましたよね。「③親が還暦を迎えるよりも早く一人前になった姿を見せておきたかったから」について教えて下さい



私の親はともに50代後半。父は今年で還暦を迎えます。父の目線で考えてみましょう。自分が第一線を退く年齢になっても子供がまだ学校に通っていたらちょっともどかしいですよね。”さっさと会社で働きなさい”と言いたくなるかもしれません。もしも私が私の親なら「はよ働けや」と言ってしまうでしょう。というか、焦ります。自分の後継者がいつまでも半人前のままだと胸が締めつけられてしまう



決して父に忖度したわけではありません。早期修了は己の意志で決めました
親が60歳を迎える前に学生生活を終わらせようと決めたのです。できれば還暦前に博士課程を終え、会社なり研究所なりで貰える給料で何かプレゼントを贈ってあげたかった。両親としても安心するでしょう。”子供がようやく一人前になってくれた”と胸を撫で下ろすに違いありません



一応、今でも学振特別研究員として独立会計を営んではいます。月20万円の薄給給与で全生活費をやりくりしているのです。とはいえ、学生の身分を引っ提げている以上、親から半人前と受け取られても仕方がありません。名実ともに学生生活を終えなければならない。そのためには博士課程の早期修了が絶対不可欠だったのです
早期修了作戦の全容は?



分かりました
では、博士課程の早期修了に向けてプランを立て始めたのはいつ頃でしたか?



早期修了をぼんやり考え始めたのはM2の前期。具体的なプランを立てたのはM2の後期ですね



具体的にどのような戦略を立てましたか?



一報の論文を書き始めてから脱稿するのにおよそ三か月かかります。論文用データ収集のための実験を考慮すれば半年は必要でしょう。幸い、一報目はM2後期のうちに執筆済み。二報目から五報目までを各学期にひとつずつ記していく作戦を立てました。五報目の執筆は、博士論文作成と同時並行で行うことに。そこでなるべく多くのリソースを博士論文へ割けるよう、五報目をなるべく早めに書き終えられるペース配分をも意識しました



指導教員から五報の執筆を求められている以上、博士課程の二年間で何が何でも五報記し切らねばなりません。五報求められるなら五報書く。仮に六報求められれば六報書きました



研究は事前の計画通りに進みましたか?



いえ。それが、全く思い通りは進みませんでした。博士課程の間に大幅なプラン変更を余儀なくされたのです



分かりました。次回はその点について深掘りしていきます
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