北大と国研で研究している化学系大学院生かめ (D2) です。D2・11月時点で筆頭論文を6報出版しました。
論文執筆は相変わらず大変。毎度のことながら産みの苦しみを味わわされています。しかし、ただ苦しいだけではありません。大変な期間を耐えた暁にはささやかな喜びが待っているのです。良い思いができると知っているからこそ論文執筆に耐えられます。辛い期間が長ければ長いほど、後に味わえる喜びも一層大きなものになっていくはず。
この記事では、自身の経験を踏まえ、論文出版後に味わえる3つの喜びをご紹介します。
- 論文執筆の励みを得たい方
- 論文を書けばどのような良いことがあるか知りたい方
こうした方々にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただければ幸いです。
それでは早速始めましょう!
WEB上に公開された自分の論文をダウンロードするとき
学術雑誌にアクセプトされた論文は、紙媒体で出版されるわけではありません。小規模な学会誌を除き、大半の学術雑誌はWEB上で公開されます。論文を探すにはネット検索一択。ネットを開いて検索すれば、古今東西の科学者が記した無限の論文へと即座にアクセスが可能。論文は最短でアクセプト当日に公開されます。どれだけ遅くとも、受理されてから7日以内にはお披露目されるでしょう。私の場合、今まで出版された6報の筆頭論文はすべて3日以内に公開されました。最短だと即日公開。アクセプトの通知メールの中に論文公開のお知らせまで入っていました。
論文がアクセプトされてまず私が行うのは、自分の論文をダウンロードしてじ~っくりと読むこと。だって読みたいじゃないですか。皆でヒーヒー言いながら苦労して作った成果物を見れば「頑張って作ったなぁ…」と感慨に耽られますから。出版直後はまだ、脳内へ執筆時の記憶がこびりついたまま。指導教員や査読者から大幅修正を食らった箇所を読み直しては執筆当時の思い出を回顧できます。それに、嬉しいんですよ。自分の研究成果を公へ出せるのが。自分が見つけた知見を世界中の研究者へ知ってもらえるだなんてもの凄くゾクゾクします。
研究は、論文にまとめて出版しない限りは『やった』ことになりません。いくらたくさん実験してデータを集めようがダメ。学会で成果発表して何個も名誉ある賞をいただいても意味がない。成果を論文にして出版しない限り、何も研究していないのと同じ扱いなのです。論文として形に残して初めて『やった』ことに。ダウンロードした論文を読んで嬉しさが湧きあがってくるのは、ひょっとすると、”コレでようやく研究を『やった』ことになったわ…”と安堵の気持ちが芽生えるからかもしれません。
第二位:後輩へ「コレを読んで勉強してね」と自分の論文を印刷して手渡すとき
自分の記した論文は、自分の研究を引き継ぐ後輩の道しるべになってくれるでしょう。後輩が実験手法を習得する際、データの見せ方や考察のポイントなどを考える時などで穴が開くほど熟読されます。私も先輩の学術論文を何度も読み返しました。どのような実験データを組み合わせれば論文が出来上がるのかを分析して参考にさせてもらったのです。あまりにたくさん読みすぎたせいか、論文の何処に何が書いてあるかが完璧に頭の中へ入ってしまったぐらい。おそらく先輩以上に先輩の論文の内容に詳しい自負があります。
研究室配属された後輩が研究を始めるにあたって、まずは自分が過去に行ったのと同じような実験をしてもらうことに。実験セルの組み方、データの解析法や考察法などを後輩へ短期間で習得してもらいます。その際、自分の記した論文がすごく役立つのです。大概のことは、関連する論文を読むだけである程度のレベルまでは習熟できますから。後輩へ「コレを読んで勉強してね」と涼しい顔で自分の論文を手渡す瞬間が快感笑。先輩としての面目躍如。普段はひたすらナメられてばかりだけれども、論文の力を拝借し、たまには先輩らしい姿を見せられて嬉しいのです。黄門様の印籠みたいなものですね。え~い、静まれ静まれ!この紋所が目に入らぬかー?!と。
第一位:自分の論文が誰かに引用してもらえたとき
学術論文を執筆する際、イントロやディスカッションパートで他の論文を引用します。NatureやScienceの論文だろうが、1ページで終わる短いLetterであろうとも、全ての論文は他の論文の上に成り立っているのです。
『巨人の肩の上に立つ』ということわざがあります。先人たちの知見を利用して新たな発見や視座を得る行為を表す隠喩。学術研究はまさにこの言葉そのまんま。先行研究無しでは何ら理論を構築できません。たとえ面白い成果を得られても、そのデータが妥当なものなのか、それともただの実験誤差なのかの判断さえ覚束なくなるでしょう。先行研究があるおかげで我々はずいぶんと楽をさせてもらっています。自分の代わりに他の人が明らかにしてくれた知見へタダ乗りする形で自身の研究を迅速に遂行可能。
我々が論文を引用しながらこの世へと産み出した論文は、公開された瞬間から引用される側に。他の研究者の論文完成へ貢献する新しい段階へと入るのです。公開されてから半年ぐらいは引用されないかもしれません。それもそのはず。学術論文が科学コミュニティへ認知されるまでに数か月かかるから。半年が経ち、論文が研究者の目に留まったら引用してもらえます。背景や考察の正当性を裏付ける際に我々の論文が役に立つのです。どのような形でも誰かの役に立てるのは嬉しいもの。初めて記した論文が初めて引用されたときは鳥肌が立つほど興奮しました。
論文出版後はGoogle Scholarで著者アカウントを作っておきましょう。自分の論文が引用されると、Google Scholarから「引用されたよ~!」と通知メールを届けてもらえますから。Scholarさんは引用元の論文まで教えてくれます。どんな論文に引用して貰えたのだろうかと引用元へアクセスして読むのも醍醐味の一つ。引用件数が増えてくると、稀に自分の意図するのとは真逆の解釈で引用されてしまう場合が。わざわざ引用してもらえるのは嬉しいのだけれども、「別にそういうことを言いたかったわけじゃないんだよなぁ…」と画面越しにツッコミを入れたくなりますね。
まとめ
論文出版後に味わえる喜びは、研究室で力を高めていく過程で貴重な励みとなります。WEB上で自身の論文をダウンロードする時の達成感、後輩へ知見を継承するときの誇らしさ、そして他の研究者からの引用という形での認知。本記事でご紹介した3つの喜びは、論文執筆という苦しい過程を乗り越えた先に待つ【報酬】といえます。特に論文の引用は、自身の研究が学術コミュニティに貢献し、新たな研究の礎となっていることを示す証です。論文執筆は過酷な長期戦。乗り越えられれば必ず良いことが待っているので、辛くて投げ出したい時もどうか耐えてアクセプトまで辛抱してみて下さい。
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