博士課程早期修了への道†最終回 ファイナルラウンド・公聴会

目次

公聴会の部屋を出た瞬間に閃いた。自分を狂奔的にしてきたものは「欠乏感」だったのだ、と。

マイナスをゼロに戻した八年間

努力し続けてきたのは「欠乏感」を埋め合わせるため

北大での八年間をひと言で形容するなら『マイナスをゼロに戻した時間』だろう。他人と比べ、自分のキャンパスライフは、圧倒的にマイナス側に振れた状態でスタートした。

自分の母親はよく言えば教育ママ、実情をふまえて形容すれば毒親
幼少期から体罰ベースの教育を受けてきた。何をやっても親が気に食わなければ殴られる。テストで99点をとったら「一点落としてどうするつもり!?」と顔面を力いっぱい殴打された。少しでも言い返そうものなら「誰にお金を払ってもらっていると思っているの?」と首根っこを掴まれて説教。単身赴任中の父に関する愚痴を2時間ぶっ続けで聞かされもした。「こんなひどい子供に育てた覚えはない」ともよく言われたっけ。こんなひどい母親のもとに好きで生まれ落ちたわけではないのだが。

要するに自分は、親から感情のゴミ箱としてぞんざいに扱われてきたわけだ。無償の愛など受けた記憶がない。取引の愛、いや、等価交換の愛だ。何かをしたその見返りに何かをしてもらえる。母子関係はまるで他人のように冷めきっていた。自分の存在自体に価値を見出してもらえた経験はない。黙って座っていたら「役立たず!」と罵られた。浪人時代には「この銭喰い虫が!」とヒステリーを起こされた。

こんな環境で自己肯定感など育まれるわけがない。「お前の存在には何の価値もない」「アンタの行為にのみ価値が見い出せられる」と教えられてきて。

ハッキリ言って、親からの愛情を渇望していた。生きているだけで褒めてもらえるらしい、よその家の子が羨ましくてたまらなかった。母から説教を食らった際、何度か「アンタを他の家の子と交換したいぐらいだわ」と言われたことがある。脅しのつもりだったのだろうか。交換してもらえるなら喜んで家から出て行ったのに。自分の心はそれぐらい愛情に飢えていた。常にどこか満たされず、欠乏感に悩み苦しんでいた。

自らを癒す旅へ

大学進学時、実家を勢いよく飛び出した。毒親と物理的に距離を取って避難した。北大の同級生と話してみて、肉親の異常さを再確認した。周りの子は体罰など受けたことがないらしい。歯型は握りこぶし状に陥没してはいないし、脳障害で断続的に耳鳴りやめまいがすることもないらしい。おまけに、下宿には冷蔵庫や洗濯機があるみたい。自分は両方とも買ってもらえなかったというのに。

あんな親の元に生まれた過去は変えられない。変えられるのなら変えてしまいたい。過去を塗り替えられるのならスッカリ塗り替えたい。けれども、今さら変えようがない。来世では非毒親のもとに生まれてみたい。現世は毒親の子としての運命を背負って生ききってみせる。
これから残り長い人生を歩んでいくに伴い、まずは疲弊しきった心を癒したい。限りなくマイナス側に振り切った状態から少しでもプラス方向にもっていきたい。自分に愛情を注げるのは自分のみ。自己肯定感皆無な自分のことなど、好きになってくれる人が見つかるとは思えないから。

これまで歯を食いしばって頑張ってこられたのは、心の中の欠乏感を払拭したかったから。努力するたびに「どうせ自分なんかが…」との気持ちがよぎる。ネガティヴになりがちな自分から卒業するための修練である。なりふり構わず、理屈抜きで、がむしゃらに無我夢中で突っ走ってきた。傑出したスキルをつけて自信にしたかった。努力が報われる経験を通じて前向きな気持ちを育みたかった。少しでいいから自己肯定感を得たかった。自分で自分を認めてあげて、欠乏感を埋め合わせて楽になりたかった。

努力のおかげで心境に変化が訪れた。満たされぬ気持ちが少しずつ薄らいできた。成果を出すたびに嬉しさが募った。陸上競技にブログに研究。コツコツ続けてきた努力が報われてガッツポーズを作ることもしばしば。

とはいえ、自己肯定感が上がり切りはしない。素晴らしい”英才教育”による副作用だろうか。喜びの源泉に毒親ブラックホールが接近し、歓喜が少しずつ吸い取られていく。成果を出し続けているうちは大丈夫。喜びの源泉が枯渇することはない。成果創出ペースが緩んだ瞬間に問題が起こる。喜び収奪速度の方が上回って、あっという間に源泉が枯渇して自己肯定感は右肩下がりに落ちていく。

幸せの在り処はいずこ

己の幸せはどうすれば確約されるか。その答えも公聴会で見つけられた。

幸せの在り処は自分で作り出せる。自分の喜びを源泉徴収してくる毒親ブラックホールを、宇宙のはるか彼方まで蹴り飛ばすことで自ずとやってくる。毒親の存在へ過度にとらわれてはいけない。親の支配の及ばぬ所で親の存在を忘れてのびのび暮らせばいい。しかし、どうすればそのようなことができるだろうか。自分の身体には骨の髄まで『英才教育』の成果が染み渡っているというのに。

キーポイントは「過去の清算」だ。

あの家庭に生まれ落ちた過去。暴力を振るわれ傷ついた過去。浪人中にいびられた過去。呪縛が幾重にも絡みついた我が負の歴史を一閃しなければならない。自分の人生を自分で切り拓く覚悟を持つ。自らの意思で、自らの進みたい方向へ、好きなタイミングで舵を切る勇気を持つ。過去にとらわれず、未来を恐れず、いま、この瞬間へスポットライトを浴びせる。『いま』しか見るな。視線を逸らすな。

『いま』へ100%集中するには、過去へ決着をつける必要がある。過去をリセットし、未来を歩む勇気を得ることでようやく『いま、ここ』を生きられる。

欠乏感を埋め合わせるラストピース

これまでの人生では様々な目標を乗り越えてきた。

中三では国体馬術競技で勝った。浪人期には毒親からの猛烈な圧力を耐えしのいで北大受験を次席でパス。B3では、25km地点から両脚を痙攣させつつも、17km粘ってフルマラソンを2時間59分で走り切った。M2では学振DC1、ビッグジャーナルアクセプト、100kmマラソン完走などを成し遂げた。D1では、自分だけでかき集めたお金を使ってオックスフォードへ留学に行った。D2では研究の合間をぬって練習を重ね、マラソンタイムを2時間42分にまで短縮した。

過去に立てたどの目標よりも大きくて難しい、壮大なチャレンジが博士課程早期修了だった。

要求された業績の多さもそう。SOSを発信しようが誰も助けてくれぬメンタル面での試練もそう。早期修了の前例は皆無。この二年間、ずっと手探りだった。標準年限修了者の三倍は苦労したのではなかろうか。ストレスで心臓の拍動が不整脈ぎみになった。学会発表中に何度か脈が飛んで卒倒寸前になった。心身における困難をなぎ倒してきた。もっと賢いやり方はあったはず。脳筋気味な自分のアタマでは力業の勝負しか思いつけなかった。

博士課程を早期修了する。飛び級すれば暗い過去を清算できる。浪人で背負った一年の遅れを学生時代の最後に挽回できる。何の思いわずらいもなく会社員生活へと移行できるだろう。
早期修了とは、小さい頃に植え付けられた欠乏感を埋め合わせるラストピース。是が非でも達成しなければならない。全てを懸けて、何を犠牲にしてでも勝ち取りたい称号だ。過去最大級にハードな挑戦だった。追い込みすぎてもう死ぬかと思った。イチイチめげている暇はない。数多の苦難に足元をすくわれ転倒しつつ、這ってでも前進しなければならぬ理由があった。

北大入学から八年を経て、努力の積み重ねによってマイナス時代を終えた。ようやく感覚的には状態をゼロにまで巻き返せた気がする。あとひと踏ん張りで人生がプラス側に振れる。人生で初めて自らへ何かを上積みできる。今まで、人生がプラスの状態だった記憶がない。親から無神経に押し付けられた莫大なマイナスをゼロに戻す作業ばかりしてきた。プラスの状態だなんて想像もつかない。楽しいんだろうな。きっとウハウハなんだろうな。まともな親の元で育てば物心ついた時から味わえていたであろう心境へ、だいぶ遅めだったけれども27歳2か月にしてやっとたどり着いた。

自分は今日、11名の審査員を相手にして、漆黒の過去を清算するために戦った。悔いはない。精いっぱいやり切った。これでダメだと言われたらどうしようもない。自分に早期修了がふさわしくなかったのだと思うしかない。実力通りの結果を出せたと思う。アレ以上の出来の発表は無理だ。あとは投票集計の結果発表を待つだけ。合格か、もうあと一年間か。頼む。過去を清算させてくれ。

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