博士課程早期修了への道†最終回 ファイナルラウンド・公聴会

目次

合格

公聴会から30分後。会場から出てきた指導教員に告げられた。

指導教員

あぁ、OKだって

かめ

合格ってことですか?

指導教員

うん、おめでとう

塩ラーメンみたいにアッサリ告げられた。淡白すぎてあやうく聞き逃す所だった。合格ってことは、、、合格ってことか(←進次郎?)。早期修了、成功でいいんだよね?一年短縮修了、、だよね?ひょっとして、浪人で背負った一年のビハインドを挽回できたの?引っ越しの用意を始めてもいいの?四月から広島で会社員になれるの?去年買ったサンフレッチェのシーズンチケットで一年中サッカー観戦できるの?

実感が湧かなさすぎて喜べない。自分が来年度から【博士】を名乗るのがどうにもまだ信じられない。これで何もかもから解き放たれたはず。明日以降は大学へ行く必要がない。しかし、まだまだやるべき仕事が残されているように感じられる。スッキリとしない。釈然としない。全くもって現実味がない。

”もう一年博士課程をやるか”と問われたら6.626×10-34 sで断る自信がある。あと一年耐えられるだけの余力はどこにも残っていない。そもそも自分はこの二年で全てを出し尽くす想定のもと走ってきた。三年目用の体力はハナから持ち合わせていない。二年で無理なら退学するつもりだった。三年目など考えられない。二年でもう限界。

私が立っているのはフルマラソンのフィニッシュ地点。自己ベストを大幅更新して、蒼穹の空を眺めてあおむけにぶっ倒れている。精根尽き果てて言葉を発せない。「あと21km走れ」と言われても無理だ。博士課程でこれ以上、前に走っていけるエネルギーは残っていない。ありとあらゆるものを懸けて、全てを出し尽くしで飛び級に挑んだ。学位審査会から合格を勝ち取った。力づくで過去を清算した。

自分は、博士課程早期修了を達成した。

早期修了の代償

本当に早期修了する必要があったのか?正直なところはあまりよく分からない。

仮に心の傷を別の方法で癒せたならば飛び級を試みる必要は無かった。飛び級しなくて済んだならどれほど楽に過ごせたことだろうか。「業績、業績!」と鼻息荒くしたくなかった。研究の本質的な価値を追求したかった。他の人と同様、三年間かけてじっくり研究を深めたかった。だったら三年やればいいじゃんと言われても困るから難しい。

博士候補生時代の私にとって、研究は早期修了のための手段に過ぎなかった。指導教員に課せられた業績要件「筆頭論文五報出版」を構成する道具としてしかみなせなかった。研究の深化へ頭を使えなかった。論文出版へ迅速にこぎつけられる、論文出版に最適化された思考回路が養われただけだった。業績は出せた。論文を書くのも得意になった。肝心の研究は深められなかった。狭く・浅くやってきたような感じ。広く・深くを目指してきた。事態はなかなか目論見通りに運ばなかった。

この二年間は常にカリカリしていた。論文出版以外のことを考える余裕はなかった。D1の後期は四回連続リジェクトを経験。ストレスで頭が大爆発した。ついには研究が嫌いになってしまった。研究が好きでD進したはず。研究嫌いになって修了するのは本意ではない。

博士課程早期修了は、人類の経験しうる中でもトップクラスに過酷な挑戦。超難関突破を目指す以上は何かしらを犠牲に捧げなければならない。
自分の場合、代償は「知的好奇心」だった。研究で味わえるはずの歓びが根こそぎ失われた。研究の楽しみを犠牲にしたからといって対価を得られる保証はない。飛び級チャレンジが失敗に終わって何もかもを失う可能性があった。命からがら早期修了の栄誉を得られた。一兎を追って一兎をしとめる。狩猟の途中でポケットから宝物を落としはしたけれども。

博士課程早期修了は、D進を決めたM1後期から目指してきた。はるか遠方へかすかに見える光を目指して歩んできた。今日、念願の飛び級を達成できた。所望の果実を手中に収められて嬉しくないわけがない。早期修了できて感無量。時間が経ち、現実味を帯びるにつれ、徐々に博士号を得た喜びに包まれるだろう。

自分に課せられた「使命」とは

早期修了は自分が本当に欲しかったものなのか。先ほども述べたが、欠乏感を埋められる別の手法があれば早期修了しなくても良かっただろう。そもそも、欠乏感さえ生じなければ、わざわざここまで苦労せずに済んだはず。友達の輪に加わって歓談し、部活やサークルに入って恋人を作り、企業就職する普通のキャンパスライフを送れたはず。私の人生が狂った諸悪の根源は、幼少期に受けた理不尽な”英才教育”にある。体罰や暴言で何もかもがおかしくなった。まともな親の元で愛情を受けて育っていれば楽しく過ごせたはず。

自分は今日、過去の呪縛から解き放たれた。暗い歴史を碧落一洗して未来を歩む用意を整えられた。残りの人生で課せられた使命とは、私よりも幸せな人間を一人でも多く生み出すことではないか。

自分へ可愛くて素敵なお嫁さんができたとしよう。あまりにも非現実的な仮定だが、仮説は仮説なので何の問題もない。さらに、二人の間に子供が生まれたとする。もはやSFと言っても過言ではない。まぁ、妄想するぐらいなら特に問題はないだろう。

自分が子供を授かったとして、その子にはありったけの愛情を注ぎたい。自分が親から大事に育ててもらえなかった分、自分の子供だけはしっかり大切に育てたい。暴言だなんて考えられない。体罰なんて問題外。親なら親らしく振る舞わねばならない。暴力ぐらい理性でコントロールしろ。自分は親になる資格があるはずだ。身体的にも精神的にも理性を張り巡らして歴史を刻んできたから。

親から私に伝播した「毒」は、毒親の元に一人っ子として生まれた私が責任をもって撲滅する。連鎖はさせない。自分の代で圧殺してみせる。自分より下に続く家系は、愛に満ちあふれて幸せいっぱいなものにしたい。自分が新たな系譜の出発点だ。自分が子供の代わりに致死量の毒をかぶって、身を挺してでも毒の連鎖を止めてやる。Ph.D.とは、使命を自覚した人間のこと。専門バカの別称ではない。自分に何が課せられているかを認識し、やるべきことを粛々とやり遂げてみせる仕事人のことである

エンディング

これまで全13回にわたって、博士課程早期修了への道をお送りしてきた。

今回の記事が最終回である。ハッピーエンドで終われて安堵した。留学失敗や連続リジェクトなど、メンタル崩壊した場面は数知れない。早期修了どころか退学の危機に陥りかけたことすらもある。嘔吐、喀血、精神不調にともなう号泣など色々あった。全てを乗り越えて最後まで走り切れた。自画自賛で恐縮だが、試練を乗り越えられた自分がとても誇らしい。ホンマ、よく頑張ったな、自分よ。

博士課程二年間を通じて、人生についてじっくりと考えられた。徹底的に過去と対峙した。国内外の文学作品を読んで思索にふけった。飛び級成功でもって苦しみを終わらせられた。おまけに人生の使命も見つけられた。

博士課程の最後に課せられた宿題がある。【D進を選んだ自身の決断を何が何でも正解にしてみせろ】というものだ。

大学院の同期の大多数は修士就職を選んだ。自分は四人の同期と一緒におそるおそる博士課程へと進んだ。「D進して本当に良かった!」と言える素晴らしき人生を歩みたい。茨の道を歩む決意をした己の意志と勇気を踏みにじったらダメだ。
人生の岐路へ立ったときに考えるのは「正解はどの道だろうか?」との問いではない。どちらの道を選んでもいい。どの道へ、どの方向へ進んでいくにせよ、己の歩んだ道を正解にしてみせるのが人間の理想的な姿。地獄の底まで堕ちたっていいじゃないか。地の果てから断崖絶壁を血だらけになりながらよじ登ればいいだけの話。正解か不正解かを決めるのは自分。自分が正解だと思える人生ならそれでいい。

私は工学博士ではない。意志と決意と実行力とを兼ね備えたPh.D.である。今後、如何なる試練に見舞われても乗り越えていける。絶対大丈夫。進んできた道を正解に変えられるだけの力はある。人生を生き抜く覚悟はできた。さあ行こうぜ、どこまでも。何でもかかってきやがれってんだ。

今日から第二の人生をスタートさせよう。挑戦はまだ、始まったばかり。

命賭し 二年を駆けて 得しものは
胸に輝く 博士の誉れ

博士課程早期修了への道、ここに完結

1 2 3

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

カテゴリー

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次