博士課程早期修了への道†2 第一志望の企業に内定。院脱出まであと1年と1か月

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第一志望の企業に内定。博士修了後の進路は定まった

2/12、Teamsにて企業の最終面接を受験。手応えは微妙。(こんなものかな)と納得する気持ちもあれば、(あそこはもうちょっと工夫して言えば良かったな…)と後悔を感じた部分もあったかな。面接終了時、『結果は7~10日後にお伝えします』と言われました。その言葉を真に受け、翌日からは就活を忘れて論文執筆に没頭していたのです。そうしたら面接から4日後、2/16に企業から連絡がありました。『ぜひウチに来て下さい』と内定メールが届きました。研究室の自分のデスクの前で海老反りになって大喜び。第一志望の企業から内定を貰えて万感、最高!!!といった感情。

これまで経てきた進路選択ではことごとく第二志望の場所へ振り分けられていました。小学校受験、中学校受験、そして大学受験と全て第二志望の学校へ進学。当然、進学先では全く楽しい思いを味わえません。北大入学後なんて酷い。M2の10月まで六年間も(なんで北大なんか行かなきゃいけなかったんだろう…)とズルズル後悔していたぐらいですから。希望の叶わぬ人生だったがゆえ、胸の内に宿された反骨心は人の二倍、いや二十倍はあります。「今度こそ、次こそは望み通りの結果を手に入れるぞ」と【結果を出すこと】に執念を抱く日々。”怠ることなく努力を積み重ねられた”点に関してだけは自分の不運に感謝。もしもこれだけ失敗が続いていなけりゃ、努力の灯火はいずれ消えていたことでしょうから。

まぁ、何にせよ、企業の内定を掴めたわけです。博士修了後の無職を回避し、来年から遂に極貧生活を脱出できます。ボロボロの服を着なくても済む。穴が開いたら服を買い替え、さらに数枚の余剰分の服も買い揃えられる。サバ缶と玄米だけの囚人よりもみすぼらしかった食事に、キラキラと輝く様々な小鉢を追加して栄養満点の生活ができる。なんて幸せそうな豊饒な日々が待ち受けているというのでしょう。一刻も早く企業に勤め始めたい。学振特別研究員の称号が霞んで見えてしまうほどの素晴らしい新世界へ。

私の大学生活のゴールが『2025年3月』と明確に定まりました。長い長い学生生活もあと1年と少しでおしまい。なかなか希望の見えなかった博士生活に一本の強烈な光が差し込みました。あそこに向かって突き進めば終わる。あの灯りの下までたどり着けたら解放される。『就職』は地獄の始まりかもしれない。いや、少なくとも今よりかは楽だと思う。だって働くだけでお金を貰えるんだもの。休んでもお金を貰える(有給)んでしょう?土日に働かなくたって済む。月間100時間以上の残酷残業生活から、月20時間未満残業の超絶ホワイト生活に!光の差す方へ駆け抜けろ。もう二度と道に迷わぬよう、レイラインに沿って、慎重かつ全速力で突き進もう。

肝心の論文執筆について

2025年3月、私にとって博士二年次に博士課程を早期修了するには、フルペーパーかつ筆頭論文をあと三報出版する必要があります。三報のうち二報はアクセプト、一報は少なくとも投稿中でなければなりません。いくら就活を終わらせられたといっても、規定本数以上の論文を出せなければ早期修了できない可能性があるワケです。それはマズい。もう二度と立ち直れないほどのダメージを受けてしまう。コレまで頑張ってきた自分に”第一志望の企業への就職”というご褒美をあげたい。どのような形でも早期修了までこぎつけ、来年の4月から企業で極楽生活を味わいたいのであります。

一報目の論文 (A報)が査読に回った

私を早期修了に導いてくれる論文をそれぞれアクセプトされる順にA報、B報、C報としましょう。

昨年8月末に投稿を開始したA報は、投稿雑誌を変えつつ四回連続でリジェクトを食らってしまいました。M2の10月にインパクトファクター (IF)24の雑誌にアクセプトされた論文でさえ連続三回までのリジェクトだったのに。リジェクト記録、更新ですね♪ 全然嬉しくないのだけれども。これまで四回リジェクトされた雑誌のIFは14→18→10→9といった形。そこそこ格式のあるジャーナルを狙い、ものの見事に撃沈されてきました。一度や二度のリジェクトならへこたれない。流石に四回もリジェクトされたら(この論文に大した価値は無いのかな…)と落ち込んでしまいます。指導教員と話して下した結論は『我々はどうも抱いた夢がデカすぎたようだ』というもの。次に投稿するジャーナルはIF5前後の標準的な雑誌に決めました。

2/7。A報、五度目の出陣です。次こそはアクセプトされて貰いたい。いや、アクセプトされてくれなくちゃ困る。早期修了が頓挫してしまうじゃないか。A報投稿からおよそ一週間後、A報が無事に査読へ回された旨を指導教員から教えてもらいました。とりあえずひと安心ですね。今までエディターの壁さえ突破できずにリジェクトされてきたのだから、”専門家による査読に回されただけでも大進歩”と言って良い。査読結果はおよそ一か月後に判明するそう。春休み中には大勢が決着するでしょう。

二報目 (B報)の論文執筆が完了。原稿を英語化すれば完成

A報のアクセプトを待ってB報の執筆を始めていては間に合わなさそう。A報のアクセプトを信じながらB報の執筆を粛々と進める必要があります。B報は随所でA報の結果を引用しなければ完成させられません。だから早くA報がアクセプトされてくれなくちゃ困るんだけれども、査読プロセスに文句を言ってもどうにもならないから仕方がありません。前の論文の決着がまだ着いていないにもかかわらず、次の論文に着手するのはあまりにも気持ちが悪い。私はマルチタスクの出来ない人間。頭の中でA報とB報の話が撹拌されて訳が分からなくなるのです。そうは言っても書くしかありません。とにかく何か書かなくちゃ早期修了を手繰り寄せられないのだもの。頭の中の混乱状態を毎日交通整理して執筆に取り掛かります。疲れたらYouTubeでヴァイオリンを聴く。起きて、書いて、聴いて、食べて、また書いて、食べて、少し書いて、そして寝る…の繰り返し。

毎朝5時に研究室へ行って論文を書く生活を3週間ほど続けました。超絶怒涛の突貫工事のおかげでB報の日本語原稿が完成。こんなに早くB報が出来上がるとは私自身、思ってもみませんでした。もうあと2~3週間はかかると踏んでいたのだけれども、気合と執念の相乗作用が論文執筆を加速させたのでしょう。指導教員に見せた所、『まぁ、コレでいいんじゃない?』といった感じ。共同研究者さんにもメールで送り、現在は原稿を見てもらっている状況です。原稿を英語化するのはカンタン。日本語をDeepLに放り込み、それをChatGPT4.0にぶち込み校正してもらえば完成。直接GPTに放り投げてもいいかもしれません。英語化完了まで一週間もかからないんじゃないかな?A報アクセプト後、直ちにB報を発射できるよう準備しておきましょう。

内定のおかげで生活にハリが出てきた。怒涛の勢いで早期修了に向けて突っ走る

昨年10月から始まったオックスフォード大学への留学以来、どうも自身の運気が停滞気味で何をしても上手く行かない状況でした。自分でも驚くほどの失敗続き。”何もしない方が良いんじゃないか”と努力を放棄しかけた所だったのです。一時は大学院を辞めようとしていたぐらい。留学を楽しみにして博士進学を志したにもかかわらず、あんなに辛い思いを味わわせられたらもうやってられねぇよ、って感じ。

辛くて長いトンネルの突破口を企業への内定で見出せた気が。閉塞感を打破し、進むべき方向を定め、ゴールに向かって突っ走る勇気が体の奥底から湧き上がってきました。まだやれる。まだ頑張れる。ハナク…じゃなかった、オックスフォードに引導を渡されてたまるかってんだ。【打倒・オックスフォード】を旗印に掲げ、内定後の極楽生活を想起して心の滋養にする。そうしたらいつの間にか生活にハリが出てきました。生きるのが楽しい。死ななくて良かったな。もう少しだけ頑張って生きてみようかな。企業内定がもたらしてくれた運気の転換に乗じ、これから怒涛の勢いで早期修了まで走り切ってやろうと思っています。

オックスフォードよ、ワシの生き様を刮目して見よ。困難にぶち当たり、それを血まみれになってでも真正面から突破していく姿を。

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