研究とマラソンの似て非なる所【研究生活はウルトラマラソン】

世間では「研究とマラソンは似ている」と言われています。辛くて長い道のりを乗り越えた先に感動のフィニッシュが待っているのだ、と。

一見すれば、その通りに感じます。マラソンも研究も乗り越えた時の達成感は半端ないです。しかし、フィニッシュに至るまでの過程は似て非なるもの。北大では研究活動を五年、ランニングを八年やってきました。ハッキリ言って、研究とマラソンは全く似ていないなと感じました。

この記事では、研究とマラソンはどう違うかについて、実体験を踏まえて解説します。マラソンランナーや研究者さんにピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧下さい。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

マラソンのフィニッシュラインは動かない。研究のフィニッシュラインは何度も動く

マラソンと研究の決定的な違いは、フィニッシュ地点の固定の有無にあります。

フルマラソンではゴールが動きません。スタートから42.195km先に必ずゴールが待っています。勝手に距離が延ばされたら大変なことです。ペース配分やエネルギー補給戦略が全て崩れてしまうでしょう。「速いね! ついでにもう10km!」とは言われません。わんこそばの要領でカジュアルに距離がホイホイ延ばされることはない。走行距離が決まっているからこそ、綿密に練習計画を立てられます。”相手の都合で距離を延ばされることはない”との信頼があるおかげで本気を出せるのです。

対して、研究の場合、ゴールが目まぐるしく動きます。当初定めていた研究目標が、研究をやっていくうちに形を変えていくことなど日常茶飯事。頑張れども頑張れども終わりません。終わったと思った瞬間にはまた別の目標ができ、それをクリアしたらまたすぐ次の課題が出てくるラットレース。フィニッシュ地点がどんどん後ろに延びていってなかなかゴールできないのです。真のゴールは、研究者を辞めるとき。定年退職か、あるいは気力が尽きて途中でドロップアウトするか。

研究者が論文出版を試みる場合、学術雑誌から投稿原稿がリジェクトされて突き返される場面も。最悪ですよ。あれだけ一生懸命書いたのに。マラソンではこのような辛い目に遭いません。出走してゴールすれば必ず完走証を貰えます。マラソンはある程度のレベルまでなら努力した分だけ結果が出る。研究は努力と成果が比例しない修羅の世界。

研究の過酷さはウルトラマラソン並み

フルマラソンよりも長い「ウルトラマラソン」という競技があるのをご存じでしょうか? 日本で一番メジャーなウルトラは100kmです。実のところ、日本は100kmの世界的強豪国。毎年、100km世界選手権で日本人が優勝争いしています。2018年まで男子の世界記録は日本人が保有していました。女子の世界記録は2025年の現在も日本人のものです。

私はB2とM2の時に沖縄で100kmマラソンを完走した経験があります。B2の頃は70km過ぎで体力が尽きて10時間19分でフィニッシュ。しっかり練習して臨んだ二度目の挑戦では、ちゃんと最後まで走り切れて9時間1分にてフィニッシュ。どちらのレースも本当に大変でした。足はボロボロになるわ。エネルギーは枯渇するわ。「どうしてわざわざお金を払って沖縄でこんな辛い思いをしているのだろう」と笑えてきました。ウルトラはフルほど楽には走り切られません。ジョギングペースなら楽に40km走れる私でも、50km超えの走行距離となると練習を躊躇してしまいます。

研究はフルマラソンよりもウルトラマラソンに似ているでしょう

研究は走れども走れどもフィニッシュが見えてきません。気力が尽きてもまだあと4割ぐらい(5割以上?)距離が残っています。足が動かなくなっても前へ進まねばなりません。手を抜いたが最後、他の研究チームに先を越されて論文を出せなくなります。絶望の淵に追い込まれ、執念と意地だけで突破口を探ります。何度打ちひしがれても、どれほど疲れていても、くたばることなく前進を試みるのです。

研究活動のグロッキーさは、ウルトラマラソンと似たようなもの。「研究」と聞くと華やかなイメージがあるかもしれませんが、実際はものすごく泥臭くてドロドロとした世界なのです。

研究生活は、マラソンというよりも「インターバル走」

陸上競技には「インターバル走(緩急走)」なる練習法があります。速く走っては休み、また速く走っては休息をとる走法です。決してサボっているわけではありませんよ。心肺機能を効率的に引き上げるためのシリアスランナー御用達メソッドなのです。

速く走ったら呼吸が苦しくなるでしょう。全力で何kmも続けて走ることはできません。しかし、速く走って心肺を鍛える時間は長く取りたい。そこで、適宜休憩を入れつつ、間欠的にハイペースで走る。練習全体を通しての高速走行時間を長く確保するのです。

ダッシュしては休み、またダッシュしては休む。この練習をするたびに(研究生活と一緒だな)と感じずにいられません。

研究生活は締め切りとの闘いです。フェローシップ申請書の提出期限を目指して全力で文章を書き上げる。学会発表前には発表用の成果を出すべく実験をやりまくる。少し落ち着いたと思ったらすぐ雑用が降ってくる。休んでは走り、また休んでは突っ走る… そもそもの仕事量が膨大な以上、たとえどれほど懸命に仕事を処理しようとも次から次へとタスクが山積します。休める時間はほとんどありません。週に半日ほど息をつくのが関の山ではないでしょうか。

まとめ

世間一般では「研究とマラソンは似ている」との見解が広く共有されています。確かに、双方ともに長期的な努力と忍耐を要する営みです。しかしながら、実際の経験を踏まえると、その本質は大きく異なると言わざるを得ません。マラソンにおいては42.195kmという明確なフィニッシュラインが設定されています。一方で研究の場合、目標を達成した瞬間に新たな課題が浮上し、ゴールは絶えず後退していくのです。

私見では、研究はむしろウルトラマラソンに近い性質を有しています。研究では、過酷な距離に挑戦するウルトラマラソンのごとく、終わりの見えない厳しい戦いを強いられるでしょう。時として挫折を味わい、それでもなお前進を余儀なくされるのです。実際、その過酷さはウルトラマラソンに匹敵する、あるいはそれ以上と言っても過言ではありません。

さらに、研究生活がインターバル走的な性格を持つ点も忘れてはなりません。締切に向けて全力を傾注し、僅かな休息を挟みながら、次なる難関へと立ち向かっていく。この繰り返しの中で、休息の時間は極めて限定的なものとなります。

以上の考察から、研究とマラソンは本質的に異なる営みであると結論付けられます。両者とも価値ある挑戦であることに疑いはありませんが、その性質は大きく異なるのです。

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