基礎研究をやる意義について、現役博士課程大学院生が考えてみた

こんにちは!札幌と筑波で蓄電池材料の基礎研究をしている北大工学系大学院生のかめ (D1)です。研究室配属以来、学会や就活、両親との会話の中で「貴方のやっている研究は何の役に立つのか?」と頻繁に聞かれてきました。その質問に対してこれまで満足に答えられた経験がなく、いつも「まぁ、何かの役に立つでしょう…笑」とお茶を濁して気まずさを覚えてきた次第であります。

この記事では、基礎研究をやる意義について考えてみたいと思います。

  • 自分が研究をやる意義について一緒に考えてみたい方
  • 「何の役に立つの?」と聞かれて上手く切り返せない方

こうした方々にピッタリな内容なのでぜひ最後までご覧ください。

かめ

それでは早速始めましょう!

基礎研究と応用研究との間に明確な境目はありませんが、本記事では境界が”ある”ものとして文章を記して参ります。

目次

基礎研究は、20年・30年後の未来を豊かにするためのもの

基礎研究と応用研究とを比較したとき、多くの方は応用研究の方が (役に立ちそう♪)とお考えのはず。かつての私自身もそう。ココで言う『役に立つ』とは”数年後に”役立ちそうという意味であります。成果が直ちに実用化し、社会を目に見える形で変えてくれそうということですね。たとえば私のしている蓄電池材料研究の場合、めちゃくちゃ大容量な電極材を見つける応用研究なら実用化への道筋を克明に描ける。それに対し、電極-電解液界面の反応素過程や電解液内部のイオンの移動について考察する基礎研究はいつ役に立つのか目途が立たない。まぁ、超画期的な発見をした基礎研究なら論文出版後すぐ注目されて喝采を浴びることでしょう。しかし世の基礎研究の大半はそうしたNatureレベルのモノではなく、研究遂行者以外が傍から見たら何をやっているのかよく分からない地味な研究が圧倒的多数を占めているのです。

基礎研究が役に立たないかといったら全くそのようなことはありません。応用研究と比較し、役に立ち始めるタイミングが少々遅いだけなのです。応用研究は5年後、ひょっとすると2~3年後の未来を豊かにするためのもの。いま存在する企業のモノ作りを助けるのが応用研究者の仕事。基礎研究は20年や30年、いや50年先の未来を豊かにするためのもの。応用研究の礎となったり未来の新しい学問・産業を萌芽させたりする使命を帯びているのです。基礎研究者と応用研究者とでは脳裏に描く時間スケールがひと桁異なっています。どちらが良くてどちらが悪いといった短絡的なお話をしたいのではなく、どちらの研究も不可欠だ!というのを世間に訴えたいのです。応用研究は現世利益、基礎研究は来世の幸福を願うイメージ。基礎研究ばかりじゃ今の幸せが疎かになるし、かといって現世利益を志す人ばかりだと人類全体の道徳心の総和が目減りしてしまうでしょう?

基礎研究はその成果に加え、高い研究遂行力を持つ人材を育てる狙いがある

基礎研究の存在意義はその成果だけにとどまりません。研究を遂行する研究者の能力を育む狙いもあるのです。応用研究なら当該分野で定められた明確なゴールへ如何に進むかを考えれば済む。当然ながら応用研究には応用研究特有の難しさがあるのだけれども、進むべき方向性が凡そ分かっているのはそれだけで心強いものです。しかし基礎研究は常に暗中模索。どこへ進めば良いか不明瞭なまま手探りで一歩ずつ進んでいきます。目隠し状態で放り込まれた富士山麓の樹海から地図なしで脱出するようなもの。ココはどこ?北はどっち?進路はこっちでホントに合ってる?…などと湧き上がる疑問を解消してくれる人は自分しかいません。そうした前途多難な基礎研究に挑む学生/研究者の研究力は爆発的に向上します。

  • 進むべき方向を定める手がかりを得るためWEB上で血眼になって文献を読み漁る過程で英語力&文献調査力が手に入ったり
  • データの傾向を確かめるべく膨大な量の実験を行うことで体力&精神力&試行錯誤力が増強されたり

と意図せずパワーアップ可能なのです。基礎研究者の持つ知識自体はもしかしたら役に立たないかもしれない。でも基礎研究者が手にした研究力は様々な業界へと転用可能。VUCA (変動性Volatility, 不確実性Uncertainty, 複雑性Complexity, 曖昧性Ambiguity)の時代と言われる不安定な昨今、命懸けで活路を見出してきた基礎研究者の出番は益々増えていくと考えられる。「役立たずの銭食い虫!」と言われるどころか重宝される未来がすぐそこまで迫っています。

基礎研究者側も「○○の役に立ちます!」と最低限説明する責任がある

「基礎研究が役に立たない」だなんて大嘘だとお分かりいただけたかと存じます。ただ基礎研究者側にも「コレは○○の役に立ちます」と丁寧に説明する義務があります。というのも、基礎研究の原資とする科研費は”国費”が財源だからです。自分のお金でやるならまだしも国のお金を使うのですから、研究者当人の自己満足にとどめず研究意義を何とか周囲に理解してもらう必要がある。中には”○○の役に立ちます”と具体的に説明するのが困難な研究もあるでしょう。私自身の研究がまさにソレで、M2の5月に学振DC1の申請書を作り上げるまで (自分の研究は何の役に立つのだろう…)と少し虚無感を覚えていたほど。たとえ研究目的が不鮮明であってもどうにか目的をこじつけねばならない。自分はどんな未来を志向するのか、その研究によりどんな学問/産業が花開くのかなど『ヴィジョン』を語るのが研究従事者の責務であります。

理学的な知的好奇心ベースの研究を「やるな」だなんて全く述べておりません。そんなことを言い出せば私の博士課程での研究がすべて止まってしまいます笑。どんな研究でも本気で探せば実社会との繋がりを見出せるはず。私自身の研究でも、DC1申請書作成まで社会と何の繋がりもなさそうに思えたのに、深く考えてみると研究成果が幅広い分野に波及する可能性があって非常に”役立つ”研究だと分かりました。「何の役に立つの?」と聞かれて答えられるよう、嘘でもいいから「○○の役に立ちます (立つと思います)」と答えられるようになっておくべき。過去の私の如く「まぁ…何かの役に立つでしょう^ ^;」とお茶を濁すとかなり不格好なんですよ。一般庶民の感覚的にも、 (何の役に立つか分からない研究をやりやがって…)と税金が無駄遣いされた心情を抱く。ただでさえ悪い日本の研究者の待遇をますます悪化させることに繋がり、研究費や給与の削減などで自身の首を一層絞める顛末になります。

かめ

私自身、「何の役に立つの?」という質問に深く苦しめられてきて、(何かの役に立たなきゃいけないんですか?)と心の中でいつも思っていました。でも最近、(国費を使って研究する以上、学術的な価値だけではなく実用的な価値をも国民に説明する必要があるな)と感じ始めたわけであります。博士進学を検討するなら”博士研究が何の役に立つのか”と考えてみると良いかもしれない。研究者に欠かせない説明の『こじつけ力』を養う良い契機となります(*≧∀≦*)

基礎研究は”選択と集中”が通用しない。どの分野が花開くか分からないからどの分野の基礎研究にも支援が必要

数十年後の未来を彩り、研究人材の育成にも一役買っている基礎研究。ですが、どの分野のどの基礎研究が日の目を浴びるかなんて誰にも予想できません。今では大フィーバーな蓄電池材料の研究も数十年前までは「何やってんの?」と怪しい目で見られる分野だった。ソレが基礎研究の積み重ねで電池を『産業のコメ』と呼ばわしめるまで地位を高めていったのです。現在、日本政府は蓄電池を始め、AIや半導体、宇宙など成長産業へ資源を集中投資しようとしている。ビジネスで言う【選択と集中】を学術に適用しようとしています。蓄電池研究にお金が回るのだから私としては結構です。実験のため入り浸っている国立研究所には国から数百億円ものお金が毎年入り、組織の末端たる私でさえ実験道具や消耗品を惜しげもなく使える状態。

ということは逆に、国から”成長産業”と認定してもらえなかった数多の産業にはお金が回らなかったわけですね。将来”基幹産業”として日本の屋台骨になる可能性を秘めた分野の大半が見捨てられてしまったという意味。成長産業にお金を回しても人員が足らないゆえお金がダブつく残念なことに。事実、入り浸っている国研の研究者さんはみな口をそろえて「カネより人が足らないんだ…」と仰っています。学術に【選択と集中】を適用しても実業と同様の顕著な成果を見込むことはできませんん。選択された側は参画する国家プロジェクトが増え忙しくなりすぎて研究の質が低下してしまうし、選択されなかった側は研究費が不足してまともに研究が進まないから。学術界と実業界とではまるで事情が異なります。どの分野が花開くか前もって予想できないからこそ、基礎研究の分野を問わない満遍ない支援が不可欠なのです。

最後に

基礎研究をやる意義についてはコレで以上となります。他にも基礎研究の意義については様々あるかと思いますので、皆さんの忌憚なきご意見をコメント欄にてお聞かせいただければ幸いです。

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