北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
研究室在籍当時お世話になっていた指導教員は親切でした。頼んでもいないのに色々な話をしてくれて興味深く拝聴していたものです。研究のこと。留学のこと。進路のこと。色々なジャンルの話をしました。物事に対する観方を勉強できて有難かったです。中には嘘だか本当だか分からないような話も。真面目な顔で「宇宙人と出会ったらゲームオーバーだから」と言い出したときは頭を抱えましたね。この人はいったい何を言っているの? 研究しすぎて頭が変になったのだろうか、と。
冗談はさておき。
大抵の場合、指導教員は真面目な話をしてくださりました。素直に意見を聞き入れたこともあれば、聞き入れず、自分の意見を貫き通した場面もあります。聞き入れた意見が全て真っ当ならば構いません。望まぬ結果を招いたことが多々あったから困りものでした。痛い目に遭うたびに「先生の意見を鵜呑みにしてはダメだな」との確信を深めたのです。結局、最後は自分の頭で考えて判断しなければなりません。
この記事では、指導教員の意見を素直に聞き入れてはダメな理由を解説します。研究室に配属されている学生にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
指導教員の意見には「生存者バイアス」がかかっている


我々が正対している指導教員は、大学教員のポジションをお掴みになられた方々。教員職の獲得競争は熾烈。倍率何十倍ものイス取りゲームに勝たれました。研究力の高さは疑う余地もありません。あの人たちは凄い方々なんですよ。宇宙人だなんだと変なことを言っていても、研究に関してはもの凄い点に変わりはない。
すごい人にはすごいからこその欠点があります。それは、ご意見に生存者バイアスがかかっている所。
教員職を争って負けた方々の中には、先生方よりも努力されてきた人だっているでしょう。しかし、ポジションにありつけたのは先生だけ。先生以外の研究者はみな落ちました。先生の研究キャリアの積み重ね方が唯一絶対の正解というワケではありません。しかし、成功者は成功者であるがゆえ、失敗者の人生が見えません。ポジションに就けず敗退していった方々のやり方を顧みられないのです。そりゃそうですよ。生き残ったのは自分なのだから。自らのやり方を正しいものとみなして当たり前でしょう。
指導教員の話へ耳を傾けるとき注意すべきポイントがあります。彼らの話に生存者バイアスがかかっていると知った上で聴くことです。
大半の博士人材は、私と同様、教員ポジションを掴めぬまま脱落していきます。研究に関しては失敗者の方が多いです。成功者が少数派なのは事実でしょう。また、先生が先生になれたのは「運」もあったはず。そうである以上、先生のやり方をトレースしても先生にはなれない可能性の方が高いです。
我々学生はまだ成功者ではありません。成功するか、海の藻屑として消えるか、まだ何も定まっていないのです。成功者と同様のやり方でキャリアを築こうとするのは危険かもしれません。
指導教員の意見は二十年前の常識に基づいている


皆さんの指導教員は皆さんより何歳上ですか? 20~30歳ほど上の場合が多いかもしれません。ひょっとしたら40歳上の先生がいらっしゃるかも。もはや おじいちゃん ですね。元気なおじいちゃん。世界中を飛び回るアクティヴなスーパー爺。私の指導教員は、自分より22歳年上。ジェネレーションギャップは隠し切れません。20歳以上も離れていれば価値観が全く異なるでしょう。食文化も、聞いてきた音楽も、読んできた本も何もかもが違うのですから。
私の所属元研究室のボスはバブル世代。頑張れば必ず生活が上向く素晴らしい時代を生きてこられました。わが指導教員は就職氷河期世代。昭和生まれの中で最も厳しい時代を生き抜いてきています。我々Z世代に対しておおらかなのは、バブル世代よりも氷河期世代。バブル世代とは話が合いません。努力は報われる? 頑張って働け? 何を言っているのか、ちょっとよく分かりません。
科学技術の発達に伴い、時代の変化はますます加速していっています。昔は当たり前だった価値観があっという間に陳腐化していくのです。バブル世代にせよ、氷河期世代にせよ、彼らの常識は現代の非常識。我々Z世代にとっての常識も数年後には覆っているでしょう。学生が先生の話を聞くときは「二十年以上前の常識を説かれているのだ」と肝に銘じて拝聴しましょう。先生が新しいもの好きで思考のアップデートを続けていても同様。素直に信じてはいけません。昔の常識がバックボーンにあると心得て聴きましょう。
大学の研究室は、社会と隔絶されたガラパゴス。象牙の塔。白い巨塔。ラーメン二郎よりも独特な世界。大学教員は、良い意味で社会と離れて暮らす生き物。目まぐるしく移り変わっている社会情勢に”あえて”追従していません。誰にも煩わされずに研究を進めるのに大学ほどの理想郷は無いでしょう。理想郷は理想郷であるからこそ注意が必要。先生にとっての常識が、いつの間にか、社会にとっての非常識になっている可能性があります。
学生が心掛けるべきことは何か。先生の話を耳に入れつつ、今の常識や自らの価値観と照らし合わせて物事を判断していくということ。どれだけもっともらしい話でもそう。疑わしい話なら猶更そう。先生の話を鵜呑みにしてはいけません。いかなる話を聞いたとしても、一度、自分の頭で考えるプロセスを差し挟むのが賢明でしょう。
最後に
指導教員の話には、貴重な知見や経験が詰まっています。彼らの言葉は、長年の試行錯誤や数々の勝負をくぐり抜けてきた末に語られるものです。だからこそ、耳を傾ける価値はあります。けれども、それだけで判断してしまうのは危うい。
生存者の声には、どうしても見えなくなってしまうものがある。敗れた者の声は、静かに、時に語られぬまま消えていく。そのバランスの悪さを知ったうえで、私たちは、あらゆる言葉を「自分の頭で再構成する」という姿勢を忘れてはならないのです。
時代は変わります。常識も価値観も、あっという間に塗り替えられる。そんな中で、自分の人生をどう選び取っていくのか。決めるのは、自分自身です。どれほど尊敬する先生の言葉であっても、最後に判断するのは他でもない「あなた」です。情報は受け取っていい。決断のハンドルは自分の手に握っておきましょう。


















コメント