【博士課程】「もし修士で就職していたら」と悩んで後悔したとき考えたこと

皆さんへ質問です。これまで生きてきた中で最も辛かったのはどの一年間でしょうか?

私なら、博士課程の一年次を挙げます。全くと言って良いほどいいことが無かったのです。
研究が一年間ストップ。論文が四回連続でリジェクト。B1から7年かけて貯めたお金を使って留学したイギリスでは散々な目に遭いました。

D1の一年間、「もしも修士で就職していれば…」と一億回ほど考えました。博士課程になんて行くんじゃなかった。おとなしく会社員になっておけばよかった。夏に就職組の同級生がOB訪問してきて抱いたモヤモヤ感。彼らは何だか楽しそう。自分とは正反対の面持ちを浮かべていました。

隣の芝は青い。選ばなかった方の人生がどう展開したか想像するたびに苦しくなる。D進か、修士就職か。よくよく考えてD進を選んだはず。なのにどうして今さら後悔するんだ。ウジウジ悩んだって仕方がない。前へ進まなければ博士課程は終わらない。でも……と頭を抱えて悩んでしまう。

この記事では、過去の私のように博士課程で「もしも修士就職していたら」と悩む博士学生へ、私から処方箋を授けます。博士課程で行き詰っている方、博士進学を躊躇していらっしゃる方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

修士で就職していた場合の未来を考える

皆さんが博士進学を考えていたとき、修士就職後の未来も想像してみたかと存じます。修士就職よりも博士進学の方へ価値を感じたがゆえにD進を選んだのです。修士課程の段階では、会社よりも博士課程の方が価値が高かったということ。博士課程修了後の将来に期待感を寄せていたのかも。研究者になる。起業して独立する。皆さんには何らかの夢があったでしょう。自分の望みを叶えられる近道が博士課程だったから、我々は博士課程を選びました。

ここで、もう一つの可能性を考えてみましょう。修士で就職していたらどうだったか、思いを巡らせてみてください

我々が修士就職を選べばどうなるか。就職後、数年間は博士課程へ行けません。修士の間に携わっていた研究テーマへ触れたくても難しいでしょう。そもそも、研究したくてもできないかもしれない。企業の研究職は、博士人材から優先的に割り振られますから。会社の中で研究している博士人材を見て(自分も研究したいなぁ…)と思うかもしれません。会社に入ったが最後、自分の希望を通して研究業務を行えるとは限らなくなるのです。

企業には博士号ホルダーがいます。彼らが先輩になることもあれば、同期や後輩として接する可能性もあるでしょう。博士人材は学士・修士人材と比べ、長く研究に携わってきました。博士号取得条件は、規定本数以上の学術論文出版。博士人材は命懸けで研究してきたのです。その分、思考の成熟度がケタ違い。物事を深く掘り下げて検討する力に秀でています。会社でバリバリ働く博士人材を見て、『博士課程へ行かなかった後悔』が頭をもたげてくるかもしれません。

博士課程は辛いです。それには何の疑いもありません。修士で就職していたらどうだったでしょうか。会社の業務を心から楽しめるでしょうか。博士課程進学への想いが再燃しやしないでしょうか。進学して味わっている後悔と、進学せずに味わうやるせない思いとでは、どちらが辛いでしょうか。私は後者だと考えます。

博士で得たもの・選んだ意味を見つめ直す

当サイトでも、自分で書いていて嫌になるほど「博士課程は辛い」と述べ続けております。博士課程は生き地獄。アツアツの激辛カレーを鼻から漏斗で流し込まれるほどの辛さです。

それでは、博士課程は辛いだけなのでしょうか。何の収穫もない、ただの灼熱地獄なのか。

違うでしょう。それは明確に否定します。
博士課程でも収穫はあるのです。D進して得られたものは数知れません。D進ででしか得られなかった宝物がある。修士就職では得がたい、D進を選んだからこそ手にした濃厚な思い出の数々があります。

先述のように、投稿論文が四回連続でリジェクトされました。留学先では、実験をやりに行ったにもかかわらず、実験を始めることもできずに帰国するハメに貼りました。投稿目前だった学術論文が、論旨の破綻につき全文書き直しになった。予備審査会では、20分で終わるはずの質疑応答が65分も行われた。その他、数えきれないほどのトラブルに見舞われ、全身傷だらけになりながらも、学位をもぎ取ったのです。

博士課程の飛び級を通じて、バイタリティーが超絶強化されました。諦めない力、局面を打開する力、大局観も養われたかな。何より、かけがえのない思い出を得られました。あの二年間の記憶は、自分の胸のうちで永久に輝きを放ってくれるでしょう。

博士課程を乗り越えられたことを誇りに思います。今後、いかなる災厄に見舞われても、「博士課程を乗り越えられたのだから大丈夫だ」と自身へ言い聞かせられるに違いありません。

コスパだけでは測れない価値がある

最近の世の中には「コスパ思考」であふれています。何をやるにせよ、時間対費用を意識して、期待されるリターンを値踏みする人が増えました。

ハッキリ言いましょう。博士進学は修士就職よりもコスパが悪いです! D進してから修了するまで、会社員に金銭面で勝ることはありません。
学振DC1は福利厚生無しで月給20万円。会社員なら福利厚生アリで月給30万円+ボーナス。博士就職後も、累計獲得収入は、40歳付近まで修士人材を超えないでしょう。お金の観点だけから鑑みれば、D進のうま味はどこにも見当たりません。

それではなぜD進を選ぶ人がいるのか。人生を金銭勘定で捉えないからです。

私は「人生はカネではない」と本気で考えています。
当然、お金はたくさんあるに越したことはありません。しかし、お金よりもっと大切なものがあると信じています。思い出。自尊心。友情。恋愛。達成感。お金で買えないものばかりです。

確かに、お金があれば人生の選択肢が広がるでしょう。しかし、我々は選択肢を多くするためというよりも、日々を心豊かに過ごすために生きているのではないでしょうか。もしも博士課程が心の豊かさにつながるのなら。研究や艱難辛苦を乗り越える毎日に充実感を覚えられるならば。会社員生活よりも研究生活が自己実現に至る早道であれば、博士課程進学は素晴らしいチョイスになるでしょう。

D進を選んだ我々は、意図してか意図せずか、カネではなく「心理的充足」を得る人生を選び取りました。博士課程から見出される何らかの価値に期待してD進を決めたのです。それならば、人生の可能性を最後まで信じ抜くしかありません。博士課程在籍中は、コスパだけでは測れない価値を追い求めてください。

博士課程で金銭的な豊かさを求めても、それは無理というものです。であれば、D進前より少しでも精神的に豊かになって修了するのを目標にしてみるといいかもしれません。

最後に

「もしも修士で就職していたら」と考えるのは、逃げでも後悔でもなく、ごく自然な人間の反応です。辛いとき、選ばなかった未来に思いを馳せるのは誰しも同じ。しかし、それは今の道を、それだけ真剣に選んできた証でもあります。

博士課程は過酷な道です。周りから取り残されたような孤独感に苛まれることもあるでしょう。報われる保証もありません。

そんな厳しい環境だからこそ得られるものがあります。試練の中でしか磨かれない力。悩みぬいたからこそ手に入る視野の広さ。そして、「やり抜いた」という誇り。

修士で就職していたら得られなかった出会い、成長、思考の深さ。それらはすべて、博士課程を選んだからこその財産です。

今はしんどいかもしれません。いつかD進を決めたあの日の決断が、自分の人生にとってかけがえのない意味を持っていたと気づく日が来ます。その日のために、自分の歩んできた道を信じて進んでいきましょう。

かめ

どうしても辛かったら、私が相談相手になります。いつでもコメントをお送りください^ ^

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