皆さんは「博士」と聞けばどのような印象をお持ちでになるしょうか? 物知り! 賢い! 変態!… など様々あるかと存じます。
私が博士課程へ進む前、博士に対して抱いていた印象は「勉強好き」というもの。四六時中勉強している人。三度の飯よりも勉強が好き。寝ている間も脳内で自己学習するほど重度の勉強中毒者。
博士課程へ進学後、無事に学位を取って修了しました。私自身が博士(工学)になったわけです。博士課程へ行ってみて、自身が持っていた印象が根本から誤りだったのに思い至りました。博士はお勉強マシーンではありません。ずっと勉強しているわけでもない。博士課程で求められる能力には知識量以外の側面もあります。
この記事では、博士課程や博士号ホルダーに求められる本当の力を解説しましょう。博士進学の検討を加速していらっしゃる方、博士課程での学びを深めたい方にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
博士に求められる力とは


博士に求められる力とは何か。学力は必要。空想力も大切。妄想力は…時と場合によりますね。博士に求められるのは精神的持久力。正解がない中で思考を深め続ける強靭なタフさが求められます。
大学受験までは与えられた問題を解くだけでした。問題に付されている模範解答通りに解ければテストで高得点が取れる仕組み。受験で結果を残せるのは型にハマれる人。定型的思考でもって短時間にどれほど多くの問題が解けるかが重要です。学部に入ってからは解の無い問題を解く訓練を始めます。バイト選び。部活やサークル選び。就職か、大学院進学か。自分の頭で考えて「妥当」と思う方向へ進んでいくのです。
解の無い問いを解く営みは、博士課程に入っても続きます。D進後はより専門的な方面で問題解決へ挑むことになるでしょう。
自然科学に正解などありません。自分の頭で考え、科学的に妥当と思える道を進むしかないのです。研究は毎日が思考活動の嵐。9割が失敗。仮説が根底から崩れ、検証がやり直しになるなど日常茶飯事。思い通りにならぬ現実とどう向き合うか。正解がないなか、何を拠り所として思考を深めていくか。悩むことも多々あるでしょう。立ち止まっては引き返して、袋小路に陥ってむせび泣くケースだってあるかも。手を差し伸べてくれる人はいないです。一人で何とかせざるを得ません。
どんな時も諦めず、粘り強く考え続けられるか。博士課程ではもちろん、博士修了後に研究者となっても【精神的持久力】が常に問われるでしょう。
勉強は前提条件にすぎない


研究は、膨大な知識の裏付けのもと成り立ちます。国産理社など基礎科目の習熟は大前提。英語論文を読む際には言語的素養が必要でしょう。ひらめきが必要なときは、美術や音楽などの芸術的素養もあれば嬉しいですね。研究を行うにあたって、膨大な勉強は前提条件に過ぎません。専門分野だけの小手先な勉強では、先行研究と似たような浅い学究しか行えません。
博士課程以降で行っていくのは、人類の知的領域を外に押し広げること。我々人間が未だ知らない知見を世の中へ報告するのが仕事。”教科書の続きを記す営み”と喩えてみてもいいでしょう。我々の持つ知識の総量を増やす。より明るい未来を創っていくために。
いくら知識があってもダメです。知識があるのは当たり前ですから。大切なのは、手元にある知識を組み合わせてどのようなことをしていくか。何を問うか。どう考えるか。どのように検証していくか。博士人材の仕事は、各々の意識によって付加価値が大きく変わってきます。
博士課程でつまづきやすいのは勉強好きな人。知識の収集は得意だけれども、知識を使って何か新しいことをするのが苦手な人。学部で高GPAを取ったら指導教員から”優秀”と認定されるでしょう。将来性を見込まれて「博士進学したら?」と言われるかもしれませんね。勉強が得意な人ほど進学には慎重になってください。勉強と研究は全く違います。別物のルールで勝負することになるでしょう。勉強では偏差値70でも、研究では偏差値30レベルかも。こういうことがよく起こりうるのが研究の世界の恐ろしさ。自分の実力を冷静に評価して、各々に適切な進路をお選びください。
「知っている人」ではなく「探し続ける人」へ


博士号とは何か。『知の作り方』に習熟した証です。ひとつの分野の専門性を極めて知的遺産を創造できるようになった裏付け。博士号をとれば、研究者として一人前扱いされます。自立して研究できる能力を証明する印として博士号が付与されるのです。もちろん、学位取得直後はまだひよっこ。今後ともおごらず、謙虚に研究へ邁進していく姿勢が欠かせません。
博士課程で育まれるのは、問い続ける姿勢。研究成果はあくまでも副産物。知的遺産を創造する手段を学ぶための場なのです。問う姿勢は日常生活でも役立つでしょう。趣味を極めること。自分の内面を磨くこと。会社で業務効率化を絶え間なく図ること。様々な場面で重宝します。
博士人材に問われるのは、博士課程で養った力を未来へどう還元するか。博士学生には国や大学から莫大なお金が投資されます。一人の人間を博士人材とするまでに何千万円かかるか分かりません。博士人材は、これまで社会から受けてきた支援に応える必要が。社会をより良くするため、自身に何ができるかと自問する人生になるのです。社会に対して自らのアタマで貢献するのが博士人材に課せられているのではないでしょうか。
研究活動を通じて得られた知識や経験は、社会の中で活かされてこそ意味を持ちます。社会から受けた支援に応える形で、知の営みを現実の課題とつなげていく視点が求められます。専門的な探究と、公共への貢献とを両立させることが、これからの博士人材に期待される役割です。博士号の取得は、思索と実践の新たなステージの始まり。積み重ねてきた学びを社会に向けて開き、次の世代や未来の仕組みに手渡していく姿勢を持つことが、博士としての矜持につながっていくのではないでしょうか。



















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