北大博士課程を一年短縮修了した技術開発エンジニアかめです。
博士課程修了後、地元の民間企業に就職しました。表向きの志望理由は「地元に帰りたい」「専門性を活かしたい」。でも、本当は違いました。異国で出会った、運命のような瞬間――それが、私の進路を決めたのです。
この記事では、私が弊社を志望した本当の理由をお話しします。企業就職に関心のある学生さんにピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。

それでは早速始めましょう!
イギリス留学にて


D1の10月から海外留学しました。行き先はイギリス。ロンドンから北西50kmの所にある「オックスフォード」という街へ。半年間の滞在予定でした。オックスフォードにて行いたい実験があったのです。実験を通じて難解な理論を理解する。研究の幅を広げ、博士論文をより豊かなものにすることを目的に掲げていました。
博士課程修了後は研究者になるつもりでした。小さいころから研究者という職業に憧れを抱いていました。世にまだ知られていない知見を次から次へと明らかにする仕事。カッコいい。クールで、セクシーで、ファンタスティック。ガリレオの観すぎだったのかもしれません。いずれにせよ、研究者になろうという意志は固かった。昨今、研究者は国際的な活躍が求められています。イギリス留学を通じて国際性を養い、今後の研究者人生に活かせたらと願いました。
10月2日。羽田空港から直行便でロンドンのヒースロー空港へ。そこからバスでオックスフォードへ。悪夢は、到着翌日から始まりました。
”イギリスへは実験をやりに行った”と述べました。いざ、ラボへ。訪問先の実験室では、実験に必要な設備が軒並み壊れていました。使えそうな装置がありません。実験試料が、ほぼ全て変質しています。最も重要な「グローブボックス」という装置でさえ、穴が開いて中から空気が漏れ出ている状況(ボックスではなくなっている)。強盗にでも遭ったのかなと言いたくなる有様。廃墟です。廃墟も同然。もちろん、これでは実験できません。
実験設備を何とかしなくちゃ。こういう時は、ラボのメンバーに声をかけるのが普通でしょう。ところが、このラボには、日常的に実験室へ足を運ぶメンバーがほとんど居ませんでした。ラボに来ても週一回程度。顔を見せたと思ったらすぐ居なくなってしまいます。であれば、ラボのボスに助けを求めよう。「どうにかしてください」とメールを打ちました。何日経っても返信がありません。日本からはるか一万キロ離れた異国で孤立してしまいました。
まだね、他人のお金を使って留学しているなら、心の慰めようもありました。失われるのは時間だけ。その程度であれば心は傷つきません。私は、身銭を切って留学しました。渡航費で30万円。オックスフォード大学へ在籍料として半年間で100万円弱。家賃は月13万円。その他、諸々の出費を加味すると、留学で250万円程度の出費があったのです。これだけのお金を払って何も実験できない状況に胸が締めつけられました。ため息しか出ません。もう、嫌だ。研究者になる夢が木っ端みじんに砕け散りました。
絶望から顔を上げたその先に


実験室に居た他研究室の人いわく、修理の予定も当分はないみたい。英国滞在中に実験できないことが確定してしまいました。ああ、悲しい。何のために留学したのやら。250万円を返してくれよ。オックスフォードの夜空に向かって虚しすぎる心境をさらけ出しました。
渡英してから、明らかになったことがありました。私が訪問したラボは、資金繰りに苦労している研究室だったのです。ある日、ラボのポスドク女性にボスが「給与の支払いを二か月待ってくれ」と伝えている光景を目の当たりにしました。あっ、ここに長く居てはいけない。本能に備わる逃走スイッチが入りました。半年間の滞在予定を2か月半繰り上げて帰国することに。
帰国日を定めた直後、猛烈な絶望感が襲ってきました。自分は、クズだ。何の価値もない。イギリスまで行って何も成し遂げられなかった。あれほど酷いラボを引き当てた己の運の無さといったらもう。北大の研究室の皆にどのような顔をして会えばいいのだろう。自分の居場所は、世界のどこにもない。
どうせオックスフォードのラボに行っても何もできません。なんせ、実験設備が全て壊れているのですから。かといって、帰国までしばらく時間があります。いったい何をして暇を潰せばいいのやら。街中はクリスマス休暇で活気に満ち溢れていました。自分の境遇があまりに惨めでなりません。気を緩めたらすぐ涙があふれ出てきました。留学って、こんなに虚しいものなの…?
オックスフォードの街をあてもなく歩きました。放心状態で、ただブラブラする。歩いて時間を潰す。目的地はありません。お腹が空いても知らんぷり。一日一食。一食ですら、食べるのが億劫だった。
ある日。いつも通り、街中を徘徊しました。どこを通ってそこにたどり着いたか分かりません。気が付いたら、郊外の格安スーパーの前に居ました。せっかくだし、何か買って食べようかな。バナナとキウイを購入しました。お店を出て、道端に座ります。落ち込んでいるとき口に入れるものは、どんな贅沢品でも美味しくありません。どうして果物を買ったのだろう。自分って、バカだな。ますます絶望しました。
暗い気持ちを立て直す。重い腰を上げ、どうにか立ち上がった。さあ、家に帰ろう。帰って、寝よう。顔を上げると、そこには、見たことのあるエンブレムが。地元・広島の某企業がオックスフォードにディーラーを構えていたのです。驚きすぎて言葉を失いました。えっ、ウソ、は? マジで……!?
留学から帰る直前は、人生で最も苦しかった時期といっても過言ではありません。大学受験浪人期よりも辛かった。浪人なんて比にならぬほど、身も心もボロボロになっていたのです。打ちひしがれていたとき、故郷の存在を思い出しました。広島の企業が、オックスフォードでも頑張っている姿を目にして。何だか胸が熱くなってきた。自分の居場所は、ここにあるのかもしれない。
行くしかないと思って、即・応募


オックスフォードで果たした出会い。まさか、この街で地元の企業を見るだなんて。「運命」というほか無いでしょう。日本の他企業はロゴすら見ませんでした。故郷の弊社だけディーラーがあったのです。広島人として誇りに思いました。こんな所でくたばっている場合じゃないなと奮起するに至った。
私の専門は電気化学。B4から電池材料研究をやってきました。オックスフォードで見かけた弊社は、電気化学の知見を持つ人材を強く求めているようです。会社の生き残りをかけて業態改革する真っ最中でした。電気化学専攻の自分に活躍の場があるのは間違いありません。おまけに自分は、弊社が本社を構える広島の出身。何より、絶望の底に居た自分を、思いがけず立ち上がらせてくれたのが弊社でした。だからこそ、単なる就職先ではなく、「自分を支えてくれた存在への恩返しがしたい」と心から思ったのです。
私は弊社に行きたい。弊社も、たぶん自分を欲してくれる。win-winの関係を結べそう。これはもう、応募するしかない。帰国一週間前、弊社に連絡しました。すぐに返信が。履歴書と研究概要を送って下さいとのこと。指示通りに送信。適性検査も一次面接も素通りして、いきなり最終面接。アッサリ内定をいただきました。運命に結ばれた企業とのマッチングは、これほどまでにスムーズに運ぶのですね。
私は弊社のインターンへも工場見学へも行った経験がありません。職場の雰囲気を確かめぬまま内定承諾するのは少し怖かったです。そこで、人事の方にお願いして、職場見学させていただくことに。内定から一か月後に広島へ。弊社を見学。問題なさそうでした。その場で内定を承諾した次第です。
就職先を決めてから入社するまでの一年間は激動でした。
弊社関係では、品質不正問題(*不正ではない)を皮切りに、リコール、トランプ関税、内定ブルーなど、数多のトラブルが待ち受けていたのです。別の会社を選んだ方が良かったのかな。いやいや、運命で結ばれた相手を裏切るわけにはいかない! 葛藤で胸が押しつぶされそうでした。大学院の方でも大変だった。四度の論文リジェクト。論文投稿目前で全文書き直し。学位審査会での激詰め。これらを乗り越え、博士課程の一年飛び級を達成したのです。
どれだけ辛い出来事があろうとも、オックスフォードでの日々よりかは数段マシ。虚しさの底辺を経験してしまえば怖いものはありませんね。
最後に
人生には、思いも寄らぬ偶然が、進むべき道をそっと示してくれる瞬間があります。
オックスフォードの地で絶望の淵に立たされたあの日。それでも顔を上げた先に、運命に導かれるような出会いが待っていました。ただ合理的に進路を選んでいたなら、私はいまの会社にはたどり着かなかったでしょう。あの苦い留学体験があったからこそ、地元を、そして自分自身を深く見つめ直すことができました。志望理由書には書かなかった真の志望動機。それは、「一度壊れかけた自分を、もう一度立たせてくれた」企業への恩返しなのかもしれません。
これから社会へ出る皆さんにも知ってほしい。選択に迷ったとき、理屈だけでは割り切れない「何か」に背中を押されることがある。その小さな「何か」を、どうか大切に。それがきっと、あなたの人生を照らしてくれるから。
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