英語力より大切なもの。イギリス留学中に外国人ポスドクへ電気化学を教えてみて気づいたこと

私のオックスフォード留学は、成功とは言えませんでした。正直に言って、失敗でした。期待していた実験は思うように進まず、志半ばで帰国することになったのです。

朝から晩まで、白く曇った空が広がっていました。冷たい雨が降り続く日も多く、空の色と同じように心も沈みました。会話らしい会話をしない日が、何日も続いていき、静かな時間が、まるで永遠に伸びていくように感じられました。

石造りの重厚な建物は、荘厳な雰囲気を放っていました。けれど、その内側には誰の声も響いていません。まるで中世の舞台から役者たちが去ったあとのようで、時が止まったような静寂が支配していました。音のない空間に、キーボードを叩く音だけが乾いた響きを残していたのです。

広すぎる部屋、硬い椅子、冷たい机。心の居場所を見失ったまま、私はただ目の前の画面を眺めていました。そこにいたのは、世界一贅沢な自習室に閉じ込められた、ひとりの若者でした。思考も感情も凍りついたまま、時間だけが静かに流れていきました。

そんな毎日のなかで、一筋の光が差し込みました。重たい雲の切れ間から、かすかに陽がのぞいたような瞬間です。

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あるポスドク研究者からの思いがけない質問

人気のない実験室。冷たい蛍光灯が、黄ばんだ壁をぼんやりと照らしていました。午後の静けさの中、私は論文の草稿を繰り返し書き直していました。どこかむなしく、時間だけが粛々と過ぎていきます。

そのとき、軽い足音が近づいてきました。チャイナ出身のポスドク研究者が、久しぶりにラボへ現れたのです。サンダル越しに床をすべる足音が、沈んだ空気をかすかに揺らしました。

彼女は、手慣れた動きで器具を片付けていきました。そして、ふと私のほうを振り返り、「ちょっと手伝ってくれない?」と声をかけてきたのです。唐突なお願いに少し驚きながらも、私は立ち上がりました。

ふたりで装置を運び終えたあと、彼女が尋ねました。
「あなたは、ここで何を研究するの?」

私は、リチウムイオン電池のカソード材料について、そして電気化学的な挙動について説明しました。片言の英語で、ひとつひとつ言葉を選びながら、慎重に伝えようと努めたのです。

彼女は、じっと聞いてくれました。そして突然、目を丸くして言いました。
「えっ?そんなことまで知ってるの?」

その表情に私は一瞬、戸惑いました。自分の説明に何か誤りがあったのではないかと、不安がよぎります。けれど、そうではありませんでした。彼女が驚いたのは、専門的な知識の深さではなく、日本の大学で学ぶような基礎中の基礎を知っていたこと自体に対してだったのです。

「それについて、もう少し詳しく教えてくれないかしら?」
彼女は真剣なまなざしでそう言いました。彼女の瞳には、純粋な知への好奇心が宿っていました。

科学という共通言語で壁が溶けた時間

私たちは、壁際の簡易テーブルに向かい合いました。ガラス窓の外には、いつも通りの曇り空が広がっていました。光のない風景の中で、ふたりだけの小さな「講義」が始まったのです。

ホワイトボードもプロジェクターもありません。あるのは、コピー用紙とボールペンだけ。私はイオンを丸で描き、電子の流れを矢印で示し、英語に詰まりながらも言葉を紡いでいきました。

彼女は、深く頷きながら聞いてくれました。「なるほど」「そういうことか」と小さくつぶやきながら、熱心にメモを取っていました。その姿に、私は肩の力をゆっくりと抜いていけました。

会話の中から、ぎこちなさが消えていきました。言葉の壁が、ゆっくりと溶けていったのです。国籍も文化も違うふたりの間に、「科学」という共通言語が流れはじめた。言葉の綾よりも、理の筋が通じ合う喜びに、胸が温かくなった。

一時間ほどで、メモ用紙は文字と図で埋め尽くされていました。彼女は笑顔で言いました。
「ありがとう。すごくよくわかったわ」

その一言が、私の心をじんわりと温めました。あの日、初めて、自分の知識が誰かの役に立ったと実感したのです。孤独に沈んでいた時間が、音を立ててほどけていくようでした。

専門性の深さと広さ

彼女は、怠惰な研究者ではありません。むしろ非常に勤勉で、論文執筆も実験もこなす努力家でした。それでも、なぜ私に電気化学の基礎を尋ねたのか。答えは「専門の細分化」にありました。

彼女の研究は、計算科学やモデリングに特化していました。高度な知識を持ち、専門領域では世界トップクラスの水準にあります。けれど、視野を少し横に広げたところにある基礎知識には、触れる機会が少なかったのかもしれません。

現代の研究は、「深さ」と引き換えに「広さ」を失いやすい構造になっています。自分の専門という名のタコ壺に潜り込み、隣にある世界の存在を忘れてしまう。日本でも、同じような現象は多く見られます。

論文は読むが、教科書は開かない。学会発表はしても、学部生への説明ができない。そんな研究者が、気づかぬうちに増えているのかもしれません。研究という営みが、人間らしい広がりを失いつつあるように感じました。

英語力に不安を抱く大学院生に、ぜひ伝えたいことがあります。

英語は大切です。けれど、もっと大切なのは「専門性」です。ひとつの現象にこだわり続けること。わずかな変化から因果を見抜く観察力。何度も失敗を重ねて、ようやく得られた知見。それらすべてが、世界で唯一無二の武器になります。

英語が苦手でも、相手の心を動かすことはできます。語彙が少なくても、伝える熱量さえあれば、想いは必ず届くのです。研究という場では、薄っぺらな流暢さよりも、ぶれない深さこそが力になるのだと、はっきり言えます。

TOEICの点数に振り回される前に、自分自身の知識を深く磨いてほしい。毎日の実験に、真剣に向き合ってほしい。教科書の1ページすら、未来を動かす可能性を秘めています。学問とは、積み重ねた誠実さの上にしか花開かないものだからです。

専門性こそが、私を支えるアイデンティティ

オックスフォードでの留学は、成功とは呼べませんでした。けれど、あの小さな即席講義は私にとって、何にも代えがたい成功体験でした。失敗の只中で見えた光は、今も心の中で静かに輝き続けています。

英語はあくまで道具です。知識と経験こそが、自分自身の価値を形づくる根幹です。言葉に詰まりながらも、誰かの力になれたこと。研究の本質を分かち合えたこと。あの空間にいた私は、間違いなく「研究者」でした。

英語力がすべてではありません。自分の専門を信じて、日々を積み重ねてほしい。その蓄積は、いつか必ず誰かの役に立ちます。そして、何よりも、自分自身を救ってくれるはずです。私がそうであったように。

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