私のイギリス留学が失敗した3つの要因

こんにちは。札幌と筑波で蓄電池材料研究をしている北大化学系大学院生のかめ (D1)です。2023年10月から12月まで英国・オックスフォード大学へ研究留学し、翌年1月から3週間ほど欧州全域を放浪しました。

当初、オックスフォード大学への留学は10月~3月の半年間を予定。残念ながら、予定していた半年の留学期間を3か月切り上げねばなりませんでした。

この記事では、私の留学がどうして不本意な結果で終わったのかについて解説します。

  • 今後大学/大学院留学を控えていらっしゃる方
  • 留学の成功確率を少しでも高めたい方

こうした方々に役立つ内容となっているので是非最後までご覧ください。

かめ

それでは早速始めましょう!

目次

訪問先ラボの様子を一切知らずに渡航先を選んでしまったから

私が留学を途中で切り上げた理由は、訪問先のラボにて何ひとつ研究をやらせてもらえなかったから。実験をやりに行ったにもかかわらず、3か月間実験に全く、文字通り”全く”取り掛かれませんでした。渡航前に訪問先と何も打ち合わせをしていなければまだ理解できます。実験に取り掛かる前にまず研究計画を練るべでしょうから。事前に詳細な打ち合わせを済ませて渡英した結果がコレですからね。…ビックリでしょう?私も驚きましたよ。

私はココで自分の愚痴を書き連ねたいわけじゃありません。『相手方が杜撰な受け入れ態勢だ』ということにもっと早く気付くべきだったのです。研究室の教授とやり取りする際、

  • いま学生は何人いるのか?
  • 装置は使える状態なのか?
  • 訪問した際、誰かに世話してもらえるのか?

といった突っ込んだ質問をすればよかった。研究以外の話をしてみて相手の出方を伺わねばならなかった。

訪問先の研究室のホームページを見てみたら、学生や博士研究員の方が10人以上写真に写っていました。研究内容も多種多様。私が知っているものから馴染みのないモノまで幅広く研究していらっしゃる模様。正直、第一印象では (なんだか凄そうな研究室だなぁ…) と思ったものです。「ココに行ったら自分の研究をより良くするヒントを得られるに違いない!」と、少年の如く胸をときめかせ、目をキラキラさせて渡航を待ち望んでいました。オックスフォードのラボにいざ行ってみたら、”10人以上いる”と思っていた学生はなんと1人しか居ませんでした笑。チャイナ人ポスドクの方が1名。合わせて2名の方しかラボへいらっしゃらなかったのです。誰も私のお世話係になってくれませんでした。どこにトイレがあるのかさえ、漏れそうになる小便をぐっと堪えて自力で探し当てたぐらいですもの。実験装置はしばらく壊れたまま実験室に放置されていたらしい。つまり研究が何も、文字通り”何も”できない状態だったのです

ラボのホームページは記事の更新が2020年を最後にストップしてしまっています。それは私もブロガーなので流石に渡英前から知っていたのですが、まさか集合写真や所属学生の情報まで更新されていないだなんて予想外。どんだけ怠惰なラボでも最低限そこだけは更新するものですよ。専攻内で”隠れブラック研究室”との噂の立っているウチの研究室でさえ、私がブログ運営係になる前までも集合写真だけは毎年更新していたほど。こうした大事な情報を渡航先のボスへ逐一確認しておくべきでした。手を抜き確認しておかぬから”途中打ち切り”という悲劇が起こったのです。

英語力が絶望的に不足していたから

ラボに着いた当日から (このままじゃマズいな…) と危機感を覚え始めました。”この環境に半年居たって研究は何も進まないだろう”と。そこで、ボスへ直接何か苦情を伝えようかなと思い立ちました。ちょうど滞在開始から2週間後にボスとの1 on 1ミーティングの予定があり、その際、「この研究室、いったい全体どうなっているんですか?」と不安を打ち明けるつもりでした。ちなみにこのラボ、ボスは研究室に全く姿を見せません。ボスは研究室とバスで30分、距離にして10km離れた研究棟の居室にてお仕事をしていらっしゃるようです。

待ち望んでいた面会の日。集合時間に1時間以上も遅れてボスが待ち合わせ場所にやってきました (←この時点で既に不愉快です)。適当な雑談をしたのち本題へ。ボスから研究と自身の子供のことについて嬉々として色々聞かされました。最後にボスから「何か質問はないか?」と言われます。不安を訴える絶好の機会、”思っていたことを全て打ち明けよう”と口を開いて話そうとしました。ところが言葉が出てきません。緊張?いえ、違います。伝えたい内容があるのにソレを英語で話せなかったのです。圧倒的なスピーキング力不足。まるでメダカのように口をパクパクさせる私を見、ボスが私に「お前、大丈夫か?」と心配の言葉をかけたほど。

留学前、(英語の力は留学してから伸ばせばいいだろう) と思って英語のスピーキング練習をしてきませんでした。半年間もオックスフォードに居たら話せるようにはなっているはず。要するに留学をナメていたわけです。『行けば最悪、どうにかなるっしょ♪』と。結果、どうにもなりませんでした。どうにかできる力を得られる前に重要な機会がやって来て、悲惨な研究環境を訴えられずに面会の時間が終わったのですから。私が何も言わないモノだからボスも (満足しているのかな)と思うじゃないですか。胸の内をさらけ出したいのにさらけ出せぬ歯痒さだけが残ってしまいました。また、初回のボスとの面談でボスから【無能】の烙印を押されたのでしょう。”英語をほとんど話さないコイツは一体何しに来たのだろうか”、と。無能に研究のチャンスを与えてくれるほど世の中、決して甘くありません。”実験させても無駄なんじゃないか?”と、以降、私が送った数多のメールに返事さえしてくれなくなりました。

これから海外へ留学する皆さん。英語や当地の外国語の勉強はめちゃくちゃしっかりやるべきですよ。”やったら得するよ~♪”といった軽いお話ではなく、”やらなかったら地獄を見る”というかなり切実な問題なのです。英語なら英語、スペイン語ならスペイン語の勉強を徹底的にやりましょう。耳が痛くなるまで、喉が枯れるまでリスニングとスピーキングの徹底対策をお願いします。留学期間を通じ、確かに外国語の運用スキルを高められました。今の私ならボスとのミーティングで「あんたのラボ、どうなってんねん?!」と苦情を訴えられるかもしれません。イギリスへ渡航する前から今ぐらいの英語の力が欲しかった… 時、すでに遅し。皆さんは私が味わったような後悔をしないようにお願いします。

留学準備で既に疲労困憊。渡航時には留学本体へ回す体力が残っていなかったから

留学準備は半年がかり。学生生活において3本の指に入ってくるほどの大変なイベント。”留学”が、ではありません。”留学準備”が、であります。特に大変なのが私費留学の準備。留学に必要なお金を集めたり、渡航先と折衝したりする中で心を擦り減らすのです。疲れた体で留学に挑んでも何ら吸収できません。自分を成長させる機会がもしかしたらあったのかもしれませんが、そんなことに気付きさえしないほど余力が残っていなかったのが実情。

まずはお金の問題です。留学の原資に日本学術振興会特別研究員DC1の給与と科研費を充てようと思いました。特別研究員になれるのは応募者全体のうち16%だけ。1/6の狭き門を通過しなくちゃ留学へ行くためのお金を得られません。(留学したいな) と真剣に考え始めたのはM1の前期だったでしょうか。そこからM2の5月、DC1申請時期まで”死んでしまうんじゃないか”と危惧するほど研究に打ち込みました。DC1に採用されるには十分な研究実績が必要。どこまでやれば採用されるか分からず毎日必死に頑張りました。M2の9月、めでたく内定を掴みました。コレでようやく留学へ行くのに必要な原資を得られたワケです。早くも既に青息吐息(笑)。疲れてまぶたが震えていたほど。

もしも留学を志すなら、渡航する少なくとも半年前には相手方の受け入れ許可が必要。自分と相手の大学内での事務作業にコレぐらいの時間がかかるそう。自分の顔さえ知らない相手に自分をメールでプロデュースせねばならない。「自分は○○について研究してみたいんだけど受け入れてもらえませんか?」と伝えるのです。受け入れてもらえるか否かは運次第。「ごめん、無理!」と断りのメールが来る時もあれば、メールの存在自体を無視して返信さえくれない場合だってある。通常、ココでかなり消耗します。私の場合、受け入れ先が確定するまでになんと3か月もかかってしまい、めでたく渡航先が決まった頃には既に疲れ切っていました。

そして留学書類の用意。これがまた面倒です。渡航先から「○○を用意して」と伝えられるのは良いものの、北大も私も”○○”とは何かがサッパリ分からなかったので対処が大変でした。頑張って拵えた書類をオックスフォードへ送り返すじゃないですか?「それだとダメ。もっと正式なモノを下さい」と追加で指定が入るんですね。勘弁してくれよ…と思いました。「何を送るのが正解やねんな」と一人でブツブツ毒づいたものです。

私の場合、渡航4か月前から2か月前までの約2か月間、オックスフォードの受け入れ研究者さんと音信不通になってしまいました。ココになって留学へ行けるかどうかさえ覚束なくなってきたわけです。もちろん航空券は買えません。行けなくなったらキャンセルしなきゃいけないし、キャンセル代も決して馬鹿にできぬから何ら身動きが取れなくなりました。

研究者さんとの連絡が再開すると、今度は母親が私の海外留学についてアレコレと心配し始めました。毎日毎日長文をLINEで送りつけられ、せっかく楽しみにしていた留学なのにイライラを募らせながらの準備に。心配し過ぎなんですよ。いっそ放っておいてくれたら良かったのに。心配性の両親をお持ちの学生さんは十分注意して下さい。海外へもう渡航してしまってから「いま留学しています」と伝えるのも手ですよ。

数多の荒波を乗り越え、無事にイギリスへの渡航を果たしました。「よし、これから頑張っていくぞ!」と気合を入れたかった所、”力を入れたようにも、入れる力が何ひとつないじゃん…”と愕然。留学準備に消耗しすぎて体力を使い果たしていたのです。とどめの一発はラボの惨状。正気では立っていられぬほどの絶望と喪失感を覚えました。6か月間の留学予定を3か月も切り上げてのフィニッシュ。楽しかったのは最初の2日のみ。残り80日以上、「早く終われ…」との切なさを堪えながらのイギリス生活でした。

最後に

欧州生活を終え、ヒースロー空港から飛び立つ瞬間、「自分が今まで頑張ってきたのはこんな苦しい思いをするためだったのか…」と涙が溢れ出てしまいました。努力がなんにも報われなかった、自らの準備の不徹底のせいで。留学前にやれた対策はもっと沢山あったと思うんです。留学を甘く捉えていた自分の至らなさ・不甲斐なさを思い知りました。

この記事をご覧の皆さんには是非笑って日本に帰ってきて欲しい。本記事へ挙げた内容に注意しながら留学準備を粛々と進めて下さい。あと、困ったときは自分だけで何とかしようとせずに他人を頼りましょう。恋人、指導教員、そして留学経験者など。逆に、余計なおせっかいを焼いてくる相手はいっそブロックしてしまって構いません。心の平穏を保つためにも非情な決断が時には必要。

以上です。

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