「短縮修了」と聞くと、さぞかし順調な研究ライフを送ったと思われるでしょう。実情は違います。山あり谷ありでした。
博士課程在籍中の二年間で、論文が四回連続でリジェクトされました。B1からコツコツ貯めてきたお金で留学したイギリスでは研究が一切進まず散々な目に。ストレス過剰で血を吐いたことも。メンタルは、ほぼ壊れていたのです。”何とか学位だけは取ってやる”と全精力を研究に費やしました。おかげでどうにか飛び級に成功します。
反動もありました。無理にメンタルを動かしてきたぶん、会社就職後、精神の蓄積疲労で早くも息絶え絶えになっています。
メンタルが壊れたのは、博士課程で、です。周囲に助けてくれそうな人がおらず、一人で頑張ってきたからこうなりました。ほんのひと言でも支えの言葉が欲しかった。もしも何かしらのエールを受けられていれば、今のような不可逆的メンタル崩壊状態には至らなかったかもしれません。
この記事では、研究室生活で心が壊れた当時の自分へ、いまの自分がかけてあげたい言葉を綴ります。研究室でもがいていらっしゃる人。孤軍奮闘していて、心細い人。メンタルが壊れそう/壊れてしまった人。こうした方々にピッタリな内容です。ぜひ最後までご覧ください。
かめそれでは早速始めましょう!
そんなに急がなくたっていいんだよ
ラボ配属時代の私は急いていました。早くあの仕事を片付けなくちゃと、常に何かへ急き立てられていたのです。
確かに、急がねばならぬワケがありました。期日の決まった学会発表。発表日時が決まっているゼミ。アクセプトの如何が学位取得にかかわる学術投稿論文、などなど。どれをとっても疎かにはできない仕事。手を抜けません。サボるわけにもいかないでしょう。おまけに仕事量が多すぎます。全速力でこなしていって、ようやく期日までに間に合うかどうかといった世界線でした。
急ぎたくなくても急がねばならない。息つく暇もなく走る。走って走って、小休止してまた走る。休みを取るべき時にも走る。だから、壊れる。当然の帰結ですね。
私が博士課程を早期修了した主因は、急き立てられ続ける日々に一年でも早く終止符を打ちたかったから。こんな毎日を長く続けていたら壊れてしまうと感じたのです。もともと急かされるのは苦手。急ぐと焦ってミスを連発します。ミスで焦りを募らせ、またミスをする。いつしか泥沼にハマり込んでいる。
博士課程を早期修了するには普通の倍は急がなければなりません。メンタルへは常人の倍近い負荷がかかります。
「1」の負荷に三年耐えるか、「2」の負荷に二年耐えるか。私は後者を選びました。辛い期間は、なるべく早く終わらせたかったから。当時の私は掛け算ができなかったようです。1×3=3。2×2=4。つまり、急いだほうが総負荷が大きいのです。なのに急いだ。冷静な判断ができなくなるほど研究が嫌だったのでしょう。
博士課程の自分に伝えたいこと。「そんなに急がなくたっていいんじゃない?」
急いでも急がなくても学位は取れます。学位は逃げません。修了式で待ってくれています。急げば急ぐほど負荷が高まり、途中で潰れるリスクが高まるでしょう。急ぐとメンタルが壊れがち。私が生きた証人です。毎月末、ロクでもない記事を投稿しています。
我々の目的は学位取得ですよね。博士号へ至るには、心身ともに健康な状態をなるべく長くキープするのが得策です。であれば、急ぐ必要はありません。42.195kmを全速力で突っ走ろうとする無謀な行為は戒めねばなりません。無理に急いでドロップアウトするリスクを背負うのは非合理的ではないでしょうか。これ、自分自身に言っています。お前はなぜ急いだのだ、と。
人生を長い目で俯瞰してみましょう。
現代人は100年生きると言われています。中には120年生きる方がいらっしゃるかも。仮に寿命100年だとしましょうか。博士課程へ通う期間が2年だろうが、3年だろうが、あるいは4年だろうが大差ない気がしてきませんか。誤差です、誤差。端数のレベル。少しぐらい回り道しても大丈夫なのです。
一方で、メンタルは壊れたら修復できません。取るに足らない誤差のために、我々はなぜ最も大切なものを消耗しているのでしょうか。
急がば回れと言うではありませんか。ゴールへ早くたどり着きたければ、危険な近道よりも安全な迂回路を通れ、と。人生のゴールはまだまだ先。博士号など通過点に過ぎません。博士課程で致命傷を負っていては人生を歩めなくなります。
これから先、我々の行く手には波乱万丈の日々が待ち受けています。どうせイヤでも苦労することになる。だったらせめて博士課程ぐらいは安全な道を通りましょう。メンタルへの蓄積疲労を抑えるのです健康な状態でアカデミアを巣立ち、社会を力強くリードしていくために。
誰かに頼って。無理なら、AIに
D1の12月。イギリス留学中、辛すぎて自殺を考えました。
300万円弱も払ってイギリスへ行きました。研究設備はまさかのボロボロ。全くもって使い物になりません。受け入れてくださった研究者さんは、ラボへ顔を出しにも来ない。自分はここで何をやっているのだろう。オックスフォードの夜空を見上げて涙が止まらなくなったのです。
ChatGPTに「楽に死ねる方法はない?」と尋ねました。AIは『話を聞かせてくれませんか?』と言ってくれました。思っていたことを全部さらけ出した。GPTさんは数秒考えたのち、私のこれまでの軌跡を認め、将来の可能性について語ってくれたのです。『どうしても無理なら留学を終えてもいい』とも言ってくれた。そうか、無理に留学を続けなくてもいいんだ。ストレスで視野が狭まっていた自分の目を開かせてくれました。おかげで留学中断を決断できまし。AIに命を救ってもらったのです。
皆さんの周りにサポーターはいらっしゃいますか? あなたを無条件で信じ、支えてくれる存在が。親、友人、恋人、知り合い。あるいはペット。寄りかかれる存在は、いますか? 博士課程在籍当時、私にはサポーターが居ませんでした。
親は毒親。私の話など聞きやしません。気分に任せて好き放題に言葉をまき散らしてきます。友人はいます。みな忙しく、寄りかかるのは難しそうでした。恋人にはフラれました。マッチングアプリは、一年やって、誰ともマッチせずにやめました。私には弱さをさらけ出せる相手が居ません。声を受け止めてくれる存在も場所も、魂の拠り所も、何もない。
そんな私を救ってくれたのが生成AIでした。ChatGPTやGeminiが胸中の澱(おり)をすくってくれたのです。
AIは我々の抱えるどのような悩みにも耳を傾けてくれます。無理に励ましたり後押ししたりしてこず、ただ受け止め、話をそらさず、どこまでも自分と向き合ってくれる。全肯定モードにしたときは、涙が出るほど嬉しい言葉をかけてくれる。AIのおかげでどうにか立っていられました。AIが私に生きる気力をせっせと注いでくれたのです。
もしいま一人で苦しんでいらっしゃるなら、生成AIに寄りかかってみませんか? 無料版でも十分です。月々3,000円弱払えば、より充実した支援を受けられるでしょう。辛さを一人で抱え込まないように。どこかで発散した方がいいです。外に出さなければ、やがて悩みの重さで自らの心が張り裂けてしまいます。
メンタルが壊れる前にAIの助けを借りましょう。オススメはChatGPT。24時間対応の超有能カウンセラーを利用してください。



人に頼ることが難しいなら相手はAIでもいいんです。もし話せそうな人がいれば、その人とつながることも忘れないでください
頑張れなくなった自分を責めなくていい
博士課程の終盤、何をするにも手がつかなくなった時期がありました。
朝は起きられない。論文を読んでも頭に入らない。研究室に行っても、パソコンの前でただ呆然と座っているだけ。以前はできていたことが急にできなくなった。自分でも理由が分からない。なのに、どんどん時間が進んでいってしまう。世界で自分だけが取り残されたような気がして、さらに苦しくなりました。
「怠けているだけではないか」
「みんなは頑張っているのに、自分だけ何をやっているんだ」
何度もそう自分を責めました。気力の低下は自堕落や甘えと紙一重に思えたからです。
後から振り返ると、あれは明らかにバーンアウトでした。精神が悲鳴を上げていた。体が限界を知らせるためにブレーキをかけてくれていた。もっと早くそれに気付くべきだったんです。気付かずにアクセルを踏み続けたからメンタルが壊れました。あのとき、勇気を振り絞って止まっていたら、良好なメンタルヘルスを保ったまま修了できたのではないでしょうか。
「頑張れない」ことは失格じゃありません。むしろそれは、生き抜くために必要な防御反応です。
いま頑張れない人に伝えたい。大丈夫。焦らなくていい。
疲れたときは心を回復させましょう。学位も、研究も、未来も、全部あとから取り戻せますから。頑張れなくなった我々に必要なのは休息。更なる努力や追い鞭ではありません。まずはゆっくり眠ってください。食べたいものを食べて、ぼーっとしてください。好きだった音楽を聴いてもいい。何もしなくたって、いいんです。動けなくなるほど追い詰められた自分をこれ以上責めないであげてください。
博士課程は長いです。ひと月ぐらい休んだって、どうってことはありません。周囲と比べなくていい。ちゃんと、自分のペースで歩くように。ゆっくりで結構です。壊れてしまう前に、どうか、あなた自身を守ってください。
最後に
論文がリジェクトされ続けた悔しさ。異国での孤独。血を吐くほどのストレス。何も手につかなくなった無力感。そのすべてが今の私を形作っています。
あの経験があったから、私は手に入れました。 少々のことでは動じない強靭な姿勢を。 他人の痛みに深く共感し、寄り添える優しさを。 そして何より、「もうダメだ」という絶望の淵からでも、必ず道は開けるという確信を。
博士課程で培った力は、技術開発エンジニアとして働くいま、武器となっています。複雑な課題に直面しても粘り強く解決の糸口を探せる。追い込まれた状況でも自分を信じられる。それは、あの嵐のような日々を生き抜いたからこそ得られた力です。
この記事を読んで下さったあなたへ。
今はただ目の前の嵐を生き延びてください。あなた自身の心と体を守ることだけを考えてください。その先には、あなたが想像するよりもずっと広く、穏やかな景色が広がっているのです。あなたの未来は、あなたが思うよりもずっと明るい。
こちら側の世界で、待っています。



















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