広島生活春夏秋冬vol.6 一年目・8月後編|推しがまた不倫した。10と3/4連休に神社へ、急転直下で乗馬再開

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冊子掲載

大学への数学をご存じだろうか。

大学への数学は、東京出版が販売する数学の月間号。高校数学のほぼ全領域を、十二分割して扱う。今月は整数、来月はベクトル、その次の月は数列、といった感じで。掲載問題の多くは実際の入試問題。簡単なものから意味不明なものまで、魑魅魍魎がうごめいている。

大学への数学は浪人時代にお世話になった。浪人が決まった高三の3月から、北大入試を受ける翌2月まで毎月号買った。問題に目を通すだけで面白かった。自分にはまだ知らない問題が多くある。良い判定を取ったぐらいで慢心していてはダメだ、と奮起の源となった。

切り口が分からない問題を見つけては、頭をひねり、解法の検討を加速する。どれだけ考えても分からない。もう無理だ。そこまで考え、ようやく答えを見る。解説を見た瞬間、盲点があったと気付かされる。簡単ながらも見落としがちな事項に思い至り、地団太と四股を踏んで猛反省する。

私にとって大学受験は、本番までにどれだけ盲点を少なくできるかの勝負だった。敵は周りではなく自分。自分の視野をどこまで広げられ、どれだけ奥深くまで解像度高く見つめられるかにかかっている。高三の自分には、盲点があまりに多すぎた。多すぎて、盲点どころかワームホールだった。京大に落ちて当然だった。誤った勉強法で合格し、変な成功体験を植え付けられたら、今ごろ何事も失敗続きで大変だったのではなかろうか。

さて。

大学への数学には、巻末付録に『学力コンテスト』がある。複数領域の知識を横断して解く総合問題が載っている。ハッキリ言って、めちゃくちゃ難しい。乙女心と同じか、それ以上か、「スリザリンだけは嫌だ!」と叫ぶハリー・ポッターをスリザリン寮へぶちこむぐらい難しい。いや、イギリス国民の飲料を、紅茶から抹茶に変えるほどの難しさか。畢竟、解くのは不可能である。日本語で書いてあるにもかかわらず、私にはどうしても日本語に見えない。

浪人時代の私も、学コンにだけは手を付けなかった。一年で最も簡単な問題が出る四月号ですら歯が立たなかったから。

第一、学コンの問題には、ほとんど誘導問題が無い。何を切り口にするか、どう解いていくのかを自分で考えなければならない。学コンはちっとも分からない。本当に無理。教科書が助けにならない。解は「解なし」なのかと疑いたくなる。何が問われているのかすら読み解けない時もあり、ちょっと何が書いてあるか分からない。

学コンを解き切ってしまう連中がいる。

学コンでは成績優秀者を冊子掲載する。150点満点で150点を取る人がチラホラ。140点以上の人なら数百人はいる。北は北海道、南は沖縄。全国の高校生が功名を挙げている。どうしてあのようなものを解けるのか。頭の構造からして違うのだろう。左脳が異常に大きいか、高密度なのか、右脳との連携力が高いのか。あるいは、宇宙の全知見が載っているアカシック・レコードにアクセスできるのか。いずれにせよ、彼らは人間離れしている。こういう人たちのことを天才と呼ぶのだろう。

数か月前、父からLINEがあった。学コン成績優秀者欄を、写真に撮って送りつけてきた。

父は今年で還暦を迎えた。アンチエイジングとして、数学の学び直しをしている。父は数検一級に受かるのが目標らしい。現在、大学レベルの微積分・行列・統計学など、広範な学修を進めている。

いったい何が父をそこまで駆り立てるのか。直接尋ねたところ、「積み上がっていく」感覚が楽しいらしい。サラリーマンは日々様々な業務に追われる。家では口うるさい妻にガミガミ言われ、気分を害して地面に打ちひしがれる。そういう毎日を送っていくにつれ、自然と広く・浅い生活になるのだそう。父は言う。俺は狭く・深く極めていきたい。自分だけの世界を掘り下げていって、どんどん豊かにしていきたいのだと。

父は私と激似である。やることなすこと、ディテールまで相似形。最近は外見まで少し似てきた。

積み上がっていく感覚が楽しいのはよく分かる。自分も、大学では論文数を積み上げた。企業就職後は、ブログの記事数や、ビットコインの投資額を積み上げている。自分のモノが着々と増えていくのが快感でならない。もっと増やしたい。もっと豊かになりたい。どこまでも尽きぬ向上欲に突き動かされる。

現状維持ではドーパミンが止まる。足るを知るの精神も重要だが、不足を知ることでしか見えない世界もある。

御年六十の父から送りつけられた写真を拡大すると、父の名が記されていた。最初は嘘だと思った。アラカンで学コン冊子掲載って、本気で言うてます? 拡大鏡まで使って確認した。冊子掲載がどうしても信じられず、紙屋町の丸善まで行って学コンを開く。そこには本当に父の名が記されていた。一体どうやって解いたのだろうか。難攻不落の函谷関を、如何なる手法でこじ開けたのか。

そもそも、六十歳でよく学コンに挑んだな。まずは父の気力にアッパレを送りたい。

三十三年後は何歳かな、と考えていた。三十三年後、私は六十歳になる。三十年後までチャレンジング精神が残っているだろうか。いや~、そんな自信はないぞ。あれほど好きだったランニングですら、暑いと外で走るのが億劫になってきた。まして、ちょっと何が書いてあるのか分からない学コンを解くだなんて不可能だ。父の精神力を見習いたい。何歳になっても挑戦し続けるよう、肝に銘じて生きていかなければ。

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