例のあの人

博士課程では様々な出来事が起こった。
六年かけて貯めたお金を使って行った英国研究留学では、実験を何ひとつできずに帰ってきた。自分の記した学術論文が、国際誌へ四回連続でリジェクトとなった。ストレス過剰で口から血を吐いた。もうすべてがどうでもよくなり、アカデミア就職を諦め、地元の民間企業へUターン就職した。アカポスへの執着を捨てた途端、論文が次から次へとアクセプトされた。当初の予定通り、博士課程を一年飛び級して早期修了できた。
D1終了時点で早期修了成功確率は10%もなかったように思う。そこから半年で業績を積み上げ、フィニッシュテープめがけて追い上げていった。キタサンブラックやアーモンドアイのような強いレースはできない。ゴールドシップのようなとんでもないスロースタートを切り、ディープインパクトみたく超強烈な末脚で博士課程劇場を差し切った。もっとこう、一定ペースで逃げ切れないものなのか。無理だよな。人生、今まで全部こうだった。
我が博士課程の一部始終を見届けた存在がいる。そう、指導教員である。
先生は、授業をしない予備校・武田塾もひれ伏す、放置型指導の世界的第一人者。研究テーマを与えたが最後、「じゃあ、あとは頑張って」と学生を大海原にドボーンと放り投げる。放擲された学生当人は、論文の読み方も実験の進め方も分からない。データを取っても、考察の仕方さえ分からず、ひとりで悶々と悩み、頭を抱える。仕方がないから暗中模索で活路を切り拓く。ときどき、我々が走り回っている迷路に火をつけ、学生の絶叫を肴に自家焙煎珈琲を飲んでいらっしゃる。
こう記すと、先生が悪者に映るかもしれない。「指導放棄とはどういうことだ!」「けしからん、むにゃむにゃ」と苦情が殺到しそうである。そうなるのは本意ではないので、念のためフォローを入れておこう。
私にとって先生は神。地球上に存在する教員の中で最も好きな人物だ。先生には最初から最後まで自由にさせていただいた。何をどう研究しててもいい。どこまで考察しても構わない。博士課程を早く飛び出そうとしたとき、何ひとつ文句を言わず、送り出していただいた。
先生は何もしてくれなかったけれども、「何もしなかった」ということをしてくれた。私は放置系指導を望んでいた。親から過干渉教育を受けてきた反動で、誰からも束縛を受けたくなかったのだ。先生は私に対して、望み通り、五十五段階・完全放置型個別指導をしてくださった。新車で新舎を心射して親炙し、辰砂を片手に深謝したい。修了式前日、製本した海青色の博士論文を手渡した。あのときの嬉しそうな顔が忘れられない。
そんな元指導教員が、先月の初め、我らが広島駅に降臨した。近隣県で学会があり、そのついでに広島へ立ち寄ったのだそう。ついでにしては、ずいぶん遠い気が。札幌と反対方向に進んで大丈夫なのか。
なるほど、地球を一周して帰る作戦だな。広島の次はクアラルンプール。次はニューデリー。イスタンブール経由でロンドンへ。トランジットでニューヨークとアラスカ。最後に新千歳に戻る計画だろう。ひょっとして、スターアライアンスの世界一周ファーストクラスチケットでも買ったのかな。とうとう先生もミリオンマイラーか。ダイヤモンドメンバーか。やっぱすごいな、おめでとうございます。
久々にお会いした先生は、ご尊顔がしっかりと日に焼けていた。今年は札幌も日差しが強烈だったらしい。先生のお顔は、弊社の業務そっちのけでランニングに勤しむ自分よりも焼けていた。私がいかに中途半端か思い知らされた。どうせやるなら徹底的に。弊社から無断欠勤で累積四枚目のイエローカードを提示されるぐらい走り込まねば。
せっかく広島までお越しいただいたのだ。腹がはち切れるまで食べていただこう。先生を先導し、駅ビルのミナモアへ。6Fのフードコートまでお連れする。訳知り顔でうろつくが、ここへ来たのは初めてのこと。どこに何があるのか分からない。まぁ、ミナモアのことである。フードコートに行っておけば、とりあえず何でも食べられるだろう。フランクフルトでも、たい焼きでも、わたあめでも、焼きそばでも、パエリアでも、何でも揃っている。たぶん大丈夫。
か「先生、今日は何が食べたいですか?」
せ「そうだねぇ、せっかく広島に来たんだから、アレを食べたいよねぇ」
か「やっぱり、アレですよね」
せ「そうそう、アレアレ。広島風お好み焼き」
か「先生、それ、絶対に言っちゃダメなやつですよ」
せ「あっ、ごめん」
広島で広島”風”お好み焼きなどと口を滑らせたらシバかれる。周囲がたちまち穏やかではない雰囲気になる。この世でお好み焼きといったら一種類。広島県で食べられる、麺の入ったものだけである。大阪地方に存在するのは、上下と側面を小麦で塗り固めた関西”風”お好み焼き。アレをお好み焼きと呼べるかどうかも怪しい。『もんじゃ風小麦ねりねり・ぽんぽこりん爆弾』が相応しいのではなかろうか。
指導教員を引き連れ、6Fのこてじゅうに入店。混みはじめる直前に入れた。待ち時間30秒で席に案内される。
か「(メニューを渡しながら)どれにしますか?」
せ「やっぱこれだよね。広島風… じゃなかった、お好み焼き」
か「ですよね~^ ^」
ふたりで同じものを頼んだ。広島名物のコウネ(牛の肩バラ肉)と雲丹報連相(うんたん・ホウレンソウ)も併せて注文した。
ビールを片手に乾杯。まずは自身の近況報告。弊社がスーパー・ハイパー・ウルトラ・超・どんだけ・エクセレントカンパニー(SHUCDEC)であること、弊社では毎日四股を踏んでいること、車両とのぶつかり稽古もあることなどを報告した。先生は、アカデミアとの違いに目を見開いていらっしゃった。「そんなこともやっているのか!」やってないですよ。四股ではなく、スクワットです。
先生からは、研究室の近況を聞かせていただいた。皆、すこぶる元気らしい。元気すぎて論文を書きまくっているとのこと。学位を取りたての新しい先生が来られて、ますます活気づいて面白くなってきたそう。先生とお会いする一週間前、札幌で研究室に顔を出した。あの子たちが元気なら、それでいいや。佳子さまもおっしゃっていたじゃないか、幸せならOKですと。
先生から、私の将来設計について尋ねられた。ずっと企業に勤めるつもりなのかと。
あのね、先生。僕がどれだけ飽き性だと思っているんですか。ずっと弊社? 考えられません。入社からまだ半年しか経っていないのに、早くも会社員生活に飽き始めてきたのだ。会社員とは、サラリーマンである。会社員生活には刺激が欠けている。おまけに、将来の見通しが立ちすぎて面白くない。会社員のままでは、博士候補生時代のような『明日をも知れぬスリル感』を味わえない。
何だかんだ言って、アカデミアは楽しかった。研究がどのような方向へ展開されるのか、自分でも分からないまま進むのは、怖くもあり、面白くもあった。会社員になってから、週末と給料日だけが楽しみになった。刺激が欲しくてNISAをやめ、ビットコイン投資に切り替えた。このままいったらギャンブルに手を染めるかもしれない。競馬、結婚、マイホーム購入など、世の中はギャンブルに満ち溢れている。
先生には「いつか研究の道に戻りますから」と言っておいた。冗談ではなく、本心で答えた。
博士課程時代に道半ばで断念した研究を、研究者としてコンプリートしたい。弊社では、Pythonを中心に、プログラミング・シミュレーションスキルを習得した。ひと回りレベルアップした自分なら、むかし片づけられなかった課題を解決できるだろう。
半年前、研究を後輩にバトンタッチした。企業就職したのは、研究を続けるモチベーションが無かったからだ。弊社で業務をしていると、よく他人の記した論文を読む機会がある。論文に目を通していくにつれ、自分もまたプレイヤーとして活躍したいと思うようになった。論文を、記したい。知的遺産の創造者になりたい。1を10にする開発よりも、ゼロから1を産み出す研究サイドに回りたい。
自分には研究の方が合っている。企業で働いてみて、ようやく気が付いた。働く前に気付けたら良かったのだけれども。
その後も世間話をした。お店の外が混み始めてきて、店員さんから退席を促された。先生が財布を出そうとする。ほふく前進で鍛え抜いた筋肉を総動員して財布を押し込めた。先生、私はもう会社員なんですよ。いつまでも先生に払ってもらうわけにはいきません。はるばる我がアジトにお越しいただいたのに、お金を払わせるわけにはいかんでしょう。
か「先に外へ出ておいてください」
せ「いいの? じゃあ、お言葉に甘えて」
ようやく先生に食事をご馳走できた。これで貸し借りゼロだ。ウソ、まだ借りは100以上もある。
先生をホテル前までお送りした。互いに千鳥足。阿波踊りの歩き方になった。ビールを飲みすぎたらしい。恩師と飲み交わす時間は至福だった。幸せすぎて、普段は全く飲まないのに、今日は中ジョッキを四杯も飲んだ。
飲みながら、この人を師にできて良かったなと思った。”先生”とつく職業は、基本的に嫌い。医者や教師と私は相容れない。元指導教員だけは尊敬できる。何故だろう。自分と似ているからなのか。
ホテル前で先生と握手を交わした。次また先生と胸を張って会えるように、SHUCDECでの業務を頑張りたい。自分のとりえは、がむしゃらに頑張る姿勢。何事にも本気で取り組めるからこそ日々に充実感を持って過ごせる。博士課程で徹底強化された猪突猛進さをもっと強化していきたい。まずは四股から取り組んでいく。目指すは年末の大相撲広島場所。

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