残業
勤め先は、広島No.1のスーパー・ハイパー・ウルトラ・超・どんだけ・エクセレントカンパニー(SHUCDEC)。真夏の札幌をホワイトアウトさせるレベルで福利厚生が充実している。
給与は毎月ちゃんと支払われる。地球の中は当然ながら、月でも火星でもリモートワークできる。出退勤時間を自分で決められるウルトラ・フレックス制度もある。自社製品をウン十%オフで購入できる。所属グループに至っては、上司が神よりも神なので、希望日前日に有休申請しても、問題なくUQ取得できる。
ちゃんと服さえ着ていれば、オフィスで誰から何かをとやかく言われることもない。肝心のオフィスは、夏は冷房が、冬は暖房が、春はあけぼのがよく効いている。寒暖差で頭がやられ、痛くなる。温度調整だけ何とかしてくれないかしら。そのうち体調がおかしくなりそう。
細かな所と大まかな所に目をつむれば素晴らしい会社。内定をいただけて感謝しています。ありがとうございます。もし生まれ変わって、まだ弊社が生き残っていたら、再び弊社の門をたたくかもしれない。「すみません、トイレを貸してください」漏れそうなだけやないかい。いっそ、漏らしてしまえ。どうもありがとうございます。
さて。
弊社はホワイトアウト企業。労働環境の良さは地球屈指。SHUCDECといえど、開発競争激化の影響からは免れられない。弊社の属する業界は、ビッグバン以来の大転換期を迎えた。製品に使用される技術が根本から書きかえられようとしている。進次郎が シンジロー節 から かつお節 になったようなものである。それぐらい違う。全然違う。見た目も中身も変わってくるし、進次郎らしさが失われて寂しくなる。
開発競争のような大きな課題には、クールでゼクシィに取り組みたい。考えすぎてアツアツになりそうな頭を冷やしつつ、結婚雑誌でも眺めながら、婚活女子の妄想やトンカツ具合に想いを馳せるぐらいの余裕を持っておく。皆さんも一度、本屋でゼクシィを立ち読みしてみてほしい。私はアレを読んで衝撃を受けた。1ページ目から最終ページまで全部女性の妄想が記されていた。女性は結婚にこれほど大きな夢を見ているのかと、大変すばらしい社会勉強になった。
弊社には数万人もの従業員がいる。ステークホルダーは地球人全員なので、実質的な社員数は81億人。それでも開発に人手が足りない。人がいないなら、食べてしまえばいいじゃない。いやいや、パンを食べればいいじゃない。売店で平積みされているカロリーメイトを友達に、昼休みは皆で友達をボリボリ平らげていく。
開発競争に遅れたらどうなるか。取り返しのつかぬことになる。先行した企業は特許群で守りを固める。実際の製品に使う技術はもちろん、使うかもしれない技術や、いつかきっと作っちゃお的な清水建設風技術に至るまで、徹底的に網羅していく。後発組は先行組に追いすがるも、手を出す先々で既に先手を打たれているのに気付き、「Oh…」と天を仰ぐ。
後れを取った側は、先行組の特許の間隙を突く形で技術開発していく。本来実現したかった商品性を捻じ曲げたり、方針の抜本的変更を余儀なくされたりして、いずれにせよ苦しい開発となる。弊社は81億人の従業員を総動員して、何とか後れを取らぬよう頑張っている。成年男子を中心に、老若男女やこんにゃくの見境もなく、みな血眼になって製品を作っていく。弊社は開発の後発組。開発プロセスは困難を極めている。
弊社の標準就業時間は8時間。8時間で業務を終えて帰宅するのが理想的だが、なかなかそうは参りません。
部署配属直後は8時間で帰してもらえた。お世話役の上司から「定時になったよ。もう帰りな」と背中を押されていた。部署配属から半年が経ち、今ではそういった声掛けもなくなった。誰からも帰るなとは言われない。でも、8時間で帰っていては仕事が終わらない。次から次へと仕事が降ってくる。アレが終わったと思ったら、次は別のアレ。その仕事のすぐ後ろに次の仕事が顔を覗かせてチューチュートレインしている。北大卒業から7カ月。早くも学生時代と似たような状態になった。
学生時代と会社員とで明確に異なることがある。
大学のときは、仕事を「深く」やっていくにつれ、仕事量が単調増加した。分からなかったことを無事解明できたとき、また別の分からないことが出てきて、仕方がないからまた深掘りをする。SHUCDECに入ると、仕事を「ひとつ」済ませると別の仕事が投げ込まれた。仕事に深さは求められない。深さよりも速さが肝となる。
研究室時代は狭く・深く。企業では広く・浅く。仕事への出力のベクトルがまるで違う。就職とともに新しいゲームが始まった。力を入れる勝手が変わって、適応に少々時間がかかった。まぁ、もう慣れたんだけれども、慣れるまではかなり苦しかった。企業の仕事には属人性が無く、(こんなの別に自分がやらなくたっていいじゃん…)と自分を見失いかけたこともある。
最近、仕事を一日9~10時間やっている。おっちゃんもすなる「残業」といふものを吾輩もしてみむとてするなり。
研究室時代は、残業という概念が無かった。学振特別研究員として、月20万円の働かせられホーダイ定額プランに加入していたからだ。平日は12時間以上は研究していた。本来働いてはいけない週末も、両日とも一日中研究していた。月間残業時間を計算してみると、優に150時間を超えている。それでも大して疲れなかった。学位が掛かっていたから休めなかったし、純粋に研究が楽しくて、手を止めるのが惜しく感じられたから。
ひと月前、初めての残業を行った。定時の2時間後に会社の門を出た。身体がボロボロになっていた。フィジカルはフルマラソン完走後のごとく、メンタルはカラスの頭上急降下脱糞爆撃がクリティカルヒットしたときのよう。家に着くや否や、何も食べずに寝た。疲れすぎていて食事もとれなかった。
学生時代と比べ、人とやり取りを交わす頻度が劇的に増えたように思う。もちろん、博士課程でも毎日人と話していた。学生部屋では、くだらない下ネタで後輩と一緒に腹を抱えて笑った。ちなみに、笑いすぎて顎関節症になった。指導教員とは、宇宙人に関して深淵なる哲学的対話を交わした。私は宇宙人は”いない”と思っている。先生は”いる”と思っていて、永遠に議論がかみ合わなかった。
会社員になって、なぜそんなにコミュニケーションで疲れ始めたのか。考えてみるに、対処すべき話題があまりに広すぎるからではないかと思い至った。
会議では、何分かごとに、技術的に全く異なる方面の話が繰り広げられる。新垣結衣さんの話をしていたかと思ったら、急に大谷翔平選手の話になる。それが済むと、今度は天皇賞(秋)の予想にかかる。武豊か、ルメールか、いやいやデムーロかと喧々諤々になる。浦島太郎になってしまうとマズいから、自分も頭を切り替え、話について行く。乗馬経験者としてアドバイスを求められるたび、「いや~、パドックを見ないと何とも言えませんねぇ~」とお茶を濁しておく。
私はどうやら、会社員に求められる頭のスイッチング頻度水準にまだ到達していないようだ。深く深く考えていく営みをしてきた私の思考切り換え偏差値はボーダーフリーレベル。まだまだ鍛錬が足りない。あれだけ四股を踏んでもまだダメなのか。もっと四股を踏まなければならないと思っている。だからこそ、四股を踏まねばならないと思っている。
残業する子は よいこ である。よいこ には相応のお小遣いが出る。残業タイムに入った途端、時間の価値が1.25倍になる。仮に月20時間残業したら、25時間ぶんのお駄賃をいただける。
アインシュタインは「複利」と「残業」を人類最高の発明と称した。私も同感だ。これは凄い。我らが地球文明は、カルダシェフ・スケールI突入前にタイムマシーンを発明してしまった。量子コンピューターなんか要らないじゃないか。電池もいらない。核融合装置もいらない。ドラえもんもいらない。みんなでスッポンポンになろう。
SHUCDECに就職して、可処分所得が倍になった。給料が上がり、唐揚げ社宅に入り、健康で文化的な生活を営めている。生活水準は博士課程のままに抑えている。するとどうだ、貯金がアホみたいに増えていくんだな。毎月、冷蔵庫を2個は買えそうなお金を余してフィニッシュする。博士時代の自分に仕送りしてやりたい。お金が不要な時に限ってお金があり、お金が必要な時に限って底を尽きている悲哀。
残業すると残業代が出る。弊社はウルトラホワイトアウト企業なので、残業代が満額支給される。10月分の給与には、半年分の交通費支給も加算される。基本給と残業代と交通費のトリプルパンチを食らい、可処分所得が博士課程比三倍になった。三倍って、何倍よ。三倍は三倍だろ。
こんなにもらって、どうするんだろう。皆、何に使っているのだろうか。使用用途が思い浮かばない。赤十字にでも寄付しようか。北大の研究室に渡そうか。札幌市にふるさと納税でもやってみるか。いっそ、アフリカに学校を建てに行ってみるか。いや、アフリカへ残業しに行ってみるか。
お金のゆとりは心のゆとり。金銭面での不安が払拭されたいま、人生で一番落ち着いている。恒久的に安定しているのか、それともただの小康状態なのか。毎日がルーティン的になって飽きつつある。しかし、幸福とは、衝撃や中断のない、一定で穏やかな動きのことなのかもしれない。
幸せなのが良いことなのか。自分は幸せを求めているのか。その真相は、美魔女の森の中である。
コメント