ガッキーを返せ
札幌に雪が降ったらしい。膝がすっぽり埋まる勢いで積もった。YouTubeで札幌の様子を見て驚いた。積雪とか雪だるまとかいう次元ではない。人間が雪だるまになるレベル。札幌都心でも無慈悲な暴風雪。寒そうだなぁ。見るだけで寒くなってきて、すぐにYouTubeの画面を閉じた。
寒そう、寒そうと言いながらも、昨年まではあの場所に居た。クラーク先生ともども、「Be ambitious… ヘクションッ!!!!!」と盛大にくしゃみをまき散らしていた。鼻水をすすり、大風邪をひき、耐えがたきを耐え、忍び難きをしのび、速きこと風のごとく、侵略すること吉田沙保里のごとく、勤勉に北大へと通い続けた。
北大には八年通った。最初は炊飯の仕方も分からなかった。炊飯ジャーに水も入れず、白米だけ入れてスイッチを押し、黒焦げになった煎り米をボリボリ食って「おかしいなぁ」と首をかしげていた。八年も通えば分別がつく。炊飯なんてお茶の子さいさい。お茶漬けもぶぶ漬けも作れるようになった。冷蔵庫だって手に入れられた。海青色の博士号学位記を携え、広島に凱旋就職した。
札幌は冬”以外”なら好き。冬””以外””なら札幌に住みたい。冬”””以外”””だったら今でも暮らせる。冬はキツい。来る日も来る日も白い粉が降ってきてラリってくる。アイツを見ていると、憂鬱になる。
広島に帰ってきた理由の167%が「雪を避けるため」。雪は嫌だ。寒いのは耐えられない。歳を重ね、身体の皮が薄くなってきて、いよいよ寒さに耐えられなくなってきた。北大最終学年でもすでに厳しかった。寒い所に住めるのも若いころだけ。歳をとりヨボヨボになった私には、温暖な広島の方が合っている。
冬にも数少ない楽しみがある。
冬といえば雪。雪といえばホワイトチョコ。ホワイトチョコといえば白い恋人。白い恋人といえばホワイトチョコ。ホワイトチョコといったらメルティーキッス。白い恋人は真夏でも売っていて、全く季節感を感じない。メルティーキッスは違う。明治製菓はメルティーキッスを冬にしか売らない。メルティーキッスは冬の季語。カメムシとメルティーキッスとクリスマスツリーが姿を見せるころ、本州にも冬が訪れる。
メルティーキッスにはロマンがある。メルティーさんをボリボリ食べていると、空から新垣結衣さんが降ってくる。一度、騙されたと思って食べていただきたい。皆さんの脳天へ、間髪入れずにガッキーが降ってくる。”ガッキーが必ず降ってくる”と100%信じている者にのみ降ってくる。降雪に紛れてメルティーキッスも降ってくる。口を開けて待っていると、たまにカラスの糞が落ちてきて危ない。
私は基本的に洋菓子を食べない。お菓子を食べるのは甘えである。夢の国など存在しないように、お菓子による快楽は、幻かペテンの類に過ぎぬ。お菓子は魔物。食べるとヤマタノオロチになる。お菓子を食べてマラソンが10分早くなるならいいが、化け物にしかなれぬ以上、食べる理由も無ければ、食べたいとも思わない。
メルティーキッスだけは違う。メルティーキッスは文句なしに素晴らしい。第一、あのパッケージから完璧だ。なんて美味しそうな外装だろうか。封を開けずにかじりついてしまいたくなる。口を大きく開けてガブッといこうとしたところ、顎関節症が発動して激痛が走った。
顎をおさえて開封し、ひとつぶ舌にのせると、雪のようなくちどけ。プレミアムショコラは、鼻息がブワッと漏れ出るほどコクがあって甘い。フルーティ濃イチゴは、他の果物をしばらく食べたくなくなるほどイチゴに心を奪われる。目をつむって咀嚼していくにつれ、頭の深奥から溶けていく。一箱食べ終えると思考不能に陥り、ついついまた一箱買ってしまう。
メルティーキッスといえばガッキー。ガッキーといえば、メルティーキッス。太古の時代からそう決まっていた。
週末、広島都心をぶらぶら歩いていた。10月下旬から、交差点の大型テレビビジョンが冬模様のCMに変わった。温かい服、温かい飲み物、温かくなるもならぬも相手次第なゼクシィなど、百花繚乱の様相を呈している。たまにお菓子のCMも流れる。私は騙されないぞ。夢の国などない。そんなに安く夢を買えてたまるものか。
馴染みある音楽が流れてきた。「ふーーーゆーーのき~っすは~」と、国歌の次によく聞くメロディーが八丁堀一帯に響き渡る。ああ、もう年の瀬か。ガッキーの季節になったなぁ。今年も本当に色々あった。博士課程を飛び級して修了し、地元のぽんぽこりん企業に就職。夏から乗馬を始め、マラソンに打ちこみ、人生観を揺るがす本と出会った。学生時代よりかは起伏の少ない日々だけれども、コレはコレで面白いから満足している。
さて、今年もガッキーに癒されますか、とテレビビジョンを眺める。そこに映っていたのは、似ても似つかない、ガッキーとは全くの別人だった。えっ…… ガッキー、めっちゃ整形したやん。なんでいじるの? 元のままで十分可愛かったのに。あのですね、日本人女性はですね、髪の色も、顔の形も各パーツも、何もいじらないのが一番いいんですよ。自然な姿で居てください。東京発のルッキズムなんて無視で良いって。頼むから整形なんてしないでください。
数多のインスタグラマーに続き、ガッキーまで顔を変えてしまったか。しかも声まで変わっている。昔より少し かすれていやしないか。何ということでしょう。美容整形医よ、俺たちのガッキーを返せ。五年ほど前の、ピチピチと色気の界面で電荷移動律速になっていたガッキーさんを返してくれ。
ネットで「メルティーキッス ガッキーじゃない」と調べる。俺たちの知っているガッキーではない。えっ、ガッキーじゃないの? ガッキーじゃないと思っていたら、本当にガッキーじゃなかった。ガッキーはガッキーでも、新しいガッキーだった。十何年ぶりかに演者さんが変わった。大人のお菓子というイメージから、若者向けのイメージに様変わり。
新しい女優さんのCMを改めて眺める。可愛いには可愛いんだけれども、爽やかすぎて気恥ずかしくなる。
二十代後半になってから、夏に流れるカルピスウォーターのCMが眩しすぎて正視できなくなった。自分もあんな青春を過ごしたかった。可愛い同級生の女の子と一緒に自転車で帰って、海辺で防波堤に腰を下ろして一緒にキュン飲みしたかった。過ぎ去った日々は、二度と返って来ない。いまはもう、広島湾のサンセットを、ニッカウィスキー片手にぼーっと眺め、「明日も仕事か…」とため息をつくのみ。カルピスの眩しいCMに己を照らされると、失われた過去の陰が色濃く浮かび上がってくる。それが本当に辛くて、しんどくなって、カルピスのCMを見られなくなった。当然、カルピスも飲めなくなった。
メルティーキッスのCMもカルピスと同じ匂いがする。あんなに爽やかな冬のCMを見せつけられると、胸が苦しくてたまらなくなる。夏はカルピス、冬はメルティーキッス。苦手なものが増えてきて、またひとつ生きづらくなった。春と秋しかのびのび生きられない。最近は気候変動の影響で両方とも短くなってきた。ああ、しんどいわ。クリスマスにサンタさんへ「彼女をください」とお願いしてみようか。
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