充電器

勤め先は太っ腹企業。入社一年目からテレワークができる。パソコン一台あればどこででも勤務可能。ベッドの中でも、サウナの中でも、水深7,000mでも、満員電車の中でも、女版二郎・スターバックスの中でも、競馬場の中でも、気合いを入れれば行きつけのパチンコ屋の中でだって働ける。入社一年目は出社強制とする企業も多い。そんななかでこの処遇は神。パチンコ屋の中ででも 台を キーボードを打って稼げるのは有難い。
在宅勤務が許されるとなれば、働き方の幅は無限大。どんな格好で働くか。服を着るか、着ないでおくか。どこで働くか。子供部屋おじさんのおじさん抜きか、スロット台の真正面にするか。いつ始業して、いつ終業するか。ニューデリー時間か、グリニッジタイムか。
弊社の中間決算が発表された。上期は赤字だったらしい。最近の市況はなかなか厳しい。関税や競合増加といった外圧と、四股を踏みすぎて機動力が落ち、柔軟性を失うハプニングがたび重なった。いくらぽんぽこりんの弊社といえども、これだけの事態に見舞われては赤字になる。弊社も所詮は人間ということ。武井壮も一日45分は眠る。弊社もたまには小休止して、今後の爆発的な発展に向けて力を蓄えなければ。
さて。弊社は超優良企業である。グループ内で体調不良者が現れたら、メンバー全員が在宅勤務に切り替える規則がある。コロナ騒動の名残りだろうか。感染や濃厚接触ドミノを連鎖させないシステムが残っている。
コロナ騒動は二年前に終わった。常時マスク姿の社員はオフィスに1%もいない。今さら、そこまで濃厚接触に過敏にならずとも、、、と思う。そんなことを言っていたらキリがないし、激化した競争を勝ち抜いていけない。念には念を入れ、社員はテレワークを行う。更なる体調不良者が現れれば仕事が回らなくなるから、そっちの方がよほどマズいということで、在宅勤務。
テレワークの良い所は、パソコン一台あればどこでだって働けるところ。パチ屋の中でもいける。ノイズキャンセリングイヤホンさえあれば、なんてことは無い。問題なのは、パソコン一台では働けないケースがあるところ。充電が満タンなら大丈夫。ガス欠していたら、充電器が要る。
ある日、オフィスで朝から働いた。5時に起きて18km走り、坂ダッシュをキメてシャワーを浴び、ビシャビシャのまま大急ぎで山陽本線に飛び乗った。危なかった。定時前始業の連続記録が三日で途切れるところだった。せめて五日ぐらいまでは延ばしたい。チャイムが鳴る前にオフィスで働いていれば、上司に与える印象も良いだろう。
午前中にチーム・ミーティング(MTG)が行われた。MTG(Mountain Gorilla)中に先輩社員が「昨日、○○さんが熱を出したらしい」と教えてくれた。確かに、あの人は見るからに具合が悪そうだった。咳はなかったが、顔色が悪く、如何にも「これから体調崩しますから」という表情を浮かべていた。マウンテンゴリラはいったんお開きとなる。マウンテンゴリラなどやっている場合ではない。メンバー一同、ただちに荷物をまとめ、在宅勤務に切り替えた。
始業してからまだ一時間半。これほど早く帰るのは初めて。大勢の社員を尻目にオフィスを突っ切って帰るとき、なんだかとんでもなく悪いことをしている気になった。朝、シャワーでびしゃびしゃになった髪の毛は、まだ完全には乾き切っていない。帰り道で髪を何度もかき上げる。川沿いを歩きながら、海風による天然ドライヤーで、髪を毛穴まで塩辛く仕上げていく。
家に帰ってもまだ12時前。少しだけデータ整理を行い、昼休みにリュックから弁当箱を出し、むしゃむしゃと平らげる。PCの電池が18%になっていた。そろそろ充電してあげなければ。名古屋人には味噌カツが必要なように、電池節約モードに入ったPCには電力が欠かせない。
充電でもするか、とリュックに手を入れる。何にも触れずに底をタッチしたとき、背中と脇がナイアガラの滝になった。ブツが、ない。充電器が、ない。どこへいった。どこへ出ていった。弊社の中でまだ働いているのか。イオンモールへ繰り出したか。さては一人でパチを打ちに行ったか。いやいやいやいや、困るんですけど。充電できないじゃん。どうすんの、あと18%だよ。
充電器くん、18%って、何%か分かる? 18%はね、18%なんだよ。10%を切ったら通信速度が落ちる。5%を割ったら電源が失われる。危険ゾーンがすぐそこまで迫っている。乗るしかない、このビッグウェーブに。いや乗らんでもいい。はよ帰ってこい。充電がしたい。充電をさせてくれ。リュックの中を何度あさっても、PCの充電器は見つからなかった。念のため、窓を開けて「おーーい!!」と呼びかけてみたが、やはり姿を現さなかった。
どこに行ったかなと頭を抱える。オフィスから帰る道を逆再生してみると、ロッカーに行きついた。
今朝まで充電器はリュックに入っていた。オフィスに着くやいなや、充電器をロッカーに放り投げ、背を軽くして悦にひたっていた。充電器は重い。一トンぐらいはある。単独ではさほど重さを感じないけれども、PCと一緒に背負えば、重さにレバリッジがかかって酷いことになる。今朝の通勤は背中が重く、肩が凝って仕方がなかった。早く楽になりたくて、ついつい充電器を会社に置いたまま帰ってきてしまった。
在り処が分かったのまではいい。さあ、これからどうしようか。電源があと数時間で切れる。切れれば在宅勤務どころではない。ヘタをすれば無断退勤扱いとなる。いまのままではいけないと思っている。だからこそ、いまのままではいけないと思っている。
社給PCにはたくさんの穴がある。USBのタイプAとタイプCを二本ずつ差し込める。充電に使えるのはタイプC。タイプCさえあれば何とかなる。家中を駆けずり回ってタイプCを探す。あった。違う。iPhoneの充電器やん。紛らわしいわ、どっかに飛んでいけ。
タイプA to タイプCのコードはある。タイプAを差せるアダプターもある。PCを充電するにはパワーが要る。力こそパワー。PC給電には65Wが求められる。タイプA式充電器だと12W程度しか出せない。これではパソコンを充電できない。ああ、困った。どうしようか。
最後の望みを君に託そう。モバイルバッテリーにタイプAを差し込み、PCにタイプCを差してみる。すると、PCからモバイルバッテリーに貴重な電力が移送された。18%だったのが16%になった。君はなんということをしてくれたんだ。寿命を縮めてどうするんだ。
モバイルバッテリーに八つ当たりしてもいい。その前に、喫緊の電力問題を解決する必要がある。家に核融合炉でも拵えるか。いや、太陽光パネルで手を打つか。そもそも、電気を作ったとして、それをいかにしてPCに移送するのか。電気はある。移す手段がない。パスタが無いならサイゼリヤに行けばいいじゃない。そんな単純な話ではないのである。
ネットで「ノートPC 充電器無しで充電」という意味不明なワードを打ち込み、調べてみる。さすがに無理だろう。充電器無しでどうやって電気を入れるのか。織田信長が武田騎馬軍団を打ち破れたのは、堺の職人に鉄砲を大量製造してもらったから。鉄砲無しではどうにもならなかっただろう。充電も同じような話じゃないか。
どうも違うらしい。充電器無しでも充電はできる。最近の家電製品はすごい。握りこぶし大のアダプターが充電器代わりになる。
アダプターはアダプターでも「パワーデリバリー」機能なるものを備えた品がある。どうもそいつは、PC充電器と同じ65Wを出力できるらしい。つまり、パワーデリバリーアダプターにタイプC to タイプCをうぅ~ん!すれば充電器になる。なんと、例のアダプターも、タイプCコードも、コンビニに売られているみたい。当然、家電量販店よりかは高いだろう。致し方ない、忘れ物をした罰だ。勉強代だと思って払ってやる。
昼食を鼻と口で5分でかき込む。三回噛んだら直ちに吸い込み、何度もオホン、オホンとむせながら、充電器探しの旅に向け、態勢を整える。
エレベーターでタワマンを降り、自転車にまたがりセブンイレブンへ。目当ての品は品切れだった。肺の空気が全部出たんじゃないかというほど深いため息をつく。ネットによると、パワーデリバリー対応アダプターは、コンビニでもセブンにしか売っていないとのこと。セブンになければ、どこにあるというのか。もうおしまいです。ありがとうございました。
次に向かったのは、ホームセンター。ホームセンターには電気製品が沢山ある。どさくさに紛れてアダプターも売っているのではないか。広大な店内を捜し歩くも、ない。店員さんに尋ねると、「ありますよ!」と連れていかれ、5mのアナコンダ型延長コードを手渡された。違う違う違う、そうじゃない。充電したいの。パソコンが! いまにも死にそうになっているから!
もはやこれまでか。万事休す。残った電力を総動員して仕事し、最後に電力を振り絞って「電源切れのため終業します」と報告するか。さすがにそれは怒られるだろう。いくら弊社がホワイトアウト企業といえども、やっていいことと悪いことがある。どうにかして充電アダプターを手に入れたい。
どうせないのだろうけれども、なかなか諦めをつけられない。最後の悪あがきにとファミマへ入る。ないんだろうなと思いながらケーブル類売り場を探すと、欲しかったものが10個ずつ売っていた。なぁ、セブンの分まで買い占めたんじゃないのか。どうしてファミマにあるんだよ。しかも、こんなにある。どれにしようか。よく見ろ、全部同じだろ。両方揃っちゃったよ。信じられない。
気分ルンルンで家に戻る。油断はまだ禁物である。まだ分からない、五千円払ってゴミを買ったかもしれない。充電ランプがつくまで気を引き締めておけ。アダプターをコンセントに差し込み、コードを社給PCにつなげる。PC左側の給電ランプが、ぴかっと北極星のごとき鮮烈な輝きを放った。
……マジで充電できちゃったな。コンビニで充電器が揃ってしまった。充電容量は、16%が20%になり、30%、40%と加速度的に上がっていく。目を離したすきに80を超えた。人間も同じように年を重ねていくのだろう。働き盛りの時代はあっという間に過ぎ去り、気付いた頃には精魂尽き果てて老後生活に突入する。
あと何年生きられるか知らないが、できる限り楽しく生きていきたい。サンフレッチェの勝ち負けに一喜一憂し、キャリアに悩み、親からのゼクシャルハラスメントに苦悶し、キルケゴールを読んで絶望し、それでも前を向いて突き進むだけの勇気を持ちたい。とりあえず、もう充電器を忘れないようにしたい。あー、疲れた。
~前作~
~次作~


コメント