税とマイナンバーのあいだ

皆さんは、何か「好きなモノ」を挙げろと言われたら、何を挙げるだろうか。仕事でも、読書でも、食事でもいい。人が大切にしているものは、本当に千差万別だ。みんな違って、みんないい。一騎当千、千差万別、色即是空、空即是色。人には人の乳酸菌。新ビオフェルミンS……
私が好きなモノはいくつかある。まずはランニング。走れば走るほど体が絞れてくる。早朝、出勤前にひとっ走りすれば、頭がよく働き、悪だくみが捗る。次に四股。四股は、在宅勤務中の気分転換にうってつけ。片足五回ずつでも集中してこなせば、”果たして俺は何をやっているのか”との虚無感に苛まれ、首をかしげながら仕事に戻れる。あとは読書。本はアタマに言葉の栄養を注ぎ込んでくれる。美しい文章は感性を磨いてくれる。リズムの良い文章は、何回か暗唱し、己の血肉とする。
広島で暮らしていると、人の「好き」は案外ちぐはぐだと感じる。昼休み、同僚が何を食べているか眺めるだけでも性格が出る。うどんしか食べない人。毎日コンビニの唐揚げ棒で済ませる人。弁当にやたら梅干しをたくさん入れる人。私のように何年間も魚缶を食べ続け、魚になった人。好みは小さな宇宙みたいで、どれも違うのに、なぜか全部理解できる気がする。
人類共通の「好きなモノ」は何だろうかと考える。麺の入った真正極道・仁義なきぽんぽこりんお好み焼きは当然として、他には何かないだろうか。多様性の時代とはいえ、何かひとつでも共通項が欲しい。
今後、我々はAIを味方につけ、科学文明を加速度的に進化させていく。人類が手にする総エネルギーは、核融合発電実現により、カルダシェフ・スケールのステージIを突破するだろう。人類が宇宙開発に繰り出す瞬間がいま目の前に迫っている。
宇宙に出れば、当然、宇宙人と遭遇する。彼らが地球に侵略してきたとき、人類をつなぎとめるものがお好み焼きだけでは心もとない。だからこそ、「人類共通の好き」がもう一つぐらい必要なのだ。
宇宙戦争に備えるべく、人類共通の「好きなモノ」を考えてみる。やっぱりアレか。アレ以外にないよな。アレより他には考えられない。逆に、アレ以外に何があるというのか。アレをもらったら、みんな笑顔になるものな。アレを貰って悲しい顔をする人と、今まで出会ったことがない。
皆さんは『お金』は好きだろうか。きっと、100人のうち10,000人は”好きだ”とお答えになるだろう。私もお金は大好きである。大好きすぎて、毎日持ち歩いている。信頼しすぎてクレジットカードも作った。留学前にはデビットカードも作った。広島に帰ってきて二日後にはプリペイドカードも作った。昔はNISAでオルカン積立投資していたし、いまはビットコイン投資で-30%の大損をこいている。えらいこっちゃ。
我々の大好きなお金だが、お金を持って行く不届きものがいる。そう、政府である。
日本政府は、我々の稼ぎから手を変え品を変え、無慈悲にお金を引っこ抜いていく。食べ物を買えば消費税を取る。土地や家を買ったら固定資産税を取る。オルカンで儲けたら分離課税。自動車を持ったら自動車税。老人補助のために年金保険料。宇宙に住んでいるということで宇宙住民税。働いて得たお金の半分が税金で召し上げられる。大好きなお金が取られていくたび、オー、マイマネー…… と絶望の声をあげる。
税金は無限労働システムの起動装置。生活を維持するためにお金を稼ぐ。給与から税金が引き抜かれ、ストレス発散で散在する。お金が足らなくなって、また稼ぐ。また税金を引っこ抜かれ、散在し、また稼ぐ。人間は欲望の塊である。もっと美味な珍味を欲し、土俵があれば四股を踏みたくなる。生活レベルを上げれば、おのずと税額が積み上がっていく。稼げど稼げど楽にはならない。しかし、生活維持のため、働かざるを得ない。税金のせいで我々は労働に駆り出される。税金は、この世の裏の支配者である。
闇の税金に対する防衛術として『節約』が挙げられる。お金をあまり使わぬよう倹約すれば税金も少なくなる。でもねぇ、節約って、つまらないんですよ。極限まで切り詰め、お金を使わぬようにすれば、お金はたまれど活力は衰えていく。もちろん、節約が悪いわけではない。コンロに小さな鍋を置き、弱火でコトコト煮える味噌汁を見ていると、「これで十分だよな」と思う瞬間もある。ただ、節約には“温かさ”がある一方で、どこか人生の輪郭を細くしてしまうところがある。
使い過ぎれば税金をしこたま取られる。使い過ぎなければオーラがくすむ。使うべき所を見極め、集中的に使っていく姿勢が大切なのであろう。
私もかつてはお金を極度に出し惜しみする性格だった。あまりに使わなさすぎるものだから、学部生時代、せっかくできた超かわいい彼女に「かめちゃんのどケチ!」と言われてフラれた。それ以来、お金の使い道を真剣に考えるようになった。大切なものにお金を注ぎ込む。信じるものだけにジャブジャブ使う。 たけのこの里 と きのこの山 のいずれが本流かを考える。私はメルティーキッスこそお菓子業界の横綱だと思っている。
会社員をやっていると、毎月ビッグイベントがある。弊社では毎月25日に口座へ給与が振り込まれる。給料日の2~3日前に給与明細が公開される。”今月は基本給と残業代を併せて一億トルコリラです”などと記されている。一億トルコリラまるっともらえるならいい。もらえないから弱らせられる。給与から所得税が引かれ、厚生年金保険料が抜かれ、労働組合の活動費が持っていかれる。給与明細を見るたび、胸の奥に薄い風が吹く。それでも月末には必ず明細を開いてしまうのだから、人間とは正直なものである。
結局、支給額から四割引かれたお金を受け取ることになる。蕎麦に例えるなら十割が理想だが、私たちが受け取る給料は六割蕎麦みたいなものだ。
消費税は支出を抑えれば減額できる。所得税や年金保険料は、源泉徴収される以上、逃れようがない。我々労働者は、残された六割のお金で日々をやりくりしていく。四割減らされたとはいえ、残りは六割近くある。生活に不自由するわけでもなく、快適すぎるわけでもない。育毛でもなく植毛でもないこの絶妙な匙加減がサラリーマンを悶えさせる。税額を決める財務省のお役人さんは天才なのだろうと思う。彼らには ノーベルよくもやってくれたなこんちく賞 を贈呈したい。
どうせ取るなら、ひと思いに全部持っていってくれればいいのに。少し残っているから使いたくなるのだ。絶対にありえない仮定として、私がもし禿げたとしても、てっぺんだけ残すなどという愚行は犯さない。てっぺんしか残らなかったら、てっぺんまで剃ってつるっぱげになってやる。いやいや、ダメだ。全部は持って行かないでくれ。五割ぐらいは残してくれ。いや、やっぱり六割は残して。髪はないと寒い。お金も一緒で、無ければ懐が寒い。
会社員にとって税金は、知らぬうちに取られていくもの。十割蕎麦のつもりで口に含んだら六割蕎麦になっていた感じで、いざ食べてみるまで何が起きているか予断を許さない。政府にもかすかに温情はあるとみえる。取ってばかりでは国民の機嫌を損ねるから、たまにはお金を返してやろうと。税金額を減らすボーナスチャンスが年に一度だけ巡ってくる。
年末調整なるものがある。名前は大層だが、やることは単純だ。一年間にどれだけ稼ぎ、どれだけ支払ったかを確認して、その差分を国と調整する作業である。アンパンマンが顔を入れ替えられてから本領を発揮するのと同じイメージだ。ちょっと何を言っているか分からないが、たいていの場合は税金が減る。減額の場合、支払いすぎた税金が返ってくる。
最近はマイナンバー制度なるものができた。国民ひとりひとりに番号を割り振り、個人情報を管理するシステムだ。年金支払額の確認や住民票の発行に用いられる。最近では保険証の代わりにもなった。家のルームキーにもなっている。ビジネスホテルでは、ルームキーの代わりにマイナンバーカードをかざせば部屋に入れる。自動車運転にも大役立ち。免許証の代わりもなれば、ETCカードの代用にもなる。
それだけ便利なら何でもやってくれるだろう。食材の調達もやって欲しい。私の代わりにフルマラソンを走って世界新記録を出しておいていただきたい。ついでに会社にも行って働いてくれ。ワシはもう疲れたんじゃ。あと何十年も働きたくないんじゃ。おい、働け。無理? ありがとうございます。
政府は国民の支出を監視している。我々が何を買い、何を企んでいるのかなど、もうとっくにお見通しである。当然、年末調整もやってくれるだろう。マイナンバーがやってくれないのなら、ChatGPTが申告してくれる。何のためにテクノロジーが進化したかって、確定申告のために決まっている。七面倒な作業をやらずに済ませられるよう技術を発展させた。今後も我々は税金に対する防衛術を成熟させていく。
年末調整はマイナンバーで自動的に終わると思っていた。あるいは、月極契約しているChatGPTが済ませてくれると見込んでいた。彼らは仕事を放棄した。アンパンマンがバイキンマンの目前で「やっぱり僕もバイキンマンの方がよかったよぉ」と弱音を吐いた。ちゃんと仕事をしてくれければ困る。アンパンマンよ、絶苦死胃を読ませるぞ。絶苦死胃にするぞ。いいのか。えっ、いいのか……
今年も年末調整を自分でやらなければならなくなった。何のためのマイナンバーなのだろうか。どうせ管理するなら税金も管理してくれ。ついでに私の夕食も作ってください。カレーと肉じゃがを交互にお願いします。洗濯もどうかよろしくお願いします。柔軟剤はレノアがいいですね。シャンプーの詰め替えもしていただけると幸いです。シャンプーの容器に洗剤を入れないでくださいね。入浴剤でもダメですからね。
博士課程に続いて三度目の年末調整となる。もう、何をすべきかは分かっている。まずはぽんぽこりんの所得を入力する。次に彼女はいるか、保険は何か、月に何km走っているか、愛車や愛読書は何かを記す。学生時代に力を入れて取り組んできたことは400字で書く。自己アピールも欠かしてはならない。納豆みたいな粘り強さからはレジリエンスをアピールできる。ガソリンのような潤滑油的エピソードも織り交ぜることで危険人物扱いとなる。
肝心の保険だが、3月まで国民健康保険(国保)と国民年金保険に入っていた。散弾銃レベルに無鉄砲な私でも、国の強制加入保険は免れられなかった。そんな私に朗報がある。昨年の年末調整から今までに払った保険料を申告すれば税額が抑えられる。血眼になって証明書を手繰り寄せる。本棚の奥の奥の次のその次のその次の裏側で見つけた。
保険料申告について、国保の方は証明書なしで申告可能だった。問題なのは年金の方。こちらは申告時に証明書が要る。その名も社会保険料控除証明書。東京特許許可局よりも言いづらい、いや遥かに言いやすいんだけれども、いずれにしても証明書がいる。ネットで調べたら、年末調整時期の近辺に家に届くらしい。そうか、分かったと言って待っていた。
待てど暮らせど届かない。鳴門海峡あたりで沈んでいるんじゃないかと心配になった。年金ネットを見てみたら、書面は電子交付とあった。電子ファイルを開いてみる。文字化けしていて、何が何だか要領を得ない。ロゼッタストーンに記されたヒエログリフかと思った。いや、ヒエログリフの方がまだ読みやすいかもしれない。初めて眺めた人工の天然記念物に合掌する。
データというものは便利なようで、時折こちらの理解を置き去りにしていく。形も匂いもない書類は、手触りがないぶん不安だけが増幅される。紙なら折り目や重さで「そこにある」と信じられるのに、画面の中の文字列はどこか他人事のようで、責任の所在がつかめない。
頭を抱えてぶんぶん振り回す。これでは年末不調整になる。証明書類を提出できなければ、年金保険料を支払った事実を証明できない。
仕方なしに年金事務所に向かう。自転車で30分走り、気づけば隣町を行き過ぎていた。汗だくで年金事務所に飛び込むと、「証明書の発行は一週間後になります」と告げられた。頑張ってここまで来て収穫ゼロで帰るのか。証明書にネコパンチもできないのか。せめてネコパンチぐらいはしたかったな。ネコパンチでもできれば溜飲が下がるものを。
首から上が肩より下にめり込んだ私を見て、窓口の方が「発行可能になればすぐにお送りしますよ!」と言ってくださった。さすがにまたここには来たくない。素直に「お願いします」と頭を下げた。
ここまで来ると、もはや書類の扱いではなく、“生き方そのものの整理”みたいな気分になってくる。紙切れ一枚に、今年の気持ちの揺れまで詰め込まれているようで、どうにも体が重くなる。それでもやらねばならないのがサラリーマンだ。
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人は生きているだけで、数字に囲まれている。歩いた歩数、買った商品の合計、銀行残高、走った距離。気づけば一日中、目にしているのは文字と数字ばかりだ。それなのに数字そのものの正体は分からない。どれも自分の生活の断片のはずなのに、どこか自分の知らないところで勝手に動いているようにも感じる。年末調整の数字を見つめると、なおさらそう思う。
マイナンバーも働かない。ChatGPTも働かない。アンパンマンなんて顔交換するだけ。結局、いちばん働いているのは自分じゃないか。テクノロジーは便利だけど、最後の一歩だけはいつも人間の手が要る。マイナンバーよ、お前はまず『心』を学びなさい。来年こそは年末調整をよろしく頼むな。
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