約束の場所
博士課程を二年で駆け抜けたとき、卒業旅行を企画していた。行き先はスペインで、バルセロナとマドリードにそれぞれ3泊する旅を検討していた。B1の二外でスペイン語を習っていたのと、スペイン語の発音がカッコいいことから、一度スペインに行きたいなと考えていたのだ。あと、サグラダ・ファミリアを生で見てみたかった。”世界一の建築物”との誉れ高い建物がどれほどのモノなのか眺めたかった。
抑圧と修羅場だらけの博士課程だったからこそ、海外で少し羽を伸ばしたかった。エティハド航空で航空便を確保し、出発に向けて準備を進めた。もう、楽しみで仕方がなかった。
出国三週間前、ふと気になってお金の収支を計算した。旅行のためにお金をためてきたけれども、果たして足りるのかと不安になった。案の定、足りなかった。航空券代と食事代で手持ち資金が尽きる計算だった。宿をホステルにしても全然足らない。何泊か野宿するにしても不足する。もしいま旅行したら、来月のクレカ払いで自己破産する。親に土下座してお金を無心しても「知るか、自分で何とかしろ」と一蹴されるに違いない。
逆に、いま旅行をキャンセルすれば、何の滞りもなく生活が回る。幸い航空券はキャンセルすれば全額戻ってくるプランだった。まだ宿の予約も何もしていないから、ここで旅を諦めれば問題は解決する。B4ではコロナ騒動で身動きを取れず、M2の春休みは筑波の国研で研究していた。ようやく訪れた卒業旅行の機会だったが、泣く泣くキャンセルした。
8/6に一社目を辞め、10/1の二社目入社まで2か月あった。会社員になってようやくお金の心配がなくなり、無職になったいま、時間にも体力にも十分な余裕がある。今こそ、卒業当時諦めた旅行に繰り出す時ではないか。一年半遅れの卒業旅行に行こう。そして、”研究者になったら戻ってくるから”と約束したあの場所に行こう。





まずはKLMオランダ航空でアムステルダムへ。13時間半のロングフライトを経て着陸した。疲労困憊のなかイミグレで2時間待たされ、時差ボケにも苦しんだ。入国審査を通過したとき、一日目の宿がないことに遅ればせながら気づき、頭を抱えた。今さら探しても遅い気がしたので、空港野宿で翌朝を迎えた。
アムスはクスリと運河の街である。街全体にそこはかとなくクスリの匂いが漂い、歩いているとハイになった。夜には、両脇を仲間に抱えられてフラフラ歩く人を見かけた。せっかくアムスまで行ったのだし、私もクスリをやってみようとマッシュルーム店の前まで行った。絶頂に至った方の恍惚とした奇声が店内から聞こえ、やっぱやめておこうと引き返した。
運河の方は美しかった。川は底が見えるほど澄んでいて、船でのんびりと移動する市民の姿が目立った。アムスは干拓で作った町だという。街に合わせて運河を作っており、なるほど道理で調和しているわけだと感じた。広島は川に合わせて発達した街である。自然と街の主従関係が真逆で、国が変われば考えることも全然違うんだなと興味深かった。




アムスに二泊して、バルセロナに向かった。バルサ行きの飛行機は出発が一時間遅れたものの、予定時刻通りに到着した。遅れる前提でバッファータイムもフライト時間に組み込んでいるのだろう。
バルサでは乗り放題チケットを買って、狂ったように乗り物に乗りまくった。路面電車やバス、地下鉄など、目につくもの全てに乗った。そうしたら、自分がどこにいるのか分からなくなった。なぜかスマホのGPS機能の調子も悪くなり、収拾がつかなくなった。ヤケクソになってまた乗りまくっていたら、いつの間にか出発地点に戻った。ホントよく分からない。
滞在2日目にサグラダ・ファミリアを訪れた。初めて見たとき、あまりの壮麗さに口が開いてしまった。今まで見たありとあらゆるモノの中で一番の衝撃かもしれない。元カノなんかより断然素敵だわ。そんなこと言っちゃだめだ、謝れ。Pairsなんかやめて正解だった。バルセロナに行って、大正解だった。
スペインは美食の国である。特に有名なのが、パエリア。パエリアは世界三大料理の一角を占め、広島お好み焼き・札幌ラーメンとあわせてよく知られている。とあるスペイン料理屋に入って、一番高いパエリアをオーダーした。ひと口食べ、熱すぎて大やけどした。アムスで買ったクスリを嗜みながら5分ほど冷まして食べると、美味すぎて鼻水が止まらなくなった。私、そんなにエビも貝類も好きじゃないんだけれども、なんか本当においしくてガツガツ行けた。ただし、二度来店するだけの金銭的余力はなかった。
バルサでは海に近いホステルを取り、毎日、日の出を見に行った。水平線から太陽が顔を覗かせる瞬間を人生で初めて目撃した。太陽ってけっこう早く出てくるものなんだな。もうちょっとジワッと出てくるかと思ったら、一気に ぷくっ と出てきた。日の出を見ながら筋トレし、ビーチでボーっと上裸日光浴。もう一生これでいいやというほど幸せな時間だった。



D1の12月にオックスフォード留学を切り上げたとき、研究者になったとき戻ってこようなと自身に約束した。博士号を得て、研究ポジションを掴んだとき、恨みごとの一言でも言ってやろうと考えたのだ。
オックスフォード留学は何も上手くいかなかった。受け入れ先の研究室に行ったら誰もいなかったし、一人で実験を始めるために必要な安全講習も受けられなかった。もがいた挙句、気力を使い果たし、博士修了後のアカデミア就職も断念した。そうかといって民間就職もうまくいかなかった。一社目では量産開発部門配属となり、職務内容が合わず大苦戦した。
転職を経て、二社目でついに研究職就職を果たした。なりたかった研究者に、なれた。自身との約束を果たすため、オックスフォードに向かった。
オックスフォードを訪れた日は、ちょうどオックスフォード大学のOpen Dayだった。各カレッジの先輩が進学希望者を歓迎しており、進学候補生であろう若者が頬を紅潮させて町を走り回っていた。陰鬱だった私の留学生活とのコントラストに意識がくらっとした。私はオックスフォードで笑えなかったのに、こいつらはこんなにも楽しそうにしている。人生って何なんだろうな。理不尽だわ。
研究したくても研究できなかった研究棟を通りかかると、留学中に私を終始無視した受け入れ研究者がいた。先生は両手を大きく広げて新入生をウェルカムしていた。これ以上近付いたら私が爆発するおそれがあり、足早に距離をとった。気付いたら、両手の爪が手のひらに食い込んでいた。血がにじんでいた。
D1でオックスフォードに打ちのめされて帰国したとき、博士課程もやめようとした。海外で研究者になる足掛かりを築くために海外留学したのに、足場どころか土台から崩され、すっかり意気消沈した。それでも、負けたまま終わるのもなんか悔しくて、立ち直って業績を挙げ、一年飛び級修了を果たした。
オックスフォードよ、オレは負けなかったからな。てめぇが課した試練を乗り越え、博士号を取って研究者になったからな。D1の自分を三年ごしに救い、胸中にあった唯一のわだかまりが柔らかくほどけていった。
オックスフォードからロンドンに移動し、ビッグベンや大英博物館を眺めて帰った。最終日はプレミアリーグのトッテナム対アストン・ヴィラ戦を見るつもりでチケットを押さえていたが、その翌日の帰国日に台風が成田を直撃する予報になった。欧州も戦争のゴタゴタできな臭くなってきたし、帰れなくなったらマズいので、一日繰り上げて帰国した。
ほんと、人生って思い通りに行かないね。


















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