【トルコ・欧州旅行記】一か国目:トルコ(イスタンブール)

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12/31 全体の行程

  • ホテルからベシクタシュ地区 (ヨーロッパ側)にフェリーで移動
  • ベシクタシュ地区を行進
  • 昼食
  • 帰還

前夜、宿のトルコ人との会話

宿のテーブルでラップトップを開いてカタカタとデスクワークをしていた。不意に右から『アナタハニホンジンデスカ?』と片言の日本語で尋ねられた。ビックリして横を見ると、ビール瓶を持った外国人が笑顔でコチラを見つめて立っている。「そうだ」と答えたら『やっぱり^ ^』と笑顔に。隣にドカッと腰を下ろしてペラペラ何やら話し始めた。デスクワークは頓挫した。せめてあと少しだけ待ってくれたら良い所でキリを付けられたのに。まぁ、いいや。さほど重要な業務ではないし。

それよりこの人はさっきから何を言っているのか…?日本語を話すかと思えばトルコ語に、トルコ語かと思ったら急に英語やスペイン語に切り替わる。話しかけてくれたのは有難い。でも何を言っているのかサッパリだ。「あのぉ~…、どれか一か国語で喋ってくれない?」『何語が良い?』「英語でお願い」『分かった』と言語を英語で固定して話して貰った。

彼は40歳のトルコ人 [Dさん]。宿のある地区で生まれ育ち、トルコの海軍で7年務めた後はブラブラしているらしい。専門は電子工学。回路にけっこう詳しいらしい。「家電製品も直せるの?」『もちろん!そのパソコンも直してあげようか?』「いや、遠慮しておく (頼むから触らないでくれ)」

私も簡単に自己紹介。”北大の博士課程で電池の研究をしている”と言ったら『Cool !!』と言ってくれた。彼は何故か博士課程の過酷さを良く知っていた。『大変だろうけど頑張ってね…』「ありがとう。まぁ、ボチボチ頑張るわ」と。トルコの博士課程はアメリカと同じく5年間もあるらしい。5年も博士課程をやったら私なら気が狂ってしまう。辛くて辛くて仕方が無いから1年繰り上げ早期修了しようとしているほど。トルコの大学院生を見たらこれからは (すげぇなぁ…) と頭が上がらないわ。

日本とトルコの違いを話していたら『エルトゥールル号を知っているか?』と尋ねられた。もちろん知っている。江戸時代、トルコ人を乗せたエルトゥールル号が帰国時、和歌山県沖で沈没した。その際、漂流民を我らが日本人たちが命を張って助けたのだ。体が治るまで衣食住の世話をし、みな万全の調子まで回復してから船を拵えトルコに送り返した。それ以来、トルコと日本は固い友情で結ばれている。片方が地震で大きな被害を被ったときはもう片方が無償で支援する。トルコ人はエルトゥールル号の出来事を歴史の授業で習うらしい。日本では学校で教えてもらえない。自ら調べないと知り得ない出来事。

彼は急に感極まったようで『コレを聴いてくれ』とYouTubeを開く。日本の音楽をモチーフにしたトルコ人歌手の歌を聴かせてくれた。ノスタルジックで心が休まる。日本の歌手からは感じられない異国情緒あふれる音楽だ。「いいね」『だろ?もっと聴かせてやるよ』と何曲も何曲も教えてくれた。流石に途中からは飽きてきた。”もういいよ…”とも言い出し難く、彼が満足するまで付き合ってあげた。

別れ際、彼が『イスタンブールを案内してやるよ』と言い出した。嬉しい反面、何だか嫌な予感がする。彼は妙に強引な所がある。こちらの意思を全く汲み取らず、自分のやりたい事やしたい話を延々と繰り出す習性がある。面白ければまだ良いのだが、全然面白くないから困る。(明日はどんな一日になるのだか…) とヒヤヒヤしながら就寝した。

トルコ人に引きずられながら

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