こんにちは。札幌と筑波で蓄電池材料研究を行う工学系大学院生のかめ (M2)です。
研究室生活春夏秋冬M1・12月編では、12月に起こったアレコレについて書いていきます。
それでは早速始めましょう!
論文執筆が佳境に入る
M1の7月からIF(インパクトファクター)42の雑誌への投稿を目指して書き始めた論文でしたが、12月になってようやく終わりが見えてきたのです。
一番苦戦したイントロの作成をどうにか終えることができ、自分の原稿をつくばの共同研究者さんへと送って添削していただいておりました。
いや~、やっと完成するのか…
長かったなぁ
と、これまで歩んできた果てしない道のりを思い返して感慨深くなりました。
私の指導教員曰く、電気化学の論文って通常は三か月程度で一つの論文を書き終えられるものらしく、私のように論文完成までに半年もかかるのは極めて稀なケースらしいです。
ただ、実はまだ論文執筆は終わっておりませんでした。
共同研究者さんが何をお考えになったか、メールで
一回リセットして構成を考え直してみようか♪
と論文の枠組みを大胆に変えることを提案し、それに従う形で図表の配置順を直すことになったのです。
Figureを並び変えるということは、それに付随する結果と考察も並び変えるということです。
順序を入れ替えたことで図表の説明内容も微妙に変えなくてはなりませんし、その修正作業で再び私の憩いの時間がかき消されてしまいました。
この作業は年明けの1月中旬にようやく終了いたしました。
あとは英文を校正会社に送って英語表現を修正していただくのみとなり、ようやく肩の荷が下りてリラックスできた形であります。
クリスマスイブにフェローシップ内定
先月のドタバタ喜劇の渦中で申請したフェローシップの採択結果がクリスマスイブにメールで送られてきました。
結果は『内定』ということで、D進後のお金の問題の解決に無事成功しました。
本フェローシップでは月額15万円の研究奨励金のほか、年間40万円の研究費や就職支援などのサポートを博士課程3年間にわたって受けられます。
コレ、めちゃくちゃ大きいです。もしJASSOの奨学金(奨学金とは名ばかりの学生ローンですが)でやりくりせねばならなかったら、博士修了時に数百万円近い借金を背負うため人生プランに支障をきたすでしょうから。
こんなフェローシップなどない時代の方ってどうやって博士課程を生き抜いていたのでしょうかね?
まったく、想像するだけで恐ろしいです。ちょうどD進するタイミングでこんな素晴らしい制度が生まれて本当に良かったと思いました。
なお、私の属する専攻では3名の募集枠があったらしく、応募者もちょうど3名だったみたいです。
しかも、応募者は私、同じ研究室の同期、そして別の研究室の仲の良い同期の3名ということで、知り合いがみなハッピーな結果を掴めて胸をなでおろした形になります。
私、大学入学以来、毎年クリスマスイブに献血をする習慣がありまして、このフェローシップ内定の通知を受けたのがちょうど献血からの帰り道のことだったんです。
良いことをしたらちゃんと還ってくるものだなぁ^^
と、善行が報われた嬉しさにほくそ笑みました。
フェローシップ内定によりお金の問題を解決し、コレでようやく私のD進が現実のものとなりました。
次回記事では、年末年始の帰省にて両親へD進する旨を伝えた様子を記したいと思っています。
次回予告
研究室生活春夏秋冬M1・12月編はコレで以上となります。
次のM1・1月編では
- 親へD進の意志を伝える
- 論文をCell Pressへ遂に投稿!
これら2つの内容でお送りします。
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