北大と国研で研究している化学系大学院生かめ (D1) です。高2の頃に症状が悪化したミソフォニア (音嫌悪症) に大学時代も苦しめられました。『普通』の大学生なら当たり前にやっている部活やサークル、仲間との旅行。ミソフォニアの私は、そんな何気ない賑やかな暮らしを諦めざるを得ませんでした。大学時代の毎日を自分なりに輝かせられるよう試行錯誤。結果、自分の中では最高に満足できる楽しい時間を過ごせたのです。
この記事では、ミソフォニアの自分がどのようにして学生生活を楽しんだか話します。
- 日々に生きづらさを感じているミソフォニア大学生&大学院生の方
- 大学生活に不安を抱いている中学生&高校生ミソフォニアの方
こうした方々に希望を与えられる記事に仕上げたので、ぜひ最後までご覧下さい。
それでは早速始めましょう!
部活&サークル:学部一年次・4月に加入を諦める
部活やサークルに所属すれば、人との密接な交流が欠かせません。物理的距離を近く保ち、密室で、あるいは屋外の一角で過ごすことになります。普通の学生なら問題ないでしょう。仲間と、異性と近い距離で過ごす時間は、青春時代を鮮やかに彩るのに不可欠な濃厚エッセンスですから。しかし、私は普通ではない。何てったってミソフォニアだもの。トリガー音を耳に入れるのが耐えられない。人との距離が近いだけで「嫌な音を浴びせられたらどうしよう…」と不安になってしまう。たとえ部活やサークルがどれだけ楽しそうでも人の輪に加わるわけにはいきません。トリガー音で発作が引き起こされた際に味わう苦痛は耐えがたいものです。
学部一年次の4月、北大へ入学して早々に学生団体への加入を諦めました。新歓には行った。部活に入ろうと勇気を奮い起こした。でも、自分には無理でした。音と発作が怖くてたまらなかったからです。先輩や同級生たちがワチャワチャ騒いでいる中に自分も混ざって遊びたかった。楽しそうだった。自分も楽しみを味わいたかった。ミソフォニアが邪魔をして楽しめなかった。雑踏の中でトリガー音が鋭く胸を貫き、夢見心地の自分を一瞬にして現実へ戻し、その勢いで絶望の峡谷へと叩き落した。こんな所でカクテルパーティー効果が発揮されなくたって構わないのに。トリガー音は自分に必要な音じゃない。聞きたくもない。なのになんでこんなにハッキリと聞こえるんだよ…
ランニング:運動部歴ゼロからフルマラソン3時間切りを達成
学生団体への加入を諦めるとなると、四年間、一人で過ごさざるを得なくなります。他の学生と交わりのある時間は講義前後の休憩中のみ。他の時間はずっと一人。朝も、昼も、夕方も、夜も、人と言葉を交わさず過ごす時間が淡々と流れていく。当然、こんな日々は面白くありません。周りがこの世の春と言わんばかりに楽しく過ごしているなか、自分だけ何もせず、不貞腐れた顔でキャンパスと家とを往復するのはあまりにも興ざめ。
学部一年次の5月、GW最終日、とうとう我慢できなくなりました。「もうやっていられない。こんなはずじゃなかったのにっ!!」と頭をかきむしり、夜道をパジャマで全力疾走。激しく高まる胸の鼓動と呼吸。額には大粒の汗。腿は軽い筋肉痛。あぁ、なんだか生きている実感がするなぁ… 機械的で無機質な大学生活のなかで初めて躍動感を味わえました。これが青春ってヤツか。他の人とはずいぶんと違う形での到来だけれども、型にハマっていなくて、自分らしくてかえって良かったかもしれない。
以降、定期的にランニングをすることに。高校の体育で使っていたボロボロのランニングシューズを履き、週3で20~30分程度、朝5時からジョギングする暮らし。朝に走ると、走行中に日光を浴びられます。日光は人間に幸せホルモンを出してくれる。走っていると幸せな気分になれるんですよね。憂鬱で悲しい気分が吹き飛ばされ、今日という一日を生き抜く希望を得られます。最初は20分程度のジョグでも筋肉痛に。人間は肉体的負荷へ適応していくものらしく、走行時間が40分、50分、60分… と単調増加していきました。練習すればするほど長く走れるようになるのが面白くてたまりません。ランニングにどハマりしてしまいました。学部二年次には練習頻度を週4に、三年次には週5で走るまでに。
せっかく走るなら何か目標があった方がいい。目標もなしに走るのは面白くありません。自分に挑戦する意味でもできるだけ高い目標を定めたい。ターゲットタイムはフルマラソン3時間。マラソンを2時間台で走れるようになれば自分に自信を付けられるんじゃないかな?
速く走れるようになるには闇雲に走っているだけではいけません。陸上競技専用の練習法に則って走り込んでいく必要が。私は運動部歴ゼロの素人ランナー。練習法なんてこれっぽっちも知りませんでした。そこで、書籍へ頼ることに。書店で陸上関連の練習本を買ったり、図書館へ行ってランニングコラム本を借りて読んだりしました。本で得た知識を己の体で試し、効果があれば採用/効果がなければやり方を変えてみる。試行錯誤の結果、走行ペースがますます速くなってきました。時々脚をケガしました。膝の痛みやふくらはぎの肉離れなどで走れずに休養を強いられる時期も。そんな時は体幹補強でパワーを増強。停滞しているのが怖い。進むのをやめたらミソフォニアの現実に引き戻されてしまいそうで。
学部三年次の11月。山梨・富士河口湖畔を走るマラソン大会で3時間切り (サブスリー) を達成。フィニッシュ時は感極まって泣いてしまいました。まさか、本当にサブスリーできるとは思っていなかったから。最初はミソフォニアの苦痛に耐えられなくて走り始めました。練習法も足のケア方法も何も知らないなか、たった一人、暗中模索で上達法を手探りしてきたのです。脚力を鍛え、心肺機能を高め、腹筋や背筋を徹底強化。練習法が正しい保証はない。レースで走ってみるまでは分からない。自分の努力が根底から覆される可能性におびえながらレースをスタート。サブスリーできて心底安堵しました。
ランニングは私の生活に生き甲斐を与えてくれました。ここまで生きてこられたのは、ひとえにランニングのおかげではないかと思います
読書:コミュニケーション不足解消に役立った
学生団体に所属しないとなると、他人とのコミュニケーションを図る場面がほとんどありません。同級生から試験の過去問を貰うために頭を下げたり、スーパーのレジで店員さんに「レジ袋はいりません」と言ったりするぐらいしか発話機会がないのです。大学受験浪人時代よりも言葉を話す回数が減りました。1週間ぶりに人と話したときは、発声があまりに久々すぎて、声の出し方を忘れていたぐらいです。人として重要な”何か”が欠落していくような感覚が。会話不足のせいだと分かっていても、会話してくれる相手がいないから、もうどうしようもありません。
一年次の前期を終え、夏休みに入りました。2か月間、誰とも話さない空白で虚無の期間が訪れたのです。流石に危機感を覚えました。このままだったらおそらくレジ係としか話さず夏を終えてしまうだろう、と。人とのコミュニケーション機会を作るため、札幌競馬場の清掃バイトへ応募。応募してから気付きました。清掃バイトってほとんど人と話さない沈黙の仕事じゃないか、、、と。発話不足で脳機能が弱り、バイトの選択さえ誤ってしまいました。誰かと話したい。意思疎通をしたい。けれども、話し相手がいない。大学に行った所で教室はガラ空きだし…
困り果てた私は図書館へ行き、何冊か本を借りてきました。書籍を読み、文章を通じて著者と意思疎通を図ろうと試みたのです。この本を通じて作者は何が言いたかったのだろう?我々後世を生きる人間に何を伝え、書籍にどのような普遍的価値をもたらしたかったのだろう?文章を読みながら黙々と考える。本の内容はもちろん、その裏に隠された著者の真の意図を読み解こうと試みました。読書は自分にとても合っていました。本を読むたびに気持ちが満たされ、暗くて単調な日々に希望の光を煌々と照らしてくれたのです。おまけにコミュニケーション不足の解消にも役立った。著者と対話するようにして読むことで、実際に人と話しているような感覚で濃密な時間を過ごせました。
読書が好きになって以来、毎日のように図書館へ通い詰めるように。毎日2~3冊ほど本を借り、一晩で読み切り、返却してまた次の本を読むサイクル。貧乏学生の私にはピッタリな趣味。お金がなさ過ぎて一日二食生活を強いられるぐらい貧困に苦しんでいた当時、ゼロ円で読書を楽しめるのは本当に有難かった。二年次以降、ある程度お金に余裕が生まれてきたら、今度は書店で本を購入するように。書棚に陳列された中から気になる本を手に取りって読み、ほしい本を買って帰って読みました。最初に買った本は『嫌われる勇気』。自己啓発に端を発し、哲学や歴史、純文学など、人文科学系の本をよく読みました。
読書は私の【情緒】を育んでくれました。綺麗なものを見て「綺麗だ」と思える心を、美しい文章を読み、鳥肌を立たせながら「素敵な表現だな…」と感動できる心を。日々の何気ない出来事に幸せを見出すのに情緒は不可欠。ミソフォニアだと毎日が苦しくて仕方がないけれども、何事からも幸せを見つけられるスキルがあれば苦しみを帳消しにできるのです。普通の学生が人との関わり合いを通じて会得する情緒を本から学びました。読書、いいですよ。ミソフォニア大学生の趣味としてオススメです^ ^
ブログ執筆:経験の言語化で反省力と分析力が鍛えられた
内向的な自分はどう頑張ったって外向的な性格にはなれません。そもそも他人と物理的に距離を縮めるのさえ難しい以上、団体行動したり誰かと一緒に何かを成し遂げたりするような離れ業は不可能。内向型の性格は変えられない。外交型っぽく振舞えば体が壊れてしまう。誰かと一緒にいるより、一人でいる方がむしろ落ち着く傾向が。トリガー音の発生におびえなくても済むし、心を鎮めて日々の疲れをとって安らぐことができます。
外向型にはいくら望んだってなれっこない。だったら徹底的に内向型になってやろう。関心のベクトルを自身の内側へ100%向けました。自分の過去に思いをめぐらせ、経験を言語化し、過去の出来事に何らかの意味を見出してみよう、と。ミソフォニアの症状が酷い以上、”いま”沢山の経験を重ねるのはもう難しい。旅行に行ったって道中は洟をすする音に苦しめられるし、言語学習を極めたって話し相手がいません。それなら過去から学ぶしかない。まだ元気だった昔の自分の経験から人生の秘訣をなるべく多く抽出するしかない。
中三のころ、国体馬術競技で優勝できたのはなぜか?優勝から何を学んだのだろう?全国の頂に立つのに必要な努力量はどれぐらいか?どうして乗馬をやめてしまったのか?勉強よりも乗馬の方が明らかに向いていたにもかかわらず、勉強の道を選んだのにはどのような理由があった?高三で大学受験に落ちたのはなぜか?A判定からどうして落ちた?どうすれば落ちずに済んだ?もしも受験生時代に戻れるならどう勉強する?一発勝負の試験で成果を残すべく、好成績を高い再現性で取るにはどんな勉強が必要だったか?浪人生活を通じて何を学んだか?浪人にどのような価値を見出せるだろうか?
自分の過去へ何度も「なぜ?どうして?」と問いを突きつけて掘り下げていきました。頭の中だけで考えてもグチャグチャになるだけ。文字に起こして己の思考を明瞭にしようと試みたのです。自己分析のため、ブログ執筆を始めました。過去の自分と対話し、行動意図を分析し、己の根底を貫くコアバリューを発見するのが目的。ブログ執筆のおかげで分析力と自己反省力が高まりました。過去から学び得た教訓を今に活かし、なるべく多くの希望を夢見られる自分なりに楽しい未来を描けるように。普通の幸せなど到底望めない以上、幸せを再定義するしかありません。ブログ執筆で培われた2つの力は、私にとっての、私だけの幸せを見出すのに重宝しました。
とっても豊穣な四年間でした
ランニングと読書とブログ執筆しかしなかった北大生活。学生団体に所属している人からすれば、刺激に欠けるモノトーンな日々に映るかもしれません。私にとって大学生活は豊穣極まりない時間でした。毎日が宝石のごとき燦然とした輝きを放っていたのです。”このままずっと大学生活が続けばいいのに…”と天の神様へお祈りしたぐらい。自分なりの幸せを定義できれば毎日がこんなにも楽しくなるんだなと分かりました。
ミソフォニアだからといって学生生活を楽しめないわけではありません。そりゃ勿論、普通に生きようと思ったら難しいですよ?私のように一般的な学生生活を諦めさえすれば大丈夫。諦めるのが幸せへの近道。諦めることで自分なりの幸せが明らかになります。
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