誕生日を献血と絶景で祝う
誕生日の朝
今年で27歳になった。正真正銘のアラサー男だ。三十路(みそじ)の階段昇る♪…何だか全然嬉しくないな。
中学・高校生の頃は誕生日が楽しかった。一つ、また一つと大人になっていき、自分にできることが少しずつ増えていくのが快感だった。20歳になった日なんて、起きた瞬間からソワソワして落ち着かなかった。入力フォームの年齢欄に「20」と初めて記したときは随分と大人になった気がした。
年齢がただの記号に変わったのは25歳あたりから。24歳から25歳になった所で何の感興も引き起こされなかった。自分の誕生日すら忘れかけてしまうことも。彼女も友達もいない自分には誕生日を祝ってもらえる場面がない。ちなみに、私の指導教員は学生に対し、先生自身の誕生日を祝うようお願いしてくる(かわいい)。配属学生の誕生日すら知らぬ先生のことをなぜ祝ってあげねばならぬのか。祝われたいならまず相手を祝うべき。ギブアンドテイクを何卒お願いいたします。
そんな私にも誕生日を祝ってくれる存在がいる。XとLINEは一日中、風船爆弾で祝福の嵐。律儀に祝ってくれるのは君たちだけ。ありがとうね。何だか泣けてくるわ。
9時ごろにはANAとJALもメールにて祝ってくれた。二社からはPC用の壁紙までいただいた。ANAは、CAさんに踊らせたショート動画をYouTubeに載せるなどイマイチなSNS戦略をとる。しかし、お客さんの誕生日メールを欠かさず送ってくれるから嫌いじゃない。その勢いでSNSの使い方も見直して欲しい。いつまでJKのクソガキみたいなSNSの使い方をしているんだよ。JALの壁紙はカラフルなデザイン。目がチカチカして少し痛くなってくる。パソコンの背景には適さないかな。来年はJALの社風に合ったクラシカルで落ち着いた壁紙をお願いします。
家族と後輩もLINEで祝ってくれた。筑波の国研へ出張中の後輩からは、完璧に壊れて使えなくなった実験装置のデータが併せて送られてきた。なんて素敵なプレゼントなんだ。もうこの装置は使えないね。息絶えた実験装置に合掌。もともとこの装置は自分が使い始めた五年前から様子がおかしかった。博士課程進学を決意する際も、この装置が壊れないかだけが唯一の懸念点だった。結局、ちゃんと壊れてしまったわけだ。博士課程を標準年限で修了する実験ペースだったら壊れた装置を前に頭を抱えていた。やはり、自分は肝心な所で運に恵まれている。ツキがある。ツキの良さを活かして生きていきたい。
55回目の献血@血小板
模範的北大生として、誕生日は献血へ行くと決めている。イギリス留学で献血に行けなかったD1を除き、七年間欠かさずバースデー献血へ行ってきた。積み上げられた献血回数は今日で55回。銀色有功章のもらえる70回まではあと15回。献血は金銭的報酬の無いボランティア活動。献血者は年々減少傾向に。私は献血を通じ、社会へ何らかの形で役に立たせてもらって「貢献感」をいただいている。貢献感だけで十分だ。血液検査までしてもらえるおまけつきだなんて最高じゃないか。
献血ルームへ行くついでに研究室のゴミ捨て役を買って出た。ビン・カン・ペットボトルと段ボールをコンテナへ捨てに行った。自分の修了後、研究室にはゴミ捨てを自発的に行う人など現れないだろう。誰かが働きアリになってゴミ捨てを自主的に行うしかない。ゴミ捨て当番の押し付け合いをするのかな。するんだろうな。それを契機にケンカと不協和音が始まる。
白銀のメインストリートを南下し、札幌駅前の献血ルームへ。滑らずゆっくり歩いたせいで予約時刻に一分遅刻した。大学のゼミなら雷を落とされていた所だ。献血ルームの方からは詰められなかった。自分の時間帯は献血者がごく僅か。やはり、雪が降ったら献血ルームへの足が遠のくらしい。全人教育を受けた吾輩にそのような心配は杞憂。雪でも雨でも大嵐でも、飛行機が欠航になっても泳いで献血に行く。
血液中の血小板成分が少なかったのだろうか。いつもより献血時間が二割ほど長引いた。一時間超の献血椅子への拘束にはグッタリさせられた。一時間ランニングするよりも一時間献血する方が疲れる。献血中は備え付けのタブレット端末でガッキーのYouTube動画を見て耐え凌いだ。どれだけ疲れていてもガッキーを見れば苦痛に耐えられる。ホンマに彼女が欲しくてたまらない。癒しがなければやっていけない。癒しさえあれば後はどうとでもなる。最近、久々に好きな人ができた。胸をキュッと締め付けられるあの感覚が蘇ってきた。
絶景
誕生日はお祝いを待っていては駄目。自ら主体的に動いて祝われに行かなくては。自らを絶景で祝福することにした。市電とロープウェイを乗り継いで藻岩山へ登る。山頂は吹雪。視界不良のせいで景観が悪い。本当ならもっと遠くまで見えるはずだったのだけれども。折悪しく天気が悪くてガッカリ。寒すぎて山頂から五分で下山。消化不良の登山となった。
イマイチな景色で誕生日を終えたくない。夜景に再挑戦したい。札幌市内の夜景スポットといえばJRタワー。高層階から札幌市内を一望できる。おまけに誕生日の入場料はタダ。コレは行くしかないぞということで展望室へ。
地上38階は190万人都市の喧騒とは無縁。都市と夜空が奏でる無言の旋律へと静かに耳を傾けた。
高層の展望台から見下ろす札幌の夜景は、宝石を散りばめた絨毯のよう。凛とした北国の夜空の下、北の大都市は光の海へと姿を変えていく。無数の灯りが大地に降り立つ星座のごとく景色を華やかに彩る。大通りは白銀の帯として街を鋭く南北に貫く。行き交う車のヘッドライトはせせらぎとしてのアクセント。儚い軌跡を描いては消え、また描いては闇の中に消えていく。街の中心で輝きを放つ階段状のビルは、光で編まれた塔のように立ち上がる。温もりある灯りは、冬の闇夜に咲く一輪の花として優しく街を照らし続けている。白く舞い散る粉雪と、温かな建物のイルミネーション。両者の交差が織りなす風景は神秘性を醸し出す。
札幌には今年までに八年滞在した。あと三か月でこの街を離れ、4月からは暑苦しい広島にて新生活を始める。第一志望校の受験から逃げて北大を選んだ。その決断の成否はまだ分からない。自分の進路選択へは未だに自信を持てない。後悔は数多。もっと冷静に決めておけばと思ったことは幾度となくある。
でも、一つだけ確かに言えることがある。この八年間、過去の選択を正解にするために突っ走ってきたと言うこと。正解を求めて頑張ったんじゃない。自分の歩んできた道を正解にすべく、ありとあらゆる努力を惜しまなかった。正解かどうかは自分で決めればいい。後から振り返ってみたとき、自分が正解だと思える人生ならそれでいい。この先の人生でも数々の岐路に立たされるだろう。どちらを選んでもいい。いずれの道に進んだとしても、仮に不正解だったと思ったとしても、地獄の底からフルパワーで這い上がって自分だけのストーリーを創ればいい。八年間の北大生活をようやく肯定できたような気がする。合っていたかどうかは分からないけれども、少なくとも絶望的に間違った道ではなかったのだろうな。
北大で過ごした八年間で「幸せを掴み取る自信」が高まった。何でもこい。さぁ、かかってきやがれ。どんな出来事でもプラスに変え、自らを突き動かす原動力にしてみせる。
悪夢の予備審査会
第二ラウンドの予備審査会。コレをクリアすればファイナルラウンドの公聴会に進める。もしも突破できなければ博士課程がもう半年間増える。広島企業への内定が取り消され、早期修了の夢が夢のままで終わるだろう。否が応でも気合が入る。絶対に突破してやるぞとの強い気持ちで臨んだ。
予備審査会前、指導教員から「D論は審査会当日に会場へ持って行けばいいよ」と言われていた。念押しして何度も確認したが、いつも返答は変わらなかった。先生の話を信じ、会場にてD論を副査の方へ配布。先に40分間のプレゼンを行った。
それから質疑応答セッションへ。開口一番、副査の先生一名から「どうしてD論を審査会”前”に持ってこなかったんですか?!」と爆詰めされた。理不尽極まりないこの状況へ助け舟を出してもらうべく指導教員を見る。先生は伝達ミスによる罪悪感からか、私が目線を向けるたびに顔面を手でパッと覆って顔を背けた。教育者としてどうなのだろうか笑。あまりに理不尽な指摘に対して、渋々頭を下げてその場をやり過ごす。
質疑応答の予定時間は20分。それでも十分長いのだが、今回の質疑応答時間はなんと一時間だった。爆詰めしてきた先生が次から次へと学術的にクリティカルな質問を繰り出していく。指摘の的確なこと狙撃手のごとく、発する弾数は機関銃のごとし。大学教員の頭脳の次元はただでさえ常軌を逸している。まして、怒りを触媒に思考回路が加速すると、繰り出される質問が全て、高エネルギー加速器によって打ち出された電子ビームのようになってしまう。打ち返そうと目論むのは無理だ。デッドボールを食らって骨折させられぬよう逃げ惑う一方。長時間の応対で頭も身体も疲労困憊。音を上げる寸前で相手が引き下がってくれ、おかげでどうにか事なきを得た。
心身ともに傷だらけになった。命からがら予備審査会を突破した。最終決戦は来月31日の午後。最後の学位審査だ、思い切り楽しんでやろう。にしても、指導教員は酷かった。どうして顔を手でパッと覆うんだよ。
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