体調が治らない…
『一個食べれば医者要らず』なはずの柿を食べても体調は良くならなかった。昨日の朝より熱が少しだけ下がった感覚も無きにしも非ずだが、額に手を当てると相変わらずアツアツで状況はあまり変わっていなかった。むしろ、昨日よりもふらつき感が強いようだ。三半規管が仕事をしていない。起立して身体を一直線に保つのでさえ難しいほどフラフラしていた。いったいどうしたというのだろう。体調が悪化しなくちゃならない謂れは全く身に覚えが無いのだが… ホステル生活がよほどストレスなのだろう。次の国で泊まる宿は簡易的な個室タイプを手配した。
朝食はパンに目玉焼きと豚肉だ。味付けに塩。〆にバナナを食す。味覚はあるのでまだ大丈夫だ。本当に体調が悪いと味覚が失われ、何を食べているのかさえ分からなくなるみたいだから。
垢抜けた街並みに嘆息の嵐
気合を入れて10時に宿を出た。気温は-1℃。動き回るには少々低い温度だ。路上に停めてある車の一部が雪化粧していた。どうやらブダペスト市内に深夜、雪が降ったらしい。ハンガリーを含め、欧州の内陸はかなり冷え込む。こんなに寒いとは思っていなかった。温かくなるであろう2月中旬まではイタリアやスペイン、またはフランスの地中海側に避難するのが無難かも。この時期に更に北上を目論むのは体調を悪化させる自殺行為になりかねない。
目星をつけていた観光名所へ宿から近い順に向かうことにした。まずは一つ目、ブダペスト中央市場。新鮮な野菜やお肉、お土産が所狭しと売られている市場。どこぞの観光客向け市場と違い、この市場はハンガリー市民が日常的に利用しているみたい。美味しそうな大きいお肉が日本では考えられぬほどの格安価格で売られていた。一度は”いっそ買ってしまおうかなぁ”と財布を取り出しかけたほど。今日一日中、観光時に携行する肉体的な負担を考えて購入を思い留まった形。
ユダヤ教の会堂・シナゴークを発見した。1800年代に建立され、以来、ハンガリー圏に居を構えるユダヤ教徒の祈りの場となった。今ではエルサレムとニューヨークに次ぎ、世界で三番目の規模となったみたい。入口に六芒星が書かれてあり、”ここがユダヤ教徒のための場所だ”と皆に分かるようになっている。入場は有料。今日はお金を使うつもりが全く無かったので退散した。
カトリック教会の聖イシュトバーン大聖堂だ。1901年に完成した、ブダペスト市内で最も高い構造物の一つだ。高さはなんと100m近くあるらしい。聖堂直下に潜り込んで上を見上げると首が痛くなったほど。コチラに関しても入場は有料なので入らず通過した。ハンガリーさん、やけに入場料を取ってきますねぇ…
ハンガリーの国会議事堂だ。臙脂 (えんじ)色とクリーム色を基調としたデザインからは気品を感じられる。ネット情報によると、中は四方が金色に輝いているというではないか。こんなお洒落な議事堂で政治を行えたら政治家らの冥利に尽きるだろう。入場料はブダペスト市内の建物で一番高価な12000HUF [5,000円弱]。セルビアで二重に宿泊費を請求されていなけりゃ、そのお金を使って中を観光できたのになぁ…
ブダペストの街はドナウ川を挟み、ブダ地区 (西側)とペスト地区 (東側)の2つに大別することができる。私の泊まった宿や私が歩いてきた場所は全てペスト地区に該当。ブダ地区は名所がコンパクトにまとまっている。しかし、起伏の激しい道のりを歩かねば観て周れない。ペスト地区は名所が広範に散らばっている。だが平坦な道なので歩くのがずっと楽なのである。まだ体力の残っているうちに長い距離を歩いておきたかった。今日はペスト地区を中心に観光し、明日以降、疲れがたまった時にブダ地区を観光するつもりだった。
ドナウ川のペスト地区側の河川敷から対岸のブダ地区をボーっと眺めながら歩行。途中、遊歩道に銅製の靴を見つけた。第二次世界大戦時、ユダヤ人が河川敷で銃殺された過去を示すモニュメント。無造作に散らばるハイヒールやスニーカーが惨劇の悲惨さや苛烈さを物語っている。銃で撃たれたユダヤ人の遺体は死後、下に広がるドナウ川に投棄されたらしい。自らのイデオロギーでもって容易に人種差別のできる国や人間は大嫌いだ。
ブダ地区とペスト地区を結ぶ橋は全部で9本ある。そのうちの一つ『セーチェーニ鎖橋』を渡ってブダ地区へと移動。明日以降の観光で困らぬよう下見をしておこう、と。ブダ地区の名所を知らずに行ったので何の役にも立たなかったわけだが笑。
絶景!
橋を渡ってブダ地区を南下。ブダ地区はペスト地区より古めの建物が多いように見受けられる。それもそのはず。ブダ場を中心とする王宮の丘があるワケだから。数多の歳月を雨風に曝され、年月を経るにつれ風格を増した建造物が林立していた。せめてあれ等のうち一つには入場してみたい。体調が良ければ行ける。悪かったり眩暈がしたりしたら行くのを見合わせなければならない。そのまま宿へ帰るつもりだった。小高い丘が垣間見え、ランナーの血がついつい騒いで頂上まで登ってしまった。あとから調べた所、ブダペストの有名な夜景スポットを訪れていたようだ。コチラも己の体調を勘案して再訪を積極的に検討したい所。
夕食、のちチャイナ人とのやり取り
中央市場の地下一階にある激安スーパー【ALDI】で買い物を済ませた。ALDIにはオックスフォード留学中にもお世話になった。とにかく安い。値札に書かれた文字をつい二度見してしまうほどの値段。昨日入った宿最寄りのスーパー【TESCO】でさえも安めだと感じられた。ブダペストのALDIはそれより2~3割ほど商品の価格が低かった。生活必要物資の調達を1,000円未満で済ませられるだなんて… 国籍をハンガリーへ移して永住を考えるほどのコスパの良さ。一日中動き回って体はクタクタだ。お腹が空いた。18時ごろからキッチンで晩飯を作って食べる。
ロビーで椅子に座ってブログを書いていた。ふと前を見ると、アジア系の女性が何か言いたそうに立っていた。「どうしたの?」『你好 (ニーハオ)』「…ん?」『(…ハッ!)』彼女は私を見て”自分の同胞 (チャイナ人) だ”と判断したらしい。だが、私は生粋の日本人。武士道を愛し、武士道に愛された男。チャイナ語なんか、”こんにちは”と”北海道大学”の2つしか解さない。悪いけど日常会話なんかほとんど不可能と言っても良い。
彼女は何を思ったか、顔を赤らめ部屋に駆け込んでいった。その5分後、私の元へバタバタと駆け戻ってきた。今度は英語で話しかけてきた。『iPhoneの充電器を貸してくれない?』と。「別にエェよ。あとで返してな」とコードを3時間貸してあげることに。『ありがとう。ホンマにありがとう^ ^』と満面の笑みで部屋に戻っていった。
さらにその3分後、彼女が何かを持ってコチラにまたやってきた。「今度はどうしたの?」『はいコレ、御礼!』と怪しげな固形物を2つ渡された。左側の白い物体はおそらくチーズ…かな?右側の銀紙に包まれたダムダム弾は何なのか見当さえつかぬ。固形物の正体を伺う前に彼女は部屋に駆け戻っていった。食べるの不安だなぁ。コレを食べて体調が悪くなったらどうしよう。人に貰った食べ物を開けさえせずに捨てるのも失礼だしな… とりあえず右側のダムダム弾だけ食べてみた。何のことはない、ただのビターチョコレートだ。少しお酒が入っているようだ。ほんのりと漂うアルコールの香りに僅かながら気分が良くなった。左側の固形物へ着手するには勇気が足りぬ。共用の冷蔵庫へ入れておき、私の代わりに誰かが食べてくれるのを待とう。
ちなみにお菓子をくれたチャイナ人女性だが、正直、あまり好みではなかったので心がさほど時めかなかった。美人にチョコを貰ったら「もしかしてワンチャンスある…?」とドキドキするのだけれども、不細工… 失礼、器量の良くない女の子に(得体の知れない)お菓子を貰ってもあまり嬉しくない。女の子からお菓子を貰えるだけで良しとせねばならぬ苦境。日本に帰国後、大和撫子をパートナーにして難局を打開したいと願うこの頃。
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