ハンガリー国立博物館へ
ハンガリー中のお宝を集めた国立博物館へと足を運んだ。入場料は3,500HUF [1,500円]。大英博物館そっくりな見た目に展示物への期待値が高まった。
”博物館”と銘打ってはいるが、中に入ってみたら何のことはない、ほぼ軍事ミュージアムだった。ハンガリー帝国軍の軍服や兵装、勲章や様々な功績など、軍隊に関する展示品が7割程度を占めていたように思う。英語での説明書きが全く無い展示品も数多くあった。(いったいこれは何なのだろう…?)と首を傾げながら先へと進む。博物館の外装や内装は大変豪華で美しい。展示品やそれらが醸し出すムードはかなり暗めで印象が悪かった。
唯一感銘を受けたのが、ハンガリーの誇るピアニスト『フランツ・リスト』の使ったピアノを観られたことだ。リストは弾くのが難解な技巧的作風の曲で有名。ハンガリー狂詩曲やピアノ・ソナタ ロ長調など、「こんなもんよく人間に弾かせようと思ったなぁ」と驚くほどのハイレベルな曲を作った。そんな彼の使っていたピアノは、私が学校の音楽の授業で見かけた白黒のピアノよりふた回りほど小さかった。この小さな楽器からあの感動を呼び起こせるだなんて、リストは天才だ。
英雄広場へ
北東の方向へ40分ほど歩き続けると、エメラルドの彫像と開けた広場が視界に捉えられてきた。コレは英雄広場と呼ばれる場所。中央の彫像は、ハンガリー帝国建国1000年を記念して作られた歴史的人物たちのモニュメントだ。どこかで見たことのある絵面だなぁ…と思ったら靖国神社だった。明治維新のフィニッシャーとして辣腕を振るった大村益次郎は、旧日本陸軍の意向で境内に大きな銅像を建てられたのだ。ブダペストの英雄広場の方が宗教色がやや強く感じられるものの。
広場を奥まで進むと右手に立派なお城が見えてきた。”ヴァイダフニャディ城”と呼ぶそう。何とも読みにくい名前だ。昔の人は「フニャディへ行かなきゃ!」とでも略して呼んでいたのだろうか?
ブダペストで3日過ごして、まぁ、楽しくなくはなかったかな。国会議事堂はとても素敵だったし、激安物価のおかげで満足にモノを口に入れることができた。しかし、街の雰囲気があまりにイギリスとよく似ているのだ。いや、ロンドンの方がブダペストよりも垢抜けて華やかな印象さえ受ける。過ぎ行く人々の表情にも大きな違いが。ロンドン人はにこやか/ブダペスト人は無表情 or 険しい顔つきを崩さない。言っちゃ何だが、ブダペストはロンドンの下位互換ではないかと思う。過ごしやすいけど面白くはない。不思議な街だなとの印象を受けた。
ゲストハウス、もうイヤや…
今日も夕方から夜にかけて体温が徐々に上がってきてしまった。鼻詰まりや咳き込みの量が日中とは比にならぬほどに増えた。のどの痛みや食欲の衰えは相変わらず続いている。今日はとうとう、味覚まで風邪ウイルスに根こそぎ奪い取られてしまった。何を食べても味がしない。生のゴムをかじっているような感覚。美味しくない。食事が楽しくない。モノを食べる気がほとんど起きない。何のための旅行なのだろうか…?旅行じゃない、もはや苦行じゃないか。
風邪の症状が現れ始めたのは、昨年末の晦日にまでさかのぼる。トルコで泊まったゲストハウスの同部屋に咳き込みがちな方がいらっしゃり、おそらくその方のウイルスに抵抗し切れず風邪を移されてしまったのだろう。最初は”ただの鼻詰まりかな”とすっかり甘く捉えていた。ここ数年、体調を崩さず毎日元気に生きてこられていたから。日に日に苦しさが増していった。トルコから出る日にやってようやく『あぁ、風邪を引いたんだな』と気付かされた。
不幸だったのは、トルコ以降に滞在した国 (ブルガリアを除く)で咳き込みがちな方と常に相部屋だった点。以前の保菌者の菌に対処できるようになったと思えば、人が入れ替わり、別の保菌者の菌へと新たに対処しなくてはならなくなった。私の体の免疫系を休ませる暇がほとんど無かった。身体の中へ入ってきたバイ菌を殺すため脳は体温を上げようとし、常時高めの熱にうなされ体調が狂っておかしくなった。誰と一緒になっても文句を言えないのがゲストハウスに泊まる者の宿命。宿泊費を抑えられる分、それ以外の部分で代償を支払わねばならない。
ブダペストの宿ではそれに加え、更なる問題が生じた。相部屋の人間に対して全く配慮の無い振る舞いをするアメリカ人が居たのだ。宿の中で下半身を下着一枚の軽装備でお過ごしになる。「いったい何日体を洗っていないんだよっ!」と突っ込みたくなるほど臭い。夜中に平気で部屋全体の電気を煌々と灯す。ヘタクソなハミングにヘタクソな口笛をこれまた夜中にやって目を覚まさせられる。私はベッドの1F。彼は2F、私の直上だった。いつまでもゴロゴロゴロゴロ動き回るからベッドが常にギシギシと鳴っている。全ての雑音は我が耳栓を余裕で何度も貫き通した。眠っては起こされ、眠っては起こされ… の繰り返しで体力を消耗させられた。
堪忍袋の緒が切れた。「お前、うるさいぞ!」と彼にブチぎれた。『あっ、そう』と余裕の表情。騒音が以前より酷くなったように感じられた。”一分でも良いから寝よう”との努力を放擲せざるを得なかった。部屋の外にある共用スペースにて徹夜でデスクワークし朝を迎えることに。寝たり起きたりを繰り返して気持ち悪くなってしまうよりも、嫌な音の一切しない場所で時間を過ごした方が体の負担を抑えられるだろう、と。
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