全ての歯車が嚙み合ったD2時代
民間企業就職決定
イギリスから帰ってくる一週間前に就職活動を開始しました。
就職への迷いはありません。研究には携わらないと決意した以上、身銭を稼ぐべくどこかの会社へ就職するしかないでしょう。まずは自己分析や業界研究。就活の軸は「地元」「BtoC」「専門知識を活かせる」の三つ。該当する企業は地球上に一社しかありませんでした。社風を見ても自分にピッタリな感じ。何度失敗してもはい上がってくる、泥臭さ全開の風潮に魅了されました。
博士学生の就活はやや特殊。企業の人事部へ直接メールを送り、案内された特別ルートに従って選考を受けるのです。
企業ホームページには、適性試験を行ったりエントリーシートの提出を求められたりする旨が記されていました。面倒臭いなぁと思いながらも準備を進めます。本屋でSPI対策本を買ってゴリゴリ演習していました。ところが、企業から求められたのは、履歴書と研究概要の提出のみ。SPIとエントリーシートは免除。しかも、いきなり最終面接だそう。”こんなことってあるんだ”と驚きました。地元出身。おまけに博士課程を短縮修了予定。人物像を信頼していただいたのかもしれません。あるいは、誰でもいいから採用したかったのか。いずれにせよ自分には好都合でした。
最終面接はWEBのTeamsにて。2月11日、建国記念日の朝10時から45分ほどかけて行われました。場の雰囲気は和やかそのもの。会社の方と気軽におしゃべりするような感覚で臨めたのです。研究と人物像を半分ずつ掘り下げられました。どちらも問題なく対処でき、”落ちるわけがないな”と最高の手応え。3日後に会社から連絡が。内定です。能力を高く評価していただけました。
まずは早期修了の【出口】を確保。行きたい企業へ、帰りたかった地元へ、やりたかった仕事へ携われます。嬉しくてたまりませんでした。おかげで留学のショックが雲散霧消したのです。前向きに生きる材料を得られ、楽しくなかった博士課程へ希望の灯が宿りました。さぁ、研究を頑張るぞ。この一年間で研究と別れを告げるため、研究アクセルをべた踏みしてフル加速だ!
論文が続々とアクセプト
D1時代に四回連続でリジェクトされた論文を少し修正して五度目の投稿を行いました。
指導教員は未だにIF10以上の雑誌へ投稿したがっていました。「さすがに無理ですから」「それ以上やったら訴えますよ」と強引に説き伏せてIF3.8の専門誌へ投稿したのです。今度はアッサリ査読に回りました。一か月後、超ポジティヴレビューコメントをいただきました。難なく処理して無事にアクセプト。7カ月間に及ぶビッグジャーナル行脚が4月、ついに終結したのです。
次の論文は、投稿前に大波乱がありました。投稿直前になって論旨破綻に気が付き、データ集めをゼロからやり直すハメに。この論文を含め、早期修了にはあと二報の論文出版が必要な状況。実験をやり直すのは超面倒。とはいえ、やり直さねばこの論文を出版できない。宿願だった飛び級までも頓挫してしまう。この論文ともう一報の論文用データを同時並行で取得し、時間に追われながら焦りに焦って論文作成。どうにかこうにか間に合わせました。早期修了への執念が生んだ奇跡ではないでしょうか。
苦労してゼロから集め直したデータ。それらをまとめて執筆した論文は、あっさり査読を通って9月にアクセプト。今までの苦労は何だったのかと拍子抜けするほどイージーな投稿でした。早期修了まであと一報。ここでようやく飛び級が現実味を帯びてきました。
最後の論文は、博士在籍中の出版までは義務付けられていません。原稿を完成させ、投稿する段階に進んでいればOKだそうです。早期修了に向けたラストスパート。執筆中は笑みが止まりませんでした。コレを書き切ったらもう二度と研究しなくて済むのです。嫌いだった研究とは永遠にお別れ。あばよ! 研究さんよ、自分にはもう近づかないでくれ。
論文の日本語原稿完成が11月初旬。共同研究者さんに確認してもらったのが11月下旬。原稿英語化は生成型AIのClaudeを使用。ものの10分で全文翻訳が完了しました。英文を指導教員にメールで送ったとき、「やっと終わった…」と全身の力が抜けて恍惚としたものです。本当に嬉しかった。嫌なことから解き放たれて、この上もなくスッキリとした気分。
博士課程早期修了へ
博士課程の学位審査は3ステップあります。D2の9月に行われる中間審査、修了予定3カ月前に行われる予備審査、修了2カ月前に行われる最終審査です。
中間審査は誰でも通ります。研究の進捗に問題がないかどうかを確認されるだけの和やかな会です。中間審査の時点で博士課程修了要件を満たしていました。中間審査会は和気あいあい。ジョークを言って笑いをとることもできました。中間審査終了後、早期修了へのGOサインを出していただきました。教授会公認の早期修了チャレンジが遂に幕を開けたのです。
予備審査会は試練でした。研究内容についてこれでもかというほど厳しいご指摘を受けたのです。指導教員と私の間の伝達漏れがきっかけで審査員の方を怒らせてしまいました。結果、理不尽なまでの爆詰めを一時間受け続けるハメに。20分で終わるはずの質疑応答が65分も行われました。質問応対中、貧血でその場に倒れてしまうかと思ったほど。どうして自分がこんなひどい目に遭っているのか分かりません。まぁ、いいんです。予備審査会を突破できさえすれば問題ない。
うって変わって最終審査は楽でした。発表も質疑応答もつつがなくフィニッシュ。もっと厳しくくるかなと身構えて臨みました。想定よりもシンプルな質問ばかり。200枚近く作成した補足スライドをほとんど使わず対処できたのです。
終了時刻が迫るにつれ、心の中で早期修了へのカウントダウンを始めました。途端にウキウキ気分になってしまって、表情へ笑みを浮かべないよう堪えるので必死に。終わった直後はあまり現実味がなかったです。「えっ、本当に終わったの..?」といった感じで虚脱状態。審査当日中に合格判定をゲット。念願の早期修了を達成しました。
現役時代に落ちたのは京都大学農学部。最低点に6点届きませんでした。京大に奪われた一年間は、京大出身の先生から取り戻してやる。そう決意し、京大で学位をお取りになった指導教員の元へ配属されました。五年間のラボ生活を経て、ついに一年短縮修了へ至りました。京大さんよ。悪いけれども、アンタが奪った一年間を返してもらうぞ。浪人のブランクをかき消すために。八年越しに帳尻を合わせて来月から会社員になる。
博士課程では研究を好きになれませんでした。留学は大失敗。研究者になる目標を諦める悲しい決断まで下しました。目立った収穫を得られなかった二年間。進学して良かったのかなと首をかしげるばかり。修士で就職していればどれほど幸せだったでしょう。己の向こう見ずな選択には驚き呆れるばかりです。
最後の最後に一つだけ収獲がありました。博士課程早期修了。自らの執念を燃やし尽くして、数多の困難を乗り越え、ついに誇り高き勲章を手に入れました。北大大学院工学院博士課程修了者23名のうち、早期修了した者は自分ひとりだけ。最も過酷であろう条件下にさらされながらも同学年全員をごぼう抜きしました。最っっっっっ高に良い気分です。研究にまつわる辛い思い出が、鮮やかで快い記憶に上書き保存されましたとさ(*≧∀≦*)


〜Fin〜
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コメント
コメント一覧 (2件)
6年前に学位を取った者です。
調べ物をしていて偶然このブログを見つけました。とても楽しく読ませていただいております。
様々な災難に見舞われたり、在学中にコロナ禍もあったなか、これだけのモチベーションを保っていて、本当に尊敬いたします。
私はかめさんのように優秀な学生ではなかったのですが、
同じく、進学する人が周りにいない環境だったり、
余裕がなくて彼女にフラれたり、
ボスとそりが合わない時期があったり、
研究が嫌いになったり、
いいジャーナルに載ったら周りの評価が変わったり、
色々なことを思い出しました 笑
そして、就職のために引っ越しした春先は、とても楽しかったのを思い出します。
かめさんの益々のご活躍をお祈り申し上げます。
コメントありがとうございます。記事をご覧いただけて嬉しく思いました。
皆さん、博士課程へ行くと、何かしらハプニングに遭遇するのですね。何事もなく学位取得まで至った人を見たことがありません…笑
ただいま、つかの間の解放感を味わっています。五年ぶりに何もやることがない状態になって精神が落ち着いております^ ^
来週から会社員生活です。もう少し休ませてくれよとは思いますが、また気合を入れて頑張っていくしかありません。
応援のお言葉をありがとうございました。
今後も頑張ります。会社も、ブログ執筆も、その他の趣味も充実させます!