
ようやく論文がアクセプトされた…
査読に回っていた論文がようやくアクセプトされました。投稿から2か月後の受領。査読者とのやり取りはわずか一往復でフィニッシュ。今までリジェクト続きだったのがまるで嘘みたいにスムーズに終了。「こんなに呆気なく掲載して頂いていいのかな…」と申し訳なく思えてきたぐらい。じゃあもう一度査読に回しますか?と言われたら「絶対嫌です」と断りますけどね笑。せっかくアクセプトして頂いたんだもの、掲載してもらえなければ困っちゃいますよ。
査読ほど嫌なものはありません。ブログなら査読無しで毎日自由に投稿できるのに、学術論文は専門家による厳密な査読で開催までに何か月間もかかってしまいます。査読されるのは別に構いません。査読にいくら時間がかかったとしても、最終的にアクセプトされるのならば問題はない。リジェクトされるのが嫌なのです。せっかく頑張って書いた論文が『掲載に値しない』と蹴られてしまったら、論文を作るために要した努力や時間が灰燼に帰し、絶望感を覚えます。
こっちは残り時間が限られているんだ。一日でも早く論文を掲載してもらえなきゃ大学院を早期修了できないじゃないか。”リジェクトされたくなかったら質の高い論文を書けよ”って話なんですがね。分かっています。分かっているけれども、ソコを何とかお願いできませんか、、と査読者におねだり・にぎにぎしたくなるわけです。【時間に追われ続ける焦燥感】と【少しでも良い論文を書かねばならぬという使命感】。私にとって博士課程は、この2つの心情に押し潰されてしまわぬよう踏ん張って必死に堪える時間。辛い。早く終えてしまいたい。三年なんて無理だ。やはり、”二年で出る”と決めて正解だったのかもしれません。
一報は日本語原稿が完成。残り一報も記す内容自体は既に決まっている

私の博士課程早期修了に必要な論文数は残す所、あと二報。フルペーパーを二つ以上出版すればD論審査会に臨む権利を得られます。あと三報だった時は正直、自身の早期修了にあまり自信を持てませんでした。飛び級できる可能性よりも失敗する可能性の方が高いだろう、と。せっかく就職先まで決まったのに、内定をお断りしてもう一年在籍する暗澹たるシチュエーションさえ想像していたぐらい。先月までの自分にとって博士課程の早期修了は、渇望はすれどもあまり現実味を帯びないフワフワとした捉え所のない目標でした。
論文を一報出版できたおかげで必要な論文数が一報減少。三報が二報になり、おかげで早期修了への道筋が朧気ながら見えてきました。飛び級成功ロードの全貌は未だ確認困難。私の目に見えているのは、今後半年間に歩むべきワインディングロードの輪郭のみに過ぎません。この先の道路にガードレールが付いているかさえ分からない。少しでもカーブで運転を誤り、道を膨らんで道路を踏み外してしまったら、奈落の底へ向かって頭から一直線に転落して人生が終わってしまう。あと二報、されど二報。全く気を抜けません。二報書き切ってようやく深呼吸できるぐらいの緊張感を持たなきゃ完走できないはず。
残り二報のうち一報は既に論文の日本語原稿全文が完成済み。今は国研の共同研究者さんに確認して貰っている状態です。ゴールデンウィーク中に英訳してしまいたい。来月中旬には投稿し、最後の論文用のデータ収集に100%の力を注げる態勢を築いておきたい。残り時間が限られているため、前回1やM2の頃2のようなビッグジャーナル行脚 [註:高IFの雑誌から順にローラー作戦で攻めていく狂った戦略]は致しません。リジェクトされて悲しんでいる暇なんてないですからね。ていうかそもそも、ビッグジャーナル行脚は私ではなく指導教員の意向に渋々従って行っただけ。私に論文投稿先を選ぶ権利を与えてくれていたら、最初から標準的な雑誌にしか投稿しませんでした。

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