学術論文が四回連続のリジェクトを経て五度目にアクセプトされるまでの一年間【ビッグジャーナル行脚の果てに】

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最後に:高IFジャーナルへの投稿はもうコリゴリだ…

前回、M2の10月にアクセプトされた論文の出版時にも同じことを思いました。「高IFジャーナルへの投稿はもうコリゴリだ。もう勘弁してくれよ」と。結局、また同じセリフを言う羽目に陥りましたね。「もう無理。堪忍してくれ」って。

論文を書けば書くほどアカデミアが嫌いになっていきます。研究が嫌いなのではありません。研究に付随する高IFジャーナル行脚が嫌なのです。高IF雑誌への投稿やアクセプトに果たして本質的な意味があるのでしょうか?IFが低くてもいいから早くアクセプトされ、研究成果を世界中の科学者に読んでもらった方が科学界にとって良いのではないでしょうか?高IFジャーナルに年単位もの時間をかけてアクセプトを目論む行為に何ら価値を見出せません。科学じゃない。見栄のためでしょう。『俺はIF○○の雑誌に通したんだぞ。凄いだろ!!』と対外的に威張るための道具を手に入れようと頑張っているに過ぎません。

時間にゆとりのある修士学生にジャーナル行脚をさせるのならまだ理解できます。タイムリミットのある博士学生に行脚をさせるのは危険極まりありません。D論提出要件を満たした学生にビッグジャーナルへ挑戦させるならギリギリ理解できる。なんせ失うものは何もないのだから、それなら私だって素直にビッグジャーナルに投稿していました。D論提出要件を満たす論文本数を稼ぐためにビッグジャーナルへ投稿するのは意味不明。冷静に考えておかしいでしょう笑。私が3年で修了できなくなったとしても誰一人責任を取ってくれませんから。

今後、論文を投稿する際は、最初からIF5程度の雑誌に投稿します。ジャーナル行脚はもう嫌だ。大学なんて大嫌いです。

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