ミソフォニアの私が大学生活で味わった辛かったことと楽しかったこと

こんにちは!札幌と筑波で蓄電池材料研究をしている北大化学系大学院生のかめ (D2)です。高校二年次に発症したミソフォニア (音嫌悪症)の影響で、高校生活や大学入試、その後の大学生活に大きな支障をきたしました。

世間で大学生活はさも”この世の春”かのように謳われております。私を含め、ミソフォニアの人間にとっては辛くて仕方がない4年間。私自身、大学生時代はミソフォニアに振り回されっぱなし。普通の人間が当たり前のようにできる行為がどうしても私にだけは出来ず、せっかく大学に入ったにもかかわらず北大での日々を楽しめませんでした。

しかし!決してつまらない事ばかりでも無かったのです。この記事では、ミソフォニアの私が大学生活で味わった『辛かったこと』、および『楽しかったこと』について記します。

かめ

ミソフォニアの学生さんに希望を届けられたら幸いです。それでは早速始めましょう!

目次

辛かったこと

講義へ行くたびに消耗する

私のミソフォニアを引き起こす主なトリガー音は『人が鼻をすする音』。”スンッ”とか”ズルッ”とかいったすすり音が聞こえたが最後、胸が苦しくなり、喉がキュッと締め付けられ、感情が暴走して泣き出したくなってしまいます。ミソフォニア歴の短い高校時代はまだイラっとするだけで済んでいました。受験勉強によりストレスが蓄積されるにつれて症状がどんどん重くなっていったのです。浪人時、予備校の講義を教室で座って受けられなくなるほどミソフォニアが悪化してしまいました。北大に合格したことで受験のストレスからは解き放たれたものの、札幌での新生活に適用しようともがく過程でストレスが単調増加していきます。

電車でも図書館でもレストランでもそうなのですが、鼻をすすっている人間が一人もいないスペースなど、この世には皆無。どこにも存在しません。少なくとも日本にはありません。留学で訪れたイギリスやトルコ、それに東欧諸国にもありませんでした。唯一、アメリカでだけは鼻すすりはマナー違反とのこと。日本はアメリカの従属国であるものの、鼻すすり=マナー違反という通念は遺憾ながら日本へ輸入されなかったようです。鼻をすするってめちゃくちゃ汚いんですけどね。体の中から排出されようとしているものを再び体の中へしまい込んでしまう行為だから。大便を無理やり肛門に押し込んで戻そうとしているのと同じ。ねっ、汚いでしょ?鼻すすりも本質的には同じ行為なんですよ。

当然、北大にも鼻をすする人間が居ました。癖なのか、10秒ごとに”スンッ”と軽くすする人間もいれば、花粉症なのか、30秒ごとに”ジュルジュルジュルッ!”と気色悪い音を立てる人も。鼻すすり音が聞こえるたびに両耳を塞がねばなりません。音をまともに脳へ食らってしまったら呼吸を続けられず悶え苦しまねばならないから。一コマ90分の講義を終えるたびに立ち上がれないほどグッタリと疲れ切ってしまいます(こんな辛さを卒業まであと何千回味わわなければならないのか) と将来に思いを馳せるだけで絶望…

部活やサークルに入れない

私は集団行動があまり好きではありません。決して協調性がないからではなく(*むしろある方)大勢の人間に取り囲まれてトリガー音と遭遇する確率を高めたくないからです。10人ぐらい集まったら必ず1人は頻繁に鼻をすする人間 [すすらー] が混じる。集団の人数が20人、30人と増えていくにつれ、すすらーの数も2人、3人と増えていくでしょう。私の過去の経験上、私を地獄へと引きずりおろす人間には【約10人に1人の確率で】遭遇します。ある集団の中に運良く”すすらー”が1人も混じっていない場合もあるし、逆に確率論的に予想される以上の数の”すすらー”と出くわして呼吸困難に陥ることもある。

大学生活を華やかに彩るものは部活やサークルなどの課外活動。若い男女が一団となって一つの目標の達成に向けて日々汗を流す青春物語。私は中学・高校と男子校に通っていました。共学は小学校ぶり。失ったアオハルを大学で取り戻すべく、”何かの団体に加入しよう”とコッソリと企んでいたのです。しかし、夢は儚くも砕け散りました。新歓の看板の元に集まっている学生の群れから鼻をすする音が聞こえてきたからです。すすらーのいない団体は皆無。四方八方からすすり音が飛び込んできて、何だか頭がおかしくなりそうになって新歓の賑わいから離脱。

悲しいかな、ミソフォニアの私にとって、部活やサークルに入ろうと思ってもなかなか難しかったです。男女の集まりに加入すれば女の人と楽しく会話できるだろうけれども、莫大な量のストレスや症状に悩まされるぐらいなら参加しない方が良いと思いました。その場で味わうミソフォニアの苦しさが楽しさを帳消しにしてしまうのです。結果としてプラスマイナスゼロになる(マイナス側に振れる)ぐらいなら最初から何もしない方がいいのではないか、と。一年次の9月から二年次の6月まで入部した馬術部だけは楽しめました。馬術部は馬術部でミソフォニア以外の問題が生じて辞めてしまったものの、それについては主題から逸脱する内容ですから別記事をご参照ください1

ネガティヴな話ばかりしていたら読者さんの心を陰惨にしてしまうだけ。暗い話だけではなく、明るい話も2つほどしておきたいと思います。

楽しかったこと

たくさんの本を読めた!本ばかり読んでいたら文章力と教養が爆上がりした

講義は苦しみと格闘するだけの時間。部活やサークルに加入して狂ったように遊ぶのも困難。そうなると自然、学生生活を自分一人で送ることになるでしょう。誰かと一緒にいる間は絶え間なく音への脅威が付きまとうのだから、一人で居る時間を出来るだけ増やして身体の安寧を図るのが最善策に。別に一人が好きだからといって一人で過ごしていたわけではありません。一人じゃなければ生きていくのが難しいから一人で過ごさざるを得なかっただけ。

私の学生生活の伴侶は書籍でした。唯一、本だけが安心して付き合える友達だった。人間であればいつ鼻をすすり出するか分かりません。本は無機物。生きていないので、何があっても鼻をすすらず沈黙を守ってくれます。来る日も来る日もひたすら本を読み続けました。健常者のように賑やかに過ごせない無念を晴らすが如く読書へと没頭したのです。果たして4年間で何冊読んできたのだろう…?少なくとも千冊、いや二千冊は読破したかな。1日二冊ペースで新書ばかり読んでいた時もあるし、骨太の作品を頑張って1か月かけて読み切ったことも。高校時代は本なんて全然読まなかったんですけどね。大学生になって時間を持て余し、本を読んでみたらいつの間にかハマってのめり込んでしまったような感じかな。

巷で言われている通り、本を読めば確実に語彙力が上がります。普通の大学生が『ヤバい!』の一言で済ましそうな所、「○○が△△な風に面白い/楽しい」と具体的に言えるように。そう、表現の解像度を一段と高められるのです。豊饒な語彙力は文章力の向上に、そして論理的思考力の強化に繋がるでしょう。また、幅広いジャンルの本を乱読して内容を頭に入れていくにつれ、教養が身に着きました。高校時代までは全然知らなかった歴史や哲学、経済に文学など様々な領域の知識を頭へ詰め込めたのです。複雑怪奇な現代社会でいま何が・どのような背景で起こっているのかを分析できるようになりました。不正確な情報に扇動されず、進むべき道を自分の頭で冷静に考え、定められるようになったのが読書による収穫。

一人でランニングしていたら、いつの間にか100km走れるようになった笑

空いた時間を読書だけでは埋めきれません。それに本ばかり読んでいたら目が疲れてきて、つい体を動かしたくなる衝動に駆られてしまうのです。そこで、ランニングに取り組みました。毎朝30~60分ほど北大構内をバーッと走り回ったのです。もともとランニングは浪人時代にやっていました。受験で溜めたストレスを走って発散し、スッキリとした心持ちになって再び勉強に取り掛かる形。

最初は3km走るので精一杯。わずか20分走っただけで”ゼ―ハーゼーハー”と呼吸が荒くなってしまいます。たった3kmしか走れなかったら何だか悔しいじゃないですか。(自分ってこんなもんなの?まだやれるでしょ!)と悔しさ全開。北大構内では北大の陸上部員が男女仲睦まじく談笑しながら軽々と走っています。それを見、「くっそー… もっと体力をつけていつか追い越してやるぞ!!」と意味不明の負けん気を発揮して頑張った。

練習法や食事法などを変えながら走り続けた所、一年次の後期にはハーフマラソン (21km, 1時間45分)を走れるように。二年次の後期にはフルマラソン (42km, 3時間10分)を完走しました。フルマラソンの翌月、沖縄で100kmマラソンに挑戦して10時間で完走。自分でも何だかよく分からない。「いったいどんだけスタミナが付いたんだよ…」と首をかしげるやら、笑い転げるやら。三年次にはフルマラソンで3時間切りを達成2。大学院修士課程二年次には100kmを9時間1分でゴール3走れば走るほど走力が強化されていく過程が面白くてたまらないのです。走れば健康体を維持できるし、体力も付くしで良いことづくめ^ ^ 就活時、ランニングをガクチカ(学生の間に力を入れて取り組んできたこと)に使えました4。面接官からのウケは上々。ランニングのおかげで内定を掴んだといっても過言ではありません。

ミソフォニアの皆さん、大丈夫。強く生きて。どうか希望を捨てないで!

ミソフォニアって本当に辛いんですよね。私もミソフォニアだから分かります。何が楽しくて生きているのか分からず、呆然と立ち尽くし、途方に暮れてしまう日がある。衝動的に命を絶ちたくなってしまう日だって一週間のうち何日もあります。

どうか希望を捨てないで下さい。(辛さを和らげるにはどうすればいいかな?)(一人でも楽しめるアクティビティーはないかな?)と少しでも前向きに生きられる術を探してください。私にとっては読書とランニングでした。皆さんも同じかもしれないし、ひょっとしたら山登りやサイクリングの方が適しているかもしれません。迷ったらとりあえず走ってみてください。雲一つない青空のもと、走って汗をかく爽快さは至極です。

いずれにせよ、命を絶ってしまえばもうお仕舞いです。死なずに現世へ食らいつき、幸福になる道がないかどうか目を凝らして模索していきましょう。生きていれば必ずしも良いことと巡り合えるとは限らない。でも死んじゃったら永遠に何も良いこととは巡り合えません。辛くても生きているしかないのです。いつか良い思いのできる日を信じ、今日も力強くマイペースにゆっくりと玉の緒を明日へと繋いでいって下さい。

脚注

  1. 青春駆ける ~馬術に情熱の全てを捧げた10年間の成長の足跡~ 最終話 ↩︎
  2. 富士山マラソン2019 レース体験記 ↩︎
  3. 沖縄100Kウルトラマラソン レース体験記 ↩︎
  4. 大学院修士課程一年次に受けた企業最終面接のハイライト ↩︎

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