大学院博士課程への進学をやめておくべき人の特徴4選

札幌と筑波で電池材料研究をしている北大化学系大学院生のかめ (D2)です。研究室初の課程博士学生として活動し始めて2年目になりました。

博士課程の先輩がいない研究室での博士進学 [D進] にはもの凄く大きな勇気が必要でした。 (ちゃんと修了できるのかな…) (先生に見放されはしないかな…) と溢れんばかりの心配を募らせながらの進路選択。結果的にD進してみて本当に良かったです^ ^。D進せずに就職していたら今ごろ「なんであの時D進しなかったのだろう…」と後悔することになっていたでしょうから。私にとっては選んで大正解だったD進ですが、必ずしも万人にオススメできる進路ではありません。そこでこの記事では、自分の体験や感想を踏まえ、博士課程への進学を辞めておくべき人の特徴4つご紹介します。

  • D進しようか迷っていらっしゃる方
  • 自分はD進に相応しい人間なのか考えてみたい方

こうした方々にピッタリな内容なので、是非最後までご覧いただければ幸いです。

かめ

それでは早速始めましょう!

当記事では、D進をオススメしない度合いを0~100の百段階で査定します。『やめとけ度100』なら”絶対にやめておけ”、『やめとけ度50』なら”行ってもいいけどオススメはしない”、『やめとけ度20』なら”D進したい想いを尊重してD進すればいいんじゃない?”といった感じで評価しているのでご注目下さい。

目次

やめとけ度100:指導教員との相性が悪い人

今の指導教員との相性が微妙な方はD進を見送って下さい。絶対に進学してはいけません。無理を承知でD進すれば、後で必ずその決断を悔やむ未来が待っているでしょう。もしもD進を希望するのならば、D進を機に、所属研究室を変えてしまいましょう。同じ専攻内の別研究室でも構いませんし、大学ごと移籍して新天地で研究し始めてもOK。いずれにせよ、相性の悪い教員のもとでD進するのはオススメできません。まぁ、嫌いな教授の研究室でD進する人なんてほぼいないと思いますけれども、不幸に遭う人の数を少しでも減らすため、念には念を入れてここに注意喚起しておきます。

博士課程は自分一人だけの力では到底走り切られません。研究に行き詰まったり巨額な出費が必要になったりする場面があり、その際、指導教員の力が必ず必要になるのです。博士課程では在籍中に学術論文を規定本数だけ出版する必要が。肝心の論文執筆も一人だけで完結させるのは不可能。指導教員を始め、色々な人からアドバイスを貰い、適宜助言を取り入れることで論文が仕上がります。指導教員との相性が悪ければ、D進後、自身の論文に関するアドバイスを期待できません。もちろん論文だって書き上げられないでしょう。仮に一人で書き上げられたとしても、文章の質が低すぎてリジェクトされ、出版にまでこぎつけられません。修了できる見込みを立てられぬまま標準修了年限の3年が経過してしまいます。その時、あなたは20代後半。「修士課程を出た後そのまま就職しておけば良かったなぁ…」と悔やんだところでもう後の祭りなのです…

自分の将来を託せるほど信頼のおける教員のもとでD進すべき。いざという時に助けてくれなさそうな教員のもとでD進してはいけません。

やめとけ度80:心が敏感な人・ストレス耐性の低い人

私はD進後、修士課程では想像もつかなかった数多の理不尽な出来事に見舞われました。論文が四回連続リジェクトされて何か月もアクセプトされなかったり1、学部時代から貯めたお金を使って留学した先の研究室で実験装置が全壊していて一切実験できなかったり2。博士課程は激動の日々。一つ一つの出来事に動揺していたらキリが無いほど多くのイベントが待ち受けています。辛くて辛くて辛くて辛い。ちょっとだけ楽しくてまた辛くなる。喜びと辛さの割合は1:99ぐらいかな?『D進』という決断を下した自分はドMだったんじゃないか?と思えてしまう時もあるぐらい。

博士課程は感情の荒波、いや、嵐の毎日。心の敏感な方が進学したら確実に病んでしまうでしょう。たとえ研究や論文執筆が上手く行かなくても、卒業までの残り時間は一日、二日…と遠慮なく減っていく。時計の針を止めてくれる人はいない。時間切れになるまでに自らの手で必要十分な研究成果を確保し切らねばなりません。日に日に増していくストレスや重圧に、いつの日か耐えきれず、膝から崩れ落ちるのは最早明らか。心が敏感な方、およびストレス耐性の低い方がD進すると本当に苦労します。

感覚の繊細な私自身、D進してめちゃくちゃ苦労しています。ストレス過剰でD1の12月に口から血を吐いて動けなくなりました。健康面だけを考えれば、D進したのは悪手だったのでしょう。D進の最終決定を下したのは自分なので最後まで耐えきるしかありません。感覚の鈍感な人が心底羨ましいです。博士課程に向いているのは、ピンチをピンチと認識せぬほどの鈍感さの持ち主なのでしょう。

やめとけ度50:進学しても何かやりたいことがあるわけではない人

”ただ何となく”でD進するのも推奨できません。博士課程はそんな朧気な動機で進学して耐えられるほど甘い世界ではないのです。

人間が辛さに耐えられるのは、辛さを乗り越えた先に何か希望が手を広げて待ってくれているから。何のご褒美もなしに危機へ曝されたらすぐ逃げたくなってしまうじゃないですか?皆さんが大学受験の試験勉強に連日耐えられたのは、”華の大学生活”を何としてでも己の手中に収めたかったからです。サラリーマンが上司の罵声に歯をくいしばって耐えられるのは、愛する家族を幸せにしたりFIREを達成したりするためでしょう。哲学者・ニーチェはこのように言っておられました。『なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える』と。生きる意味を知っているからこそ、辛い出来事に見舞われた際にギュッと踏ん張れるのです。

博士課程でこれといってやりたいことの無い人は、肝心な時に心を支えきれず、大学院を中退してしまいかねません。博士課程は本当に辛いです。理不尽の嵐。毎週のように大雨・洪水警報レベルの大嵐。己の能力の限界が垣間見えてしまう場面も多数。そのような辛い状況が連日続いてしまった時、生きる意味を知らない方は試練の重みに耐えられないでしょう。やる気が単調減少していくだけかもしれません。『就職しておけば楽だったのにな…』と深く後悔する羽目に陥ります。

やめとけ度20:実験大好きっ!頭を使うのはちょっと…の人

実験が大好きなソコの諸君!指導教員から『D進しないかい?』と熱心なお誘いを受けたことがあるかと存じます。D進する前に一つだけ質問させて下さい。あなたは頭脳労働がお好きですか? 言い方を変えましょう。アタマを使うのはお好きですか? 皆さんが得意なのは【作業】ですか、それとも【思考】ですか? 作業と思考の境目は、その行為を遂行するにあたって手を動かすのがメインか/考えるのがメインか、ということ。実験は”作業”実験方針を定めるのは”思考”

先生や先輩に言われるがまま漠然と研究をやっていたら、自分のやっている研究がどうしても【作業】側に偏ってしまいがちに。わざわざ労力を割いて研究について思考しなくとも、次に何をやったらいいかを周囲が指図してくれるためです。それでもって成果が出たとき、ここぞとばかりに周囲が『○○くん、凄いね!研究に向いているんじゃない?』とおだててくる。たいして頭を使うのが得意じゃなくても (ひょっとして自分、研究が得意なのかな…?)と能力を錯覚してしまう。そう、まだ【作業】しかしていないのに、さも【思考】が得意だと勘違いしてしまうのです。自身の実力を過大評価してD進すれば後で悲劇が待ち受けています。

D進後の日々は【作業】よりも【思考】の方がメイン。自分が何をすべきか親切に教示してくれる人などもういないからです。修士までは研究について手取り足取り教えてくれた指導教員でさえ、我々のD進後、『研究テーマぐらい自分で考えなさい』と無慈悲に梯子を外しにかかる。実験方針を自分のアタマで決め、研究が成功するまで手探りで実験して方針を決めていかねばなりません。博士課程は3年しかない。数打ちゃ当たるで実験していたら瞬く間にタイムアップ&ゲームオーバー。博士学生は【作業】が得意なのは必要条件それに加えて【思考】も作業と同じぐらい得意でなければならないのです。頭を使うのが得意な人はD進向き。頭を使うのは苦手な方にはD進をプッシュできません。

最後に

大学院博士課程への進学をやめておくべき人の特徴4選は以上になります。博士進学の検討材料にしていただければ幸いです。

  1. 学術論文が四回連続のリジェクトを経て五度目にアクセプトされるまでの一年間【ビッグジャーナル行脚の果てに】 ↩︎
  2. 週刊オックスフォード ~世界最高の英国の大学へ研究留学に挑戦した記録~ ↩︎

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