博士課程早期修了への道†7 A報投稿間近。B報執筆見切りスタート。あと6か月、何が何でも走り切る

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A報投稿目前に…

5月に論文の骨子が破綻して絶望の底に叩き付けられた。6月、地獄から這い上がって追加実験を行い、本文を書き直して遂にA報が完成。投稿予定先はJournal of the Electrochemical Society [JES, IF=3.8]。昨年・下半期のようなビッグジャーナル行脚 (註:IFの高い雑誌順に次々と論文を投稿していく所作)1をさせられたくなかったので、指導教員へ「今回はJESに出しますから」と早々に宣言して行脚を回避。指導教員は不満顔ながら了承。公聴会まであと半年しかないD2の私へ行脚をさせるのは流石に躊躇ったらしい。指導教員が人間で良かった。血も涙もない宇宙人じゃないかと半ば疑っていただけにホッとした。

私と国研の共同研究者さんによる二人三脚で作り上げたA報を指導教員へ見せる。投稿前の最終確認。GOサインがともれば即・投稿だ。原稿を渡した翌々日、先生の部屋に呼びつけられた。A報の大幅な修正が必要だとのこと。先生曰く、『電池の専門家じゃない人にも伝わるように分かりやすく書いてくれ』と。 …ちょっと何を言っているのか分からない。論文の読者って専門家じゃなかったっけ?

文章を分かりやすく書くことはできる。一文でサラッと流していた箇所を詳しく説明して深掘りしたって構わない。しかし、イチイチ分かりやすく書けば書くほど論文のクライマックスがぼやけてくる。実験結果の一番面白い部分に記述のボリュームを持たせればぼやけずに済むけれども、さして重要ではない箇所にまで説明を加えると読者が”何所がクライマックスやねん!”と迷子になる。論文は読者の裾野を広げれば広げるほど良い、というわけではないと思う。みんなのために書いた論文は結局、誰の胸にも突き刺さらぬまま風化してしまう。特定カテゴリーの人間を念頭に置いた論文だけが引用される。ブログだってそう。ペルソナが明確な、特定の誰かのために書いた文章だけが検索ページの上位に表示されて多くの人に読んで貰える。

指導教員に異を唱えようかと考えた。「誰の為に記したか明瞭じゃない論文を書いてどうするつもりなんですか?」と。反対意見をグッと堪え、手の平で握りつぶした。あまりに強く反抗すると『そこが君の良くない所だ』と説教が始まるだろうし、学位をタテに『このままじゃ卒業できないよ?』と将来を壊される可能性だってあるから。卒業間近に指導教員との関係性を悪化させるのは得策じゃない。公聴会が終わるまでは円満にいきたい。博士号が授与された瞬間に我慢を止めて豹変し、今まで言わずに済ませていたアレコレを全てぶつけてノックアウトするつもりだ。

投稿を目前にしてA報の修正に着手。指導教員とのディスカッションを重ねて原稿をブラッシュアップしていった。今度こそはJESに投稿できる。投稿前”再”最終原稿を指導教員に渡して今に至る。先生は今月末、出張で忙しいみたい。原稿を確認する時間さえ割けぬよう。JESへの投稿は、先生が出張から帰ってきて落ち着いてからになるだろう。今月末までには投稿したい。そうしないと本当に間に合わないから…

議論する相手を間違えていた

A報の投稿で学習した。いくら良い原稿を作り上げたとしても、指導教員の気に障ったが最後、GOサインが灯らないのだ、と。であれば、最初から指導教員と議論しながら論文を作れば良い。二人三脚のパートナーは指導教員。論文投稿前の最終確認は共同研究者さんにお願いすればスムーズだろう。どうやらディスカッション相手を間違えていたらしい。最初から指導教員と議論していれば今ごろとっくにJESへ投稿できていたのに…

今まで私が指導教員とディスカッションしてこなかったのは、先生が私の研究分野【二次電池材料】に関してド素人なため。先生には電池材料研究の経験がないため、先生と私は電気化学の一般的な事柄に関する議論しか行えない。前述の通り、論文は専門的な内容を取り扱う。難しい内容を論じるにあたって広範な専門知識が求められる。活きた専門知識は研究を通して”のみ”培われる。電池材料研究経験のない指導教員は電池のことをほぼ何もご存じでない。ゆえに論文を作る際、詳細な議論は国研の共同研究者さんとしか行えなかった。というか、指導教員は私の世話を共同研究者さんに丸投げしていた。実験方針の確認・修正も、論文原稿の確認も全て丸投げ状態。

私は正直、指導教員を指導教員とあまり捉えてこなかった側面がある。先生から何かを指導された記憶がない。卒論や修論、果ては学振DC1の申請書さえ添削してくれないのに何が”指導”教員だ、と(添削なしでよくDC1に通ったよなぁ。DC1の評価書だってゼロから自分で書いたし…)。研究に関する指導は共同研究者さんから受けていた。私にとっては共同研究者さんが実質的な指導教員。しかし、博士論文を公聴会へ通すには”指導”教員の了承が必要。たとえ外面上だけでも指導教員を指導教員として仰がねばならない。電池に関する専門知識をほとんど持たない指導教員とのディスカッションが必要だ。まるで地獄のような絵面。卒業のためには致し方ない、か…

指導教員に対するリスペクトはある。議論相手に相応しい方が他にいたから先生に頼ってこなかっただけ。

B報を書き始めなきゃ間に合わない

A報に関するアレコレで時間がゴッソリ削り取られた。12月中旬に予定されている予備審査会まで残された時間は5か月

私が早期修了できるか・否かは予備審査会でおおよそ決まる。予備審査会までにA報をアクセプトさせ、次のB報を投稿しておかねばならない。A報を書き始めてから投稿するまで、議論相手を間違えていたこともあって5か月要した。B報の投稿にも5か月かかるかもしれない。いや、5か月以上かかる可能性も。アカデミアは複雑怪奇。この先、如何なる障壁が待ち受けているか分からない。A報よりもB報の方が論文の流れはシンプルかつ明瞭。おそらくA報よりも早く書き上がるだろう。実験データだってB報の方がA報よりも面白い。論文を書いていて楽しいのは間違いなくB報の方だと確信している。

今すぐB報を書き始めなくては予備審査会に間に合わない。A報アクセプト後にB報執筆へ着手していてはきっと手遅れになる。いくらB報の方が簡単に書けるといえども、いざ書き始めたら意外と議論構築に苦戦するかもしれない。予期せぬアクシデントを予期して早め・早めの行動をとってようやっく早期修了まで漕ぎつけられる。7/7 (日)、七夕の夕べ、大学の近くで打ち上げられた花火の鳴る音をBGMにB報へと着手。コレがおそらく人生で最後の学術論文。最後とはいえ感慨はゼロ。何といっても論文執筆が大嫌いだからね。嫌なモノから解き放たれるのは幸せ。娑婆に出ればこれほど辛い思いをして文章を記すことは無いだろう。B報を9月末には投稿できたらいいな。遅くとも10月中旬。予備審査までに投稿はおろか、アクセプトまで済ませて博論審査員に何のいちゃもんを付けさせぬために。

予備審査会まであと5か月になった。もう少し焦りが募ってくるかなと思ったが、意外と心は追い込まれていないようで拍子抜け。オックスフォードで散々な目に遭い2、帰国後も嫌な思いをし続けて悟りを開いたようだ。ジタバタしても意味がないと気付いた。エネルギーの無駄遣いを辞めた。些細なことで動揺しない方がメンタルのスタミナを温存し、長く走り続けられる。”早期修了できなければ大学院を辞める”と決意したのもメンタルに好影響を与えたよう。早期修了できようが/できまいが、あと半年で大学院から解放されると定まった。あと半年耐えれば楽にさせてもらえる。半年なら耐えられる。一年半は無理でも半年なら辛うじて持ち堪えられそう。人間は先が見えている限り、希望を持って生きていける。あと半年間、娑婆で待っている輝かしい生活を夢想しながら全速力で駆け続けるしかない。

脚注

  1. 学術論文が四回連続のリジェクトを経て五度目にアクセプトされるまでの一年間【ビッグジャーナル行脚の果てに】 ↩︎
  2. 週刊オックスフォード最終回 不本意な形での帰国。この留学を自身の将来にどう活かすか【打倒・オックスフォード】 ↩︎

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