博士転職活動記vol.6|会社員一年目7月 失われた研究生活を求めて

~前作~

7月の山は深緑に沈み、日没後もオフィスには明かりが灯っていた。

開発部署は慢性的に人手不足で、ひとりひとりが業務過多である。サボっていなくても仕事は一向に減らず、週を追うごとに忙しくなっていった。もちろん先輩の時間も限られており、仕事のやり方を教えてもらうのが難しく、見よう見まねでタスク処理していった。

開発部署といえば残業である。どのチームも夜遅くまで仕事しており、21時過ぎの帰宅となる日が多い。私は配属初月こそ定時に帰らせてもらっていたが、二か月目からは先輩社員と同じく残業まみれになった。所属部署には週に二日の定時退社日がある。本来なら喜ぶべきところだろうが、定時退社日があるため他の日に仕事のしわ寄せが行き、部署全体として残業が長時間化してしまっていた。

弊社では残業代が満額支給される。残業代は時給が割増計算され、30時間も残業すればそれなりの金額になる。まして、入社一年目は住民税徴収がなく、お金をためやすい。

私は早朝型である。朝4時半に起きて勉強や運動を行い、夕方までピークパフォーマンスを維持する。昔から夜がまるでダメで、学生時代は21時に消灯していた。起きていたくても起きていられない、夜更かしできない体質なのだ。日が沈んだ途端にまぶたが重くなり、一切の思考活動を停止する。

夜行性ならぬ朝行性の自分にとって、夜遅くまでの残業は苦行だった。本来なら寝ている時間までオフィスでPCをカタコトいじるなど耐えがたかった。残業代などいらない、むしろこちらが払ってもいいから、早く帰らせてほしかった。

研究所配属の同期は、ほぼ定時で帰れているという。彼は「残業してお金を稼ぎたい」とこちらを羨んでいた。

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不本意にも量産開発部署へ配属されたとき、置かれた環境を活かして様々な学びを得ようと決めた。製品設計開発フローを隅から隅まで理解して、何でもできるエンジニアになってやるぞ、と。

いざ配属されて働いてみたところ、やはり量産開発は不向きだと分かった。狭い守備範囲を精度よく守るのが得意な自分にとって、様々な守備位置を任される職種は構造的に難しいのだ。

望んでこの仕事に就いたなら仕方がないが、希望に反して採用されたものだから、働くモチベーションが湧かない。給与をもらっている以上は頑張らなければならぬ。そんなことは百も承知のうえで、向いていないものに時間を費やすのがストレスでたまらなかった。

7月、気持ちの糸が途切れ、仕事に対するやる気を失った。会社の業績もなかなか悪く、さらなる経費節減の波が押し寄せてくることが予想された。

これから更に苦しくなるのが分かりきっている場所に、ずっと身を置く理由はあるだろうか。弊社の製品が好きで仕方ないとか、もう広島に生活の根を張ったとか、何かしらの理由があるなら居続けられるけれども、どちらでもない自分にとって、今の状況はもはや拷問ですらある。

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7月中旬、早くも我慢できなくなった。どこか別の場所に移れないかと考えた。社内に希望のポジションがあれば応募したのだが、社内に居てもやりたいことができない以上は別の組織に移らざるを得ない。あとで調べてみたところ、社内転職は、入社からある程度の年数を経た社員が対象とのこと。どちらにせよ、自分に社内異動という選択肢はなかった。

胸に手を当て、何がやりたいか考えてみて、やっぱり研究をやりたいなと思った。何かを探求するのは好きだし得意だし、やはり研究の方が合っているのではないか。

学生時代は筑波の国立研究所にお世話になっていた。国研のアカデミックな雰囲気に魅了され、知的好奇心を動力源に毎日実験と論文執筆に明け暮れていた。あそこなら研究か技官のポジションしかないし、量産開発部門への配属とはならないだろう。国研で自分の専門に近いグループを見つけ、コンタクトを取った。履歴書と研究概要と研究計画を添えてメールを送り、今か今かと返信を待った。

一週間後にリプが返ってきた。「もうちょっと企業で頑張ってみたらどうですか」と。せっかく企業で経験を重ねているのだから、あと数年頑張ってからこちらの世界に戻ってきたらいいじゃないですか、と。そんなに急ぐ必要ないじゃないかと言わんばかりの鷹揚なメッセージだった。

ご意見は至極ごもっともである。私がもしその方と同じ立場なら、全く同じ返信を送る気がする。最初から最後まで何の反論もないが、頑張れとか私に言わないで欲しい。会社で頑張る理由を見つけられないからこそ応募したのだ。いま「頑張れ」と言われたって、何を目指して頑張ればいいのか。

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国研がダメなら大学に応募しようと思った。公募ページを開いてみると、任期制と女性限定ポジションが目についた。安定した企業の定年制ポジションを捨て、数年でクビを切られるところへ行く勇気はなかった。私は男だし、女性枠の募集に手を挙げる権利もない。ここにも居場所がないのか、と諦めてブラウザバックした。

失われた研究生活を取り戻すため、リクルートページを彷徨ってみた。一週間さまよった末、現職でしばらく頑張るしかないという結論に至った。入社一年未満で辞めると経歴に傷がつく。短期離職者は常に短期離職の懸念を抱かれ、大きな企業では書類選考で門前払いされる。最低でも一年、せめて一年半は続けなければ、この国でキャリアアップは難しいのだ。

人生で最も充実した20代後半に、適性ゼロの仕事へ時間を捧げることになった。やりたいことを脳裏へクリアに描けるにもかかわらず、手を伸ばすことも掴むことも許されなかった。大学に入ってからあんなに頑張ってきて、その報いがこの仕打ちか。

真面目に働くのもバカバカしくなってきた。仕事に対する望みとか思い入れとか、もう捨てた方が楽なのかもしれない。

第六章の学び
・アカデミアへの出戻りは狭き門と知るべし
・弱っている人に「頑張れ」と言うべからず
・広島のお好み焼きはうまい

~次作~

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