研究室に配属されてから過労で潰れ、一年かけて復活するまでの過程

北大と国研で研究している化学系大学院生かめ (D2)です。学振DC1に内定すべく研究に精を出しすぎた結果、M2の8月に喀血し、それからおよそ一年かけて復活しました。私の趣味はランニング。高校時代まで別のスポーツをしていたこともあり、ストレスには滅法強い自覚が。ハードな研究室生活の前にあえなく撃沈。元気が取り柄の自分がまさか精神を病んで倒れるだなんて思ってもみませんでした。

この記事では、健全なただのイチ学生がストレスをためすぎ精神を病んでから復活するまでの過程を記します。私を反面教師とし、メンタルを病まないよう注意していただきたくて記事を作ることにしました。

かめ

それでは早速始めていきます

目次

【B4】4月:やっと授業から解放された!これからバリバリ頑張るぞー! (月間残業時間0h)

とにかく座学が嫌だった。人の話を一日何時間も黙って聞き続けるのが苦痛。何でもいいから早く実験に取り掛かりたい。講義を聞くためだけに苦労して大学へ入ったわけじゃない。自らの手で世界を切り拓きたい。人類初の知見の第一発見者として歴史に名前を刻みたい。一日でも早く授業から解き放たれたい。小学校から16年間も講義を受けてくればもう十分だろう。

研究室に配属され、ようやく講義から解き放たれた。あまりに嬉しくて4月は研究室へ毎日登校した。専門分野にまつわる論文や専門書を読んでコツコツ勉強していく。勉強のための勉強じゃない。研究のための勉強だから楽しかった。5月、コロナ騒動の影響でPIから「研究室へ来ないで下さい」との連絡を受ける。研究室へ行けなくなったのは残念だが、研究のための勉強は家でも行えるから問題ない。

一日8時間を平常勤務時間とする。B4の前期は8h/day×5day=40h程度の作業時間。心を病みそうな予兆は垣間見えなかった。いま思うと、研究室生活で一番楽しかったのはこの時期かもしれない。

【B4】11月~3月:一本目の英語論文を執筆、アクセプト (月間残業時間80h)

作業時間に変調をきたしたのはB4の11月。論文投稿するチャンスに恵まれ、筑波へ滞在する3週間のうちに論文用データを全て集めきった。実験が順調だったわけではない。筑波滞在最終週の帰札3日前になって、これまで集めてきたあらゆるデータがゴミデータだと分かった。「ヤバい!やらかした!!」と大慌てで半狂乱。残り3日間、一日15時間ぶっ続けで実験してゼロからデータを集め直す。どうにか札幌へ戻るまでにデータを集め切った。その代償に、体のストレス値は限界を超えた。まぶたは震え、食欲は失せる。「もう勘弁してくれよ…」と体が叫んでいた。

それから休む間もなく英語論文を書き始めた。本当は1週間ほどじっくり休みたかったが、投稿締め切りが間近に迫っていたから休むに休めない。人生で初めて論文を記す。どこからどのように手をつければいいか見当がつかない。論文執筆方法を誰かに聞きたかった。指導教員は出張で研究室を不在気味。先輩は論文など書いたことがないか、あるいはどこかへフラッと遊びに行っていて質問できなかった。他の人の論文を見よう見まねで論文もどきを作成して指導教員へ送る。添削されては書き直し、また添削してもらっては書き直す。どうにか提出締め切り前日に完成。投稿してから一か月間、今度は卒論作成に追われた。卒論発表が終わった頃から論文の査読コメントへの対応。全国学会への発表準備も同時並行で進めていた。

残業時間は月80時間。平日はもちろん、土日もフルタイムで出勤し、そこそこ辛くなってきた。数か月間、息つく暇もなかった。結局、休めたのは学会が終わってから。新学期が始まるまであと一週間。半年分の疲れを一週間で気持ちばかり抜いてからシーズンイン。

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