研究室に配属されてから過労で潰れ、一年かけて復活するまでの過程

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【M1】5月:学振DC1内定の為に休日返上で実験するように (月間残業時間120h)

ストレス発散してリフレッシュする暇もなく新学年がスタート。これからは上級生として下級生のお手本にならなくちゃいけない。ダラダラと休んでいる姿を見せたら後輩がマネをしてしまうだろう。休みたいけど休めない。いったい何時になったらゆっくり羽を伸ばせるのだろう?このままのペースで走り続けたら死ぬ。ストレスに体が適応する間もなく、更に大きなストレスがのしかかって体をどんどん蝕んでいく。

M1の5月ごろから少しずつ博士進学 (D進)が頭をよぎり始めた。自分に研究が得意なのか否か、今のテーマを突き詰めるべきなのかどうかは分からない。けれども、もう少し頑張って深掘りしていけば面白い景色が見えるような気も。『博士課程に挑戦してみたい』というDの意志が芽生えてきたわけだ。D進するにはお金が必要。授業料や生活費、雑費などを合わせると月20万円程度は欲しい。お金の問題を解決するのにうってつけなのが学振DC1へ内定すること。DC1に通れば月々20万円の給与と年間100万円程度の科研費をいただける。学振DC1の倍率は6倍以上。同世代トップクラスの研究業績を作るため、研究のアクセルをもう一段階強く踏み締めなければならない。

DC1内定を目指して休日返上で実験し始めた。大学や筑波の国研へ毎日通い、時間の許す限り徹底的に先行文献を調査したりデータを集めたりした。まぶたの震えは常在化。震えていない状態がアブノーマル。顔色まで少し悪くなってきた。貧血か、栄養失調か、それとも頭を使いすぎて顔へ血が回らなくなってしまったのだろうか。残業時間は月120時間。平日は3時間、週末は各日8時間ほど超勤した。そろそろ休まなきゃいけないのかなと薄々気付いていた。自身の異常を察知しながらも、”学振DC1内定に向けて頑張らないと”と研究の手を緩められなかった。

M1・7月~1月:ビッグジャーナル投稿に向け休日返上で論文執筆 (月間残業時間200h)

5月の筑波滞在で集めたデータを使い、海外のビッグジャーナルへの投稿を目指すことに。ターゲットジャーナルのインパクトファクター (IF) は42。Natureはおよそ50前後。Natureクラスの雑誌への掲載を目指して英語論文を書き始めた。最初は軽いノリで引き受けたビッグジャーナル投稿。論文の執筆がどれだけ大変なものか、当時の私はイマイチ理解していなかった。

論文を書き始めて一か月、”さすがにマズいな…”とようやく危機感を覚えてきた。やれどもやれども作業が終わらない。そもそもの図表作成だけでも大変な数。図表を適切な順に並べ、一つずつへ適切な説明と考察をつけるだけなのだが、そんな単純な作業の終わりが見えない。私は無理していても無理しているようには見えないらしい。どれだけ苦しくても顔つきが元気なままらしい。さすがに疲れて先生に「休ませて下さい…」と懇願した。『全然しんどそうじゃないじゃん。まだまだできる♪』と更なる頑張りを強要された。

休みたい。これ以上頑張ったら潰れる。とはいえ、学振DC1の内定も欲しい。ビッグジャーナルにアクセプトされればほぼ確実にDC1へ内定する。他に業績を一切記さなかったとしても、IF42の筆頭論文一報あれば通る。であれば、何が何でも論文を書き上げるしかない。引き続き休日を返上して論文執筆に明け暮れる毎日。M1の7月から同年1月まで、7か月連続で月間200時間もの超勤を経験。他の研究室の学生さんから『あの人、いっつも研究室に居るよね』と噂される研究室の住人になってしまった。この半年間は同じ研究棟のどの教員よりも長く研究室に居たはず。それだけやらなきゃ無名研究室からビッグジャーナルをアクセプトさせるのは難しい。

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