- 博士一年・3月 まだ誤差の範囲
- 博士二年・6月 賽は投げられた
- 博士二年・2月 天は人の上に年収を作る
- 会社員一年目・4月 置かれた場所で、咲けるのか
- 会社員一年目・6月 パワー・ポッター
- 会社員一年目・7月 失われた研究生活を求めて
- 会社員一年目・10月 活字をくれと、叫ぶ秋
- 会社員一年目・12月 もうあと一年、踏ん張ろう
- 会社員二年目・5月 初夏にして希望は潰え
- 会社員二年目・6月 今のままではいけないと思っているが
- 会社員二年目・6月 行動開始
- 会社員二年目・6月 会社員二面相
- 会社員二年目・6月 奥の手は、人の手
- 会社員二年目・7月 最終面接ウィーク
- 会社員二年目・7月 送信は、揺られるままに
- 会社員二年目・7月 お時間、よろしいでしょうか?
- 会社員二年目・7月 去り際の芝は蒼い
- 会社員二年目・8月 有意差あり
~前作~
苦しみの上に苦しみが載せられ、その上から試練が積み重なった。辛さのマトリョーシカというかミルフィーユ構造に苦悶した。仕事はもちろん、趣味のランニングも、投資もマッチングアプリも、何ひとつとして上手くいかなかった。
一過性の試練なら、歯を食いしばって乗り越えられる。だが、仕事内容は組織的問題なので自力ではどうしようもない。右足首は靭帯損傷で不可逆的に壊れ、お医者さん曰く復活は難しいのだそう。マチアプは、趣味がカフェめぐり女性ばかりの状況にギブアップした。私を取り巻く試練は、どれも恒常的なもののようで、解決が難しかった。
故郷であるはずの広島に出ていけと言われているのではないか。お前の居場所なんかどこにもないから、どこか別の所に行きなさい、と。北海道で八年過ごし、ようやく広島で落ち着けるかと思ったら、学生時代など比にならないレベルの辛さが押し寄せてきた。
会社に就職して以降、何度か広島を離れようかと考えた。これ以上長く広島に居たら、広島が嫌いになってしまうと思ったのだ。地球上で唯一信じられる居場所を嫌いになるのは耐えがたかった。
職務経歴書や履歴書を作成し、県外の企業にエントリーしかけたこともある。それでも実行に移さなかったのは、あと少し耐えれば状況が好転するのではないかと望みを抱いていたから。人生は何十年間もあり、良い時期もあれば悪い時期もある。いま大変な思いをしているが、そのうち楽になってくるだろう。それに、辛くなるたびに逃げていたらキリがない。真正面から試練を受け入れ、タフな人間になるぞと心に誓ったのだ。
ときどき郵便ポストに投函される新築マンションのチラシを眺めては、「あと8年ぐらいしたらこういう所に住むのかな」などと呟き、広島を離れようとする自分を無理やり広島に紐づけていた。
・・・・・・・
会社を辞め、広島を出ようと決めたのは、ある火曜の帰り道でだった。
会社で21時まで残業を行い、JRで家の最寄り駅まで揺られた。駅から歩いて帰宅する道すがら、ちょっと寄り道したくなった。このまま帰ると30分で就寝し、また朝が訪れる。始業のチャイムが鳴った途端、仕事の渦巻きに引きずりこまれ、どうせまたひどい目に遭う。時の流れにあらがうつもりで河川敷に向かい、防波堤に腰を掛けた。
瑠璃色の夜空に夏の大三角形が見えた。デネブの仲介でベガとアルタイルが顔を合わせていた。星を見ながら、頼れる人が身近に居ればなと思った。普通の人なら、しんどい時は友達かパートナーに胸中を打ち明けるのだろうか。ひとりでは抱えきれない苦しみを背負ったとき、誰かと一緒に背負って負担を分散して人生を進めていくのかもしれない。私は、荷が重くてもひとりで背負うしかなく、いつか楽になると信じて吐きながら進んでいくほかないのだ。
このまま死ぬまでこの気持ちを味わうのか。息を引き取る最期の瞬間まで精神を痛め続けるのか。やりたい仕事ができなかった無念を噛みしめ、彼女ができて幸せに働く同期を羨みつつ、給与明細を見て肩を落としながら、どこまでもみっともなく弊社にしがみつき、ボロボロになって故郷で朽ち果てるのだろうか。
そんなのは嫌だ。誰かを羨むぐらいなら、誰かに羨まれる人生を歩みたい。給与だって、もっと欲しい。いっぱい稼いで美味いものを食って、国内外の秘境を訪れ、面白い本を読んで豊かな毎日を送りたい。組織の歯車として歩む人生でも、歯車なりの意地で、まだこの世にないモノを生み出したい。この会社でやりたい仕事ができないのなら、違う会社に移るべきなんじゃないか。
家に帰ってすぐビズリーチに登録した。広島を、この会社を、離れようと決めた。
・・・・・・・

転職活動を始めるにあたって、まず状況を整理した。①好きなこと、②得意なこと、③大事なこと、④市場の四項目から適職を導き出した。
私は電池が好きである。電極部材の不思議な動作原理はもちろん、材料の絶妙なバランスで成り立っている電池に狂おしいほど愛情を注いでいる。現職も電池軸で選んだし、これからも電池を核にキャリア形成していきたい。
昔から何かひとつのことを突き詰めるのが得意だった。中高時代のスポーツやラボでの研究で成果を挙げられたのも、おそらく自身の適性に合っていたからだろう。今までは量産開発部員として電池の使い方を広く・浅く考えてきた。これからは、材料のスペシャリストとして電池関連業界で生きていきたい。どうせ電池に携わるのならば、電池をより良くする素材開発をしてみたい。
仕事において一番大切にしたいのは、狭く・深く働けること。様々な対象を手広く手掛けるよりも、狭い幅の中でどれだけ良いものを創れるかにこだわりたい。
電池業界には様々な企業がある。勤め先ような完成品メーカーもいれば、電池本体を作る会社もあり、電池の部材のみを扱う専門的集団もいる。これからの時代、電池はヒューマノイドやAIデータセンター需要でますます存在感を増していくだろう。
完成品メーカーは、事業投資の規模で外資企業に後れをとる。電池は電池で、中韓勢との激しい価格競争に巻き込まれている。その点、電池材料を扱う素材メーカーならば、世界中の電池メーカーやOEMらに価格交渉力を持って取引ができる。日本には世界シェア首位の素材メーカーが多数あり、いずれも将来性抜群で、素晴らしい待遇を用意してくれている。現職では仕事内容と待遇に難があったし、素材系に転職できれば、いま抱えている不満は解消されるだろう。
・・・・・・・
本来、会社選びはこうやってやるのだろいう。論理的に検討を重ね、最後の最後にようやく感情面で行き先を選ぶのだ。
現職を決めたときは、『広島に帰りたい』の一心で、キャリアなど何も考えず感情的に応募した。過去の自分がサボった分だけ未来に大きなツケが回ってきた。もう二度と同じ思いはしたくないので入念に何度も考え直し、それでも結論は変わらず、素材メーカーを目指して動き始めた。
行動、開始。
第十一章の学び
・太田川放水路から見える星空はきれい
・悩みは人間かAIに打ち明けるべし
・広島のお好み焼きはうまい
~次作~
Coming soon…


コメント